九
第15話
部屋に戻るとシズクが待っていた。両の前足を内股気味に揃えて、長い尾を巻きつけている。
お出迎えしてくれたんだと、膝をついて両手を差し出す。甘えて来るかと思ったが、シズクは顔をそっぽに向けた。
尾の先端で繰り返し床を叩く。
小刻みで忙しなく、ひっきりなしに耳を動かす。一方は正面に、もう一方は横向きに、かと思えば両の耳を横に向けたり、また前に向けたりしながら私を静かに見つめている。
シズクは小さく口を開ける。そして閉じた。
欠伸とは違う。青い瞳をわずかに逸らせるも、すぐに私へ視線を戻した。
お腹が空いているのだろうか。と思い、フードを差し出してみる。
その場から動くことなく顔だけ近づけ鼻を動かす。忙しなく動かしていた尾も耳も、すっかり静まり返る。しばらく匂いを嗅いでいたが、我に返ったのかのように顔を戻し、尾で床をまた叩き始めた。
おそらく半分正解で、半分間違いだったのだろう。私がフードを転がすと、シズクはすぐに飛びついた。
猫だから。気が向いた時に来てくれるだろう。なぜならシズクは猫だから。
靴を脱ぎ散らかしてゴーグルを取る。ゲームを始めようと思ったが、ふと気になってブラウザを開く。少しだけ考えてから、検索窓に思考操作で文字を入れた。
猫、尾、パタパタ、気持ち、のワードをスペース区切りで検索かける。
閲覧は視線操作で、立ったまま結果を確認していく。家猫として可愛がられてきた為か、多量の資料が見つかった。
ブラウザを一気に増やす。同時に十の画面を並べ、直接脳にインプットする。
返事がめんどくさい時、何かに興味を持っている時、リラックスしている時、安心しきっている時そして、不安な時や怒っている時とある。
ルームサービスが運んできた椅子に腰を下ろす。
鼓動が少し強くなった。こめかみに指を当てれば脈動が指先に伝わる。帰ってきたばかりだから、おそらく疲れているのだろう。大きくため息をつくと、出された紅茶を一気に飲んだ。
指を離してシズクを見やる。部屋の暗がりの中に溶け込んで、青い瞳で見据えている。姿勢を可能な限り低くして、尻尾を身体に巻きつけている。いずれにしても、不快な感情であると、眼つきを見れば理解できた。
ご飯はもうあげた。機嫌を直せそうなものは無い。だがここで諦める気など毛頭無い。
猫、機嫌、直し方で検索する。数多の結果を元に考えを巡らす。頭の中で作戦を幾つか立てると残りの紅茶を全て飲み干し、気合いを入れて立ち上がった。
作戦その一、まずは名前を呼びかける。
「シズク」
簡単だ。もう一度。
「シズク」
反応は無い。
身を強張らせたまま静かに固まっている。最後にもう一度だけシズクの名を呼ぶも、やはり反応を見せなかった。遅れて反応するかもとか、気づかない内に反応していたりとか、色々書いてはあるものの、いずれもシズクに当てはまらないようだ。
作戦その二、おもちゃで遊ぶ。
おもちゃなんて持って無い。
こちらも手早く検索をかける。デジタルトイはいくつもの種類が見つかった。ボール型、ねこじゃらし型、ネズミ型。他にも自走式のおもちゃとか、ただの箱に至るまで千差万別種々様々だ。
目を固く閉じる。
シズクはどれが好きだろう。わからないがとりあえず。片っ端から試してみるか。
「シズク」
ダウンロードが済んだボールを出して振ってみる。動きは無いがしっかり視線は捉えている。シズクにボールを転がすも、見つめるだけで何もしない。
次はねこじゃらし、それも鈴付きだ。
透き通った音を奏でながらシズクに向けて振ってみる。目だけで穂先を追いかけて、密着していた尾は高く、左右に大きく振りだした。
良い反応だ。あとはシズクがじゃれてくるのを待つだけだ。
そう思い、振り続けること数十分、先に私の体力が尽きた。
次だ次と出したのは、自走式のねずみ型のおもちゃだった。これなら私の手間も体力も関係が無い。シズクの気が済むまで遊ばせられる。しかも手動と自動のモードチェンジも可能だ。
まずは手動で走らせてみる。思考操作に従って、短い手足を懸命に動かしシズク目がけて突進していく。
小さなねずみは止まることなく、大きなシズクに体当たりする。気にも留めず、私をずっと見ていたが、二度、三度と体当たりするねずみを鋭く睨む。
思いもがけない貫禄に操作を止める。自動モードに切り替えた直後、シズクはネズミを弾き飛ばした。
失敗か。ため息をつく。
走り回るねずみをそのままに、次の作戦に移行する。
作戦のその三、おやつだ。
お肉味、お魚味、そしてマタタビ味。練り団子型、ゼリー型、ペースト型とおもちゃ同様種類は豊富であった。
お肉味の練り団子型から試す。
こちらは敗北。鼻を動かすだけで喰いつかなかった。
お魚味のゼリー型、こちらも効果が無さそうだった。目を逸らすばかりで寄ってこない。
最後にマタタビ味のペースト型を差し出すと、シズクは静かに立ち上がった。
「シズク。おいで」
なるべく圧迫させないように、優しく呼びかけた。
尾は垂れ下がり、床に触れるかどうかの高さで揺れる。前足をあげた。来てくれると思った、その瞬間にメッセージの受信を告げる通知音が響き渡った。
我に返ったのかのように、シズクは元の暗がりへ戻る。ため息をつき、送り主を見てみればセンからだった。
おやつを消してゴーグルを取る。シズクを見ると、立ち上がる様が見て取れた。
これから何をしようとしているのか、理解できているらしい。ゴーグルを装着すると仮想世界へ降り立った。
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