第13話

 次の日もまた、私はセラフに会いに来た。シズクは置いて一人でだ。

 変わらぬ海の波の音に、変わらぬ風の音が乗る。彼は宣言通り今日も居た。旧式のカメラを使い、フラッシュを焚いて海を撮る。

 ベンチに座って彼を待つ。

 位置を変え、体勢を変えつつシャッターを切る。二度、三度を一組に、レンズを回してシャッターを切る。何を撮っているのかと、聞いたところで海だと彼は答えるだろう。

 私にとって少し背の高いベンチの上で足を自由に遊ばせる。靴底が辛うじて地面に着く程で、擦れる度に音が鳴る。

 撮り終わり、すぐ隣に腰かける。アナログのカメラを弄り、大きなレンズに蓋をする。首かけ紐に任せて手を放す。両手で後ろに手をつくと、星の少ない夜空を仰ぐ。

「今日は星が綺麗ですね」

「星?」

 空を見上げるも星はいつもと変わらない。街の光に照らされた天蓋は、一等星と二等星、良くて三等星までが見える。

 ベガ、アルタイル、デネブから成る夏の大三角形に、獅子座のデネボラ、牛飼い座のアークトゥルスが輝いている。それらすべては視界の中で名前が映り、モチーフとなったイラストと共に夜空に浮かぶ。

 私の中の端末が気を利かせて星空の明度を落とす。空は見る間に星に満たされ、天の河、ミルクの道が夜の空を横断している。数多の星により霞みがかった夜の空は、たとえ疑似的だろうと美しいのに変わりない。

「そう。ほら、あっちから、向こうに連なるあの星が」

 東から西へ向かって指で追う。一生懸命、意図するものを探してみたが分からない。見た事の無い天体か、はたまた光量が抑制された月のことか。

「いいですよね。あれこそ人類史に残る最大級の発明だと思いますよ」

 どれのことかと尋ねてみれば、あれです、と答えた後に、スターリンク衛星群ですよ、と付け加える。

 視界が戻る。星座に重なるイラストは消え、星々についた名前も無くなった。空の明度も元に戻って、天の河は消え失せる。

 輝く月の光の中で点々と少ない星が輝く。見えていた天の川を斬るように、連なる衛星群が光を放つ。唯一月を除いてしまえば、どの星よりも明るくあった。

「ご存知かもしれませんが、あの衛星群ができるまで、宇宙船は地表から打ち上げられていました。成層圏をも突破して、上空八十万キロを超えるんです。大量の推進剤を消費して、辿り着けるとも限らない宇宙への旅を繰り返していました。そしてようやく辿り着いた宇宙から、地球を見た人は言ったんです。地球は青かった、ってね。

 それからもう百年、いえ百年以上経った今、誰でも気軽に地球を出られるようになったのです。命の危険など心配する必要もありません。ソビエトと中国との戦いにおいて、僕達の国は勝利しました。その結果、得られたものの一つがあの衛星群です。衛星群があることにより人類最後のフロンティアが拓かれたんですよ。そう考えると感慨深いものがあると思いませんか?」

「さっきの言葉」

 私は言った。

「地球は青かった、って。ソ連の人でしょ」

「バレちゃいましたか。えぇ、その通りです」

 彼は笑った。

「いずれにしても技術力の無かった時代と比較して今は安全ですし快適です。衛星上で仕事し、生活している人もいます。今だって人類の夢の為にも、土星探査を行う最高性能の宇宙船を建造している最中です。ここからだと。うん。見えないですね」

 彼が言った宇宙船は反対側だと表示された。地球の反対側にある米大陸の付近の宇宙空間で、今なお建造中らしい。

「将来的には外宇宙探査も行われるでしょう。人類が外宇宙へと進出し、未知の領域を探検するんです。大航海時代や西部開拓時代にも匹敵する、新たな黄金時代が訪れるんです。宇宙開拓を行えば、いずれ人類は地球外知的生命体に会えるかもしれない。新たな知識を得てブレイクスルーが起こるかもしれない。そう考えている人もいるくらいです」

 ですが、と彼は話を区切る。

「宇宙を探索すれば本当に知的生命体に会えるのでしょうか。可能性はあるでしょう。しかし限り無く無に等しいと思います。当然ですね。宇宙は広いのですから。会うためにお互いに探そうとした上で、偶然に偶然が重なる必要があると思います。だから遭遇するのはもっと先の遥か未来となることでしょう。

 とは言え、人は既に地球外知的生命体と遭遇しているのかもしれません。自ら考え意志を持ち、自我と自意識により自己を認知できる。人類を超越した神にも等しい存在。そうですね。例えば、コンピューターの中とかに」

 青い瞳は氷のように夜空の星が映り込む。角膜の更にその下で、放射状の山脈さえも一つ一つ見て取れる。暗黒色の瞳孔へと集中するその線は、どこまでも深い暗黒の穴の中へ落ちて行く。

「高度に発達した知的生命体に肉体の有無は必須条件ではありません。意志と感情、そして記憶があれば良いんです。地球外とも呼べるサイバー空間内にて、いずれの条件も満たすシステムが存在すれば最早、地球外生命体とも呼べるでしょう。もっとも、生命体と呼称しながら生命ではないなんて、おかしな話でありますがね」

 彼は笑ってベンチを立つ。波の寄せる海岸前まで歩み出ると、海を見ながら伸びをした。星が映る水面は揺らぎながら岸へ当たり、高く上がって砕け散る。先日よりも風は強く、思わず帽子を抑えつけた。

「どうでしょう。今日は環太鉄道の駅まで行ってみませんか。美味そうなレストランがあるんですよ」

 ベンチから立つ。そして彼の案内に従って、海岸線沿いを歩く。帆船のマストを模したタワーがライトアップされて、奥では色彩豊かな観覧車が回る。自動車が地上を走り回っていた時代に建設された巨大な橋を遠巻きに、私達は地下へと潜る。

 一台の自動車が例の如く待っていた。彼は私に乗るよう言って自らも乗る。車内のルームサービスに飲み物を頼む。私は温かな紅茶を、彼は冷たいコーヒーを注文した。

 背もたれに格納されていたテーブルが展開されて、グラスとカップが置かれる。それぞれに飲み物が注がれて、グラスに紙ストローが差し込まれた。

 湯気立つカップを口へと運ぶ。車の中であろうとも、いつもと同じ紅茶の香りが鼻を突く。ミルクと砂糖をたっぷり入れた紅茶からは、仄かにレモンの香りが感じられる。

 いつもの甘さに息をつく。隣のセラフはと言えば砂糖もミルクも入れる事無く、紙ストローでかき混ぜる。回す度に氷同士がグラスにぶつかり、涼しげな音を奏でた。

「環太鉄道の駅に行ったことは?」

「ない」

「そうでしたか」

 コーヒーを飲む。彼のグラスは早くも結露し始めて、表面が白く曇りつつある。指の跡を残したままテーブルへと戻す。

「では海の外に出ようと思ったことも無さそうですね」

 彼の問いに頷く。

 海外へ行く必要も理由さえも無かったから、考えたことも無かった。各国観光地に赴かずとも、今の時代なら仮想観光だけで良い。むしろ観光と言えば仮想観光が大半で、実物を見に行く者は滅多にいない。

 理由は単純。最小限の労力で、最大限の感動を得ることができるからだ。

 たった一人ででも、複数人ででも、たとえ見知らぬ誰かでも、仮想観光は全てを実現してくれる。朝昼晩といつだろうとも、最も美しい時間で、他の人を気にもせず。好きなだけ鑑賞できる。

 これが実物を見に行ったとあればどうだろう。少しのゴミに幻滅し、周囲の環境にがっかりし、疲労困憊になって帰宅するのだ。海外ならば言葉だって分からない。犯罪率がほぼゼロの日本から、数十倍どころか数百倍もの海外を出歩く羽目になる。

 であればこそ、風化し続ける現物よりもコンピューターがある限り、未来永劫不変となったデータの世界を見る方が、よっぽど有意義であるはずだ。

 特に会話をする事も無く、目的地へと到着した。彼はグラスをそのままにして車外に出る。差し出されたセラフの手を断って、彼に続いて降り立った。

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