第14話

 環太平洋環状鉄道駅地下は、見てきた中でも特に大きい。自動車が滑り込むためのレーンが六つ。それぞれ長さもあり、余裕を持って乗降車できる。

 大型のカーゴロボットにキャリードローンが動き回って、自動車と荷物の受け渡しを行っている。荷台に多量の鞄を乗せたロボットを連れた海外からの老夫婦に道を譲ると、セラフに次いでエスカレーターホールへ向かう。

 唸り続けるエスカレーターはステップが異様に広くあった。カーゴロボットの為だろう。

 私達は一つのステップに二人で乗る。上りも下りも人は少なく、利用しているのはカーゴばかりだ。

 環太鉄道の駅は空港と並び諸外国との玄関口になっている。日本、ロシア、アラスカ、カナダ、アメリカに、メキシコ、ハワイ、ニュージーランド、オーストラリア、インドネシア、フィリピンそして台湾を繋ぐ。

 人と貨物を乗せた列車は磁力によって、太平洋下に建設されたトンネル内を超高速で周回している。航空機に変わる新たな交通網として、開通時には盛大なセレモニーが開催されたのだそうだ。

 当時のビデオを再生するかとポップアップで尋ねられたが、迷わずいいえ、を選んだ。

 仮想の鳥居を幾重も抜けてフロアに立つ。白に統一された建物内は明るく清潔的な様相だった。天井は高く、開放感に満ち溢れ、ガラスの天井からは星空が見える。骨組みがむき出しになっているが、意図してデザインされたのだろう。

 セラフは立体地図を指す。三本ものタワーの内の一カ所に色が付く。最も高いタワーの内の、高層階の一画だ。レストラン街の紹介と合わせて、レストランの名が表示される。

 レストラン高い城。

 風変わりな名前のこの店は、和洋のどちらも対応しているらしい。肉料理なら焼き肉にすき焼きしゃぶしゃぶに、ハンバーグにステーキそしてフライドチキンにまで至る。魚なら寿司や刺身を初めとして、ムニエルにフライ、ロブスターを利用した謎料理もあった。

 地図から蝶が生まれ出る。黒地に青の筋が入った大型の蝶だ。黒く輝く鱗粉を散らしながら私達の周りを舞う。やがて蝶は花弁のように、ゆったりとした飛び方で導くように飛ぶ。

 蝶について歩いて行く。

 誰も居ない動く歩道も利用して、目的のタワーへと向かう。扉を開けて待っていたエレベーターへ蝶に続いて乗り込むと、操作せずとも動き始めた。

 下方向への圧力を感じる。数十階もの階層を、十数秒もの速度で昇る。

 彼と私で二人きり。お互い特に話す事もない。エレベーターは途中で一度も止まらずに、目的の階に辿り着いた。

 打って変わって極めて暗いフロアだった。通路を示す点々とした灯りだけで、それ以上の光源は無い。エレベーターから溢れる光は扉が閉まり無くなった。

 鈍く輝く青い光の蝶に導かれ、暗い通路を進む。柔らかく黒の絨毯は足音を吸い込み、服の擦れる音だけが響く。左右に存在するであろう壁も、天井も、黒一色で固められ、距離感が狂ってしまいそうだった。

 仮想の看板に光が当たる。天守閣のシルエットを背景に、草書体でレストランの名前が書かれている。緩急つけて書かれた文字は、筆で書かれた立派な草書体だった。

「いらっしゃいませ」

 初老の男が出迎える。

 タキシードか、燕尾服か。いずれとも呼べる格好で頭をさげる。ものの見事なバリトン声で、マスターの言峰ですと、自己紹介し店の奥へと導く。

 帽子を預けて、窓際の、たった一つのテーブル席に腰を下ろす。

 背の高いタワーだけあって、窓の外から海の向こうの本土が見える。風や日差しを享受できるよう計算ずくで建てられたビルが林立し、階層ごとに室内灯が漏れだしている。

「ご注文はお決まりでしょうか」

 彼は水を出してから言った。メニューは道中見ていた通りだ。私は簡単な魚料理を、セラフは牛肉のハンバーグを、それも焼き具合から付け合わせ、厚さに至るまでこと細やかに指定する。

 飲み物にワインを、とセラフは頼む。私にも勧めてきたが断った。代わりに麦茶を頼むと言峰は、かしこまりましたと、古風な言い回しをして店の奥へと回り込んだ。

「言峰さん。この店は一人で経営しているのですか」

「えぇ。その通りです」

「大変でしょう?」

「そうでもありませんよ。ワタクシが好きでやっている事ですから」

 飲み物が来た。ただの麦茶でセラフの乾杯に合わせる。いつもとちょっと香りが違う。どことは上手く言えないが、少しだけ良い香りのような気がした。

 夏野菜の前菜が来る。

 トマトにナスにキュウリなど、色とりどりの小鉢であった。蒸したり漬けたり焼いたりと、素材ごとに調理法が違っている。中でも目を引いたのは、細く捻じれた棒状のチップスだった。数本ばかり添えられて、ドレッシングが付いている。試しに一つかじってみると、土のような香りが広がった。

「ゴボウの素揚げでございます」

 調理しながら言峰が言った。

 きっと良い素材を使用しているのだろう。トマトは甘く、どの野菜も嫌な苦みは感じない。日頃から多くを食べない私でさえも、瞬く内に食べてしまった。

 続いてスープと添え物が出る。お吸い物にも似たような、出汁がよく利くスープであった。熱くもなく、冷たくもない。温かく落ち着きのある味だった。

 スープも飲み終わり掛けた頃、素敵な香りが漂って来た。魚とオリーブの香り。肉と胡椒の香り。いずれも美味しそうな匂いだ。セラフも同じ思いのようで、彼の腹が音をあげた。

「すみません」

 恥ずかしそうに笑って言った。釣られて私も口元を緩める。おいしいですね、の言葉に同意し麦茶を含む。

「僕の国にもバーガー店は多々ありますが、真に美味しい店など微々たるものです。しかも油ばかりで不健康、その上不衛生。野菜なんて皆無です。とても人間の食べ物などではありません。不味い店など淘汰されて然るべきです。そうは思いませんか?」

 返答に詰まった。

 そこまで食に拘りが無い上に、店で食事をする経験さえも乏しいからだ。そもそも食事そのものが嫌いだった。理由はもちろん言うまでもない。

「客の時間とカネを浪費させる店など存在してはならないのです。だからこそ店同士での競争が必要不可欠となります。競争こそが人々をより高い次元へ、より幸福へと導くのです」

「それはどうでしょう?」

 口を挟んだのは言峰だった。

「確かに競争は切磋琢磨し合い、より良い物が生き残る。結果として世の中には良い物だけで溢れ返る事でしょう。しかし競争の果てにたどり着ける社会が、本当に幸福な社会と呼べるのでしょうか?」

 彼はメインディッシュを私とセラフの前に置く。

「と、言いますと?」

「競争に敗れた者はどうなりますか?」

「悔しさを、失敗を糧にまた努力すればいいでしょう?」

「果たしてそのような事が人間に可能だと?」

「ただの自己責任です。他者がどうこうする必要は無い」

「それが幸福な社会と呼べますかな?」

「当然ですよ。負けた者が悪いのですから。勝てば良い。勝てた者には報酬が支払われて当然です。報酬はモチベーションとなり、より高みへと至る事が可能となるのです」

 言峰が微笑む。

「典型的な資本主義時代の考えですね。もちろん、社会の発展には不可欠です。が、人間の幸福という観点から見ればどうでしょう? 競争は必ずしも必要な物、では無いと思いませんか?」

「思いませんね。競争無くして良い物は生まれません。反対に競争があったからこそ、生まれた物の方が多いです。代表されるのがコンピューターでしょう。第二次世界大戦時下においてアラン・チューリングにより開発されました。もちろん軍事目的で、です。今日ではコンピューターに触れぬ日は無いでしょう。インターネットもまた然りです。インターネットインフラも戦争を想定して構築されております。コンピューターとインターネット。いずれも戦争と称される競争がもたらした幸福なのです」

 言峰はいかにも残念そうな表情だった。彼はそれ以上の反論をすることも無く、私達に食事を勧めた。敗北を認めたのだと思いこんだセラフは、満足気にナイフとフォークで焼きたてのハンバーグを口へと運ぶ。

「うん。美味い。すばらしい腕前です」

 彼に倣って魚身を突く。オリーブの香りが微かに香る。適度に火が通った身は柔らかく。口へ運ぶ前に崩れ落ちるかのようだった。

「これが競争のない味でございます」

 セラフは言峰に目を向けた。

「私は誰かを蹴落とそうだなど考えておりません。競争に勝利したとも思いません。他者の評価や売り上げに振り回される事無く調理に専念できたからこそ、辿り着いた味なのです。必ずしも競争が人を幸福にする訳ではございませんよ」

「では何か? お手手繋いでみんなで一緒にゴールインが人々を幸福にするとでも?」

 セラフはナイフで厚く切り、口に入れて頬張っている。親指程のニンジンをフォークで刺すと、合わせて口に放り込む。

「もし、良いライバルと巡り合えれば、もっと高みを目指すことができるでしょう。何と言われようとも、僕は考えを改める気などありませんよ」

 セラフは笑う。そして、ですが、と話を繋ぐ。

「言峰さんの料理が美味いのは紛れもない事実です。たまにはこのような味も悪くない」

 光栄ですと、英語で言って、ごゆっくり、と奥へと下がる。

 セラフがハンバーグを食べきった頃、私はもうお腹がいっぱいになっていた。

 箸を置いて麦茶で流す。半分以上も残っているが満足だった。量が多かったか、それとも不味かったのか。言峰はしきりに心配をしていた。

 私は彼の心配事をなるべく抑えるよう言葉を選びながら、日頃からこの量だと伝える。多少ショックを受けたようだが、強く顔に出す事も無く取り成した。

 メインがさげられデザートが出てくる。小さなガラスの小皿の中に、純白のバニラアイスが乗っている。半球状の冷たい甘味は既に少しだけ溶けて、ミルクが広がりつつあった。

 銀のスプーンでアイスに切り込む。柔らかく、少しの力で容易く切れる。アイスクリームの小さな欠片を口に入れると、溶けて広がりミルクとバニラの香りに満たされていく。

「おいしい」

 口を突いて感想が出る。滑らかで濃厚な味わい。冷たい中にも甘さが適度に理解できる程の強さで、ただ甘いだけのアイスクリームとは違う。一言二言セラフが何か話してきたが、気にもしなかった。スプーンは進み、瞬く間にアイスクリームは無くなった。

「おいしかった」

 言峰に言った。

 良かったですと、言って彼は肩を落とす。半分沈んだ笑みを浮かべながら更に続ける。

「もしお気に召したのでしたら、ご自宅でも召し上がれるよう商品名をお教えしますが?」

「お願い」

 即答した。断る理由なんてない。

 言峰から直ちにアイスクリームの詳細が送られる。商品名をネット上で検索すると、どこぞの牧場ミルクを使った高級品だと載っていた。

「魚はいかがでしたか?」

 チョコレートアイスを食べつつセラフが尋ねる。悪くなかったと、私が言うとセラフは苦笑いした。

 言峰は皿を集めて奥へと消える。

 丸くなった彼の背を見送って、セラフは身を乗り出して囁いた。

「スズネさん。こういう時はですね? 嘘でもいいから、美味しかったと言うべきですよ」

「でも、嘘はダメって」

「もちろんそうですが。時には嘘も必要になるんですよ。ほら、言峰さん落ち込んでいますよ。だれですか、そんな極端な事を教えたのは」

 鼻を鳴らして麦茶を啜る。口の中の甘さを流して頬杖を突く。そしてため息を一つ吐き出し、窓の外に目を向けた。

 眼下では環太鉄道が到着したらしい。暗い海から光が漏れる。発車サイン音も無く光は海へと滑り出し、光はそのまま海に消えていく。

「そうそう。スズネさんに見せたい物があるんですよ。ちょっと待ってくださいね」

 手動操作でファイルを開く。そして彼が両手を開くと、仮想の花が現れた。

「どうです? 美しいでしょう。花言葉は、奇跡、神の祝福、そして不可能を可能にする」

 テーブルから生える一輪の花は、バラだった。それもよく見る赤色では無い。まだ暗い空のような、深い深い青色だった。

 青いバラをネットで探す。実物だったら存在するが、仮想の物は無さそうだ。セラフがネット上にアップロードしない限り、世界に一つだけの花となる。

「きれい」

 花なんて、とも思ったが、呟かずにはいられなかった。

 花弁は幾重にも重なって、内へ行くほど密度が上がり青から紺へと濃くなっている。加えて香りもあるらしい。甘く、芳しい香りが周囲を包む。食べ物の匂いさえも上書きし、心落ち着く安らぎを感じさせる。

「スズネさんの為に用意しました。良ければ受け取ってください」

 大きな棘に注意しながら花を取る。物理演算、コリジョン共に実装されているようだ。茎に付いた腺毛の柔らかな触感が感じる。深い緑の艶やかな葉が一枚落ちて、風の無い中一回転し、テーブルの上に音もなく落ちた。

「実はちょっとしたスクリプトが仕込まれています。ネットから落としたものですが、ある日、ある時間になった時、それは動き始めるでしょう。どうなるのかは、スズネさんご自身の目で確かめてみて下さい」

 視線操作で花瓶を出す。丸くて小さな白色をした一輪挿しの花瓶だった。青いバラを差し入れて、落ちた葉を摘む。人さし指と親指で挟んで反転させる。光沢のある表面に、光沢の無い裏面と、マテリアルまで作り分けられている。浮き出た葉脈さえも、一つとして同じものは無く、本物と見間違うほど微細にわたり作り込まれていた。

「花のファイルは差し上げます。スズネさんの身近な人にプレゼントしてあげてください。きっと気に入ってくれると思いますよ」

 部屋の中にわずかながら風が吹く。青いバラが小さく揺れる。花が私の方にたわむ様子は、さながら頷いたかのようだった。

 身近な人、か。焦点の合わない目で花を見ながら思い返す。

 センか、シズクか。どちらかくらいしか居ない。

 もっとも、シズクは猫だから人と呼ぶには難がある。とは言え、身近であるにも変わりない。猫は、特にシズクは好奇心が人一倍に強いから、興味を示してくれるだろう。

 そろそろ、とセラフが言って立ち上がる。見れば優に一時間以上が過ぎていた。

 花を消す。そしてファイルを保存する。

 退店を察した言峰が、立つに合わせて椅子を引く。私とセラフを店の入り口まで見送ると、軽く会釈し微笑んで言った。

「またのご来店をお待ちしております。次は全て食べて頂けるよう、存分に腕を振るわせていただきますからね」

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