05話.[ありませんから]
「根川さん、酒を飲みたいですよね?」
「酒ねえ」
「このまま車に乗っていたら飲めないじゃないですか、だから俺は近いところにある店とかでいいんですけど」
「気を使うなよ」
いや、俺こそはっきり言ってほしかったんだ。
調子に乗りがちな俺にはそういう言葉が必要だ。
これから上手くやっていくためにも根川さんには頑張ってもらうしかない。
酒=酔う=本音を吐いてくれるという保証はないが、それでも素面の状態よりは期待できる気がした。
「で、古地ちゃんとどんなことがあったんだ?」
「考え方の違いから言い合いに、みたいな感じでしょうか」
みんな同じようにはやれない。
でも、同じようにやれと求めてくる人間はいる。
だからそういうのから自然と距離を作って自分を守ろうとした。
ただ、そういう行為すらも向こうからしたら気になってしまうんだろうな。
「根本的なところが違うからいくら話したところで延々平行線じゃないですか、だからそのまま帰ったらって感じです」
「古地ちゃんは仲良くしたいって言いたかっただけだろ? それを遮ってまでそう言ったんだから悪いのは白平だ」
「我慢できないんですよね、だから俺もはっきり言っただけなんです。別に賑やかな集団を見て舌打ちをしたりとか妬んだりとかしたわけではありません、俺はただ普段は全く興味を示さないくせに不意に来たりするのが気になっていただけです」
って、なんであのときはそうかで片付けられなかったのか。
学生時代はそうやって上手くやってこられたのにどうしてなのか。
仕事で失敗を重ねていて余裕がなかったというわけでもないんだぞ。
「人といるのは嫌じゃないんだろ?」
「対応に失敗しても悪く言ったりしないのであれば全く構いませんね」
「じゃあなんでその日だけはそう言っちまったんだよ」
「……分かりません」
空気を悪くしたのは俺だ、古地が悪いわけではない。
だからこうなってもこれまた仕方がないことだった。
調子に乗るなよって教えてくれているんだ。
「古地達みたいな人間の方が正しいんですよ。他者と上手くやれない人間は生き残れない、結局、そういう人間からすれば俺達のそれは強がりでしかないから」
それでも俺は変えることはできないから同じように生きていくだけだ。
やらなければならないことだけしっかりやっておけば文句も言われない。
学校と違って会社の一員なら尚更そうではないだろうか。
しっかりしておけば金には困らないんだから。
「なあ」
「なんですか?」
「白平がそっちに入ることはできないのか?」
「どうなんでしょうね、そうしようと考えたことがありませんから」
群れることでしか自分を出せない人間達、なんて考えたことはない。
ただ俺はそれならそれでいいから放っておいてくれと言いたいだけだ。
分かり合えなくていい、少し矛盾しているが全然違う場所でなら悪く言ってくれたって構わない。
「飯でも食うか」
「そうですね」
最初からそのつもりだったのか近くにあった焼肉屋に入ることになった。
普段世話になっている分、焼いて返そうと思っていたら「食えよ」と言われてそれも駄目になったが。
「先輩風を吹かせたくて誘ったわけじゃねえ、だから遠慮しないで食べろ」
「はい」
「遠慮しすぎるのもそれはそれで問題になるんだぞ」
「根川さんは学生時代、どうでした?」
「俺か? 俺はふざけてばっかりだったな」
サボって遊んだことやそれで教師に何度も怒られたということを教えてくれた。
「まあ、言ってしまえば真面目にやっていた人間からすれば屑みたいなもんだ。来たと思ったら授業は止めるし、殴り合いだって普通のことだったから周りは怖かっただろうよ」
「でも、いまは……」
全く違う、いてくれるととても安心できる存在だ。
話しかけてくれるのも嬉しい。
だからこそ今日だって付き合わせてもらっているんだからな。
「そりゃ俺だって変わるさ、いつまでも同じようなままではいられないからな」
「そうですよね」
「それにある教師を泣かせてからは同じように過ごすことができなくなったんだよ」
教師、か、だからやめておけなんて言ったんだろうか?
相手に迷惑をかけるだけだからと、悲しませてしまうだけだからとそういう風に。
露骨にそういうアピールをしているというわけではないし、これからもするつもりはないから別に俺は……。
「しかも亡くなちまったもんだから迷惑かけた分、返すこともできねえんだ」
「亡くなった……」
「俺がそれこそ社会人になってすぐのことだったからな――って、悪い、こんな話をされてちゃ美味いもんも美味く感じないよな」
「いえ、そんなことないですよ」
「気を使うなって、どんどん焼くからどんどん食べてくれ」
根川さんのこういうところは苦手かもしれなかった。
こちらにはなにもさせてくれないところが嫌だ。
なにかをしてやれるなんて考えているわけではないが、一応俺だって世話になったならなんらかの形で返していきたい。
でも、根川さんや先生みたいなタイプだと「そんなことしなくていい」と言われて駄目になってしまう。
「ふぅ、食ったな」
「嘘じゃないですか、根川さんは全く食べていませんよ」
「一日にちょろっとしか話さないこんなおっさんに付き合ってくれているだけでありがたいことなんだよ」
「そんなこと言ったら――」
「はいはいはい、次に行こうぜ」
駄目だ、このままだと溜まっていく一方だ。
本音を求めてきていたわけだし、ここははっきり言っておこう。
これで全く話せなくなっても問題はない。
そもそもいまの距離感だと上司だということを忘れて調子に乗りそうだったから。
「そういうの格好良くないですからね?」
「お、はは、はっきり言ってくれるな」
「というか、気になる女性でも誘って同じことをすればいいじゃないですか」
「誰にだってそういう人間がいるわけじゃないだろうが」
それはそうだ、本人にその気があっても相手がいなければ始まらない。
残念ながらその点で俺ができることはないし、そのことで俺になにかしてくれと頼んでくるはずがないからこの話はそれ以上続けなかった。
「どうするかねえ」
「根川さんの家に行きましょう、それで酒を飲んでください」
「おいおい……」
「飲みたいですよね? 我慢してもらうなんて嫌ですよ」
「……後悔しても知らねえからな」
で、家に行ってみたらなんかすごかった。
洗い物は溜まっているし、洗濯済みなのかどうかも分からない衣服が散らかっているような感じ。
強盗にでも入られたのかと友達なら言っていたかもしれない。
「片付けるのでゆっくりしていてください」
「俺の家なんだが……」
「まあ、綺麗になるならいいじゃないですか」
これなら金もかからないし分かりやすく根川さんのためになる。
片付けつつ女子力が高いんじゃないか? とか馬鹿なことを考えていた。
流石に掃除や洗濯ぐらいは古地にだってできるだろうから失礼なそれかもしれないがな。
「物好きな奴だな」
「それは根川さんじゃないですか、入ってきたばかりの人間には必ず近づくって決めているんですか?」
「いや? だって全員が全員嫌そうな顔をしないとも限らないからな」
へえ、そういうの気になるのか。
物好きな人、意外な人、これからどんな〇〇な人が追加されるんだろうか。
「あとは洗い物か」
「別にいいぞ置いておけば」
「ここまできたらやりますよ、根川さんは酒でも飲んでいてください」
「どんだけ飲ませたい――おい、まさかおじ専とか言わねえよな?」
「なに言ってるんですか、俺はただ少しずつ返したいだけです」
まさかそんな風に捉えられるとは思っていなかった。
勘違いから避けられることにはなってほしくないからはっきり言っておく。
たまにぶっ飛んだことを言ってくること以外は本当にいいんだがな……。
「普段教えてくれているのは久岡だろ? 久岡には返さないのか?」
「あ、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて、その……」
「ははは、なんだ、話しかけてもらえるのが嬉しかったのか? おっさんだぞ?」
「……孤立してないってだけで嬉しいですよ、そうでなくても初めて働いているわけなんですから」
「本当になんでも吐くんだな」
そう感じてしまっている時点で隠すのは不可能だからだ。
あと、間違いなく素直になった方が楽しく過ごせる。
嫌な空間で必死こいて働くよりも楽しい空間で必死こいて働いた方がいい。
金を貰ったときに分かりやすく違いが出るはずなんだ。
「ま、それならさっさと謝って古地ちゃんと仲直りするべきだな」
「明日しますよ」
「おう、あ、それと一度ぐらいは食堂を利用してみた方がいいぞ」
「美味しいんですか?」
「ああ。安くて美味い、おすすめだ」
それなら今度行ってみるか。
食べることもできるからきっと悪いことにはならない。
一食分ぐらいだったら来月の給料から引かれても困らない。
「あとは……そうだ、公夜って呼んでいいか?」
「はい、って、よく覚えていましたね?」
「人の名字や名前を覚えるのは得意なんだ」
「そうなんですか」
俺は覚えようと努力もしなかったな。
だからこそ入社してからはせめて同じタイミングで入った仲間ぐらいってことで古地のことを忘れないようにしたことになる。
もうひとりの男子は全く関わっていないうえに、こちらにも色々あってなんだったのかとまた学生時代みたいになってしまっているが……。
「あっ」
「洗い物なら終わりましたよ?」
「……酒を飲んだから送れなくなっちまった」
「いいですよ、そんなに遠いわけでもありませんから歩いて帰りますし」
距離があるから一時間後ぐらいには根川家をあとにした。
先生と一緒に出かけたことがあったためか、そもそも根川さんがやっぱり話しやすい人なのか、全く気まずいと感じた時間はなかったのだった。
「この前は悪かった」
「……知らない」
「別に許してもらおうなんて思ってない、俺的には謝れただけで十分だ」
今日も雨だからさっさと帰って休んでしまおう。
食事と入浴とさっさと済ませて通話タイムまで待つ。
あれはもう俺にとって一日の癒やしみたいなものだから誰にも邪魔してほしくないぐらいだった。
「なにそれ、言い逃げじゃん」
「別にいいぞ」
「由貴さんがいるから?」
「いや、先生がいようといなかろうとこのスタンスは変わらないんだよ」
引っかかるようなことを残したくないからこうしたまでだ。
謝ってもまだ言ってくるようなら離れた方がいい。
幸い、久岡さんや根川さんと話せていればひとりになることもないから。
「それに先生が知りたかったから近づいてきたようなものだろ、連絡先だって交換したんだから俺といる必要はないだろ」
「またそうやって……」
「違うよ、わざわざ面倒くさい奴に近づくなってことだ」
彼女には言えるのに先生に言おうとしないのは気持ちが悪かった。
つまり、そっちとだけはまだまだ関わっていたいということだしな。
露骨だと言ってもいい、そしてやっぱりそういうのに異性というのは敏感なんだ。
本人曰く嫌なことは嫌だと言うらしいし、本格的に暑くなる前に終わる可能性だってあった。
「面倒くさくなんかないよ、でも、そういう考えは嫌」
「仲良くしたいのか?」
「うん、だってもうお出かけした仲なんだし」
「そうか」
物好きリストに加えておくだけでいいか。
おうともいやとも言わずに途中のところで別れた。
家事をしなければならないからそうゆっくりもしていられない。
「ただいまー」
「酒飲んできたのか? 最近は変だぞ」
「ま、こういうときもあるんだよー」
母がいないからやっぱり寂しいみたいだ。
家でも飲み始めるからどんだけ飲むんだよとツッコミたくなる。
そう考えると昨日の根川さんはやっぱり遠慮していた気がする。
煙が出るタバコはともかく、自宅なんだからどんどん飲んでくれればよかったのにと言いたくなったぐらいだ。
「今日も先生と話すんだろ? 失礼のないようにな」
「そうだな」
「じゃ、俺は寝るわ、おやすみー」
「おやすみ」
簡単なご飯を作ってひとりで食べた。
それでも一応父の分も作ってあるから腹が減ったときにでも食べてもらおう。
酷くなるから食器を洗ってから風呂場へ突撃。
「やべえ、マジ気持ちいいなこれ」
一生懸命やっていれば汗だってかくわけで、本当ならあの状態でできるだけ他者とは近づきたくなかったが今日は仕方がなかった。
明日謝ると自分で言ったんだから守らなければならない。
小さい頃から続けてる百数えてから出るということをして部屋に戻ってきた。
「まだ十八時半ぐらいか」
たまに早くはなっても大体は二十時半以降だから長い。
学生時代みたいに課題があるというわけでもないからやることがない。
見たいテレビとかもないし、ネットサイトを見て時間をつぶすような人間でもないし、地味にこの余った時間をどうするのかが悩みどころだった。
父が通常状態であってくれたのなら話して過ごすんだが……。
「って、古地かよ」
「む、なにその言い方……」
「俺は食事も入浴も終わらせたけどそっちは?」
それでも丁度いい、利用させてもらうことにしよう。
一度ぶつかった仲だからこれぐらいで気になったりしなかった。
そう考えると俺って結構先生のことを……。
「私の方はどっちもまだだよ、いま漫画を読んでいたんだ」
「先に風呂に入っちゃえよ」
「ご飯の前に入ったらせっかく綺麗になったのにすぐ汚れることになるでしょ」
俺だってそうしているわけだからこれ以上言わなくていいか。
また言い争いなんてしたくないから今日はそうか、で終わらせるんだ。
「白平君、働くって大変だね」
「そうだな」
「でも、上手くできるようになると楽しいね」
「ああ、それは同意見だ」
まあ、こっちの場合はひとりになるときが近づいているわけだから楽しんでばかりでもいられないが。
久岡さんともやっと仲良くなれてきたところなのに別れるのは少し寂しい。
でも、いつまでも頼っているわけにはいかないから仕方がない。
いきなり変わったことというわけではなく、最初から決まっていることなんだから文句は言っていられないということだ。
「そういえば初給料ってどうした?」
「私は家族と一緒に外食に行ったよ、嬉しそうにしてくれたから嬉しかった」
「偉いな、俺なんて引き出してないままだぞ」
そうか、そういうことをしてやるべきだったか。
父はいるんだから少しぐらいそういう考えというものが出てきてもよかったのに、使い道がねえとかなんとかで触れていないまま。
いつまでも絶対に親がいてくれるというわけではないんだからそっちにもちゃんと返していかないとな。
「えっ、なんにも触れてないのっ?」
「ああ、スマホの料金とかは勝手に引き落とされるからな」
「ち、ちなみに携帯のお金って何円?」
「三千円だな、一番安いプランに入っているからさ」
「ええ!? 私なんて普通に一万円超えているんだけど!?」
マジかよ、どうやったらそんなことになるんだ?
あ、いまは機種代がそもそも高いということなんだろうか?
そこにプラン代も加わったり、なんらかのサービスに課金してしまうとそうなってしまうのかもしれない。
定額で〇〇放題みたいなのがあるからそういうのを多く利用しているのかもしれなかった。
「やばいよ白平君……」
「ネットサーフィンとかもしないからな」
「動画投稿サイトも見ていなさそうだよね」
「ああ、全く見ないな」
その後も「やばいよ」とか「おかしいよ」とか言われてしまってどう答えればいいのか分からなくて黙っていた。
それでも社会人になったいまは自分で払わなければならないんだから安いに越したことはないだろう。
犯罪行為というわけでもなければ金をなにに使おうが自由なのもあって、こちらから押し付けるつもりもないんだから安心してほしかった。
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