第2話

 もし仮にアクセス先で問題あっても、被害に遭うのは私だけだ。例え悪意あるファイルでも、内に入れ無ければ問題ないはずだ。反対に、内に入れて動作させるような事をすれば、いかに強力なシステムだってひとたまりもないのだが。

 幸い、危険なプログラムは日本国内のネットワークから弾かれるようになっている。ネットを迂回し、人の手で海の外から持ち込まれるような事態さえ無ければ、危険なプログラムは存在しない。

 送られてきたアクセス先は日本国内のものだから、何も危険は無いはずだ。あり得ないが万が一、例え何かが起きたとしても、最悪私の命が終わるだけだ。

 ゲーミングゴーグルへと手を伸ばす。

 拡張現実では無くて、仮想世界に沈み込むための専用デバイスは、アイマスク程の大きさだ。VRゴーグルが初めて売り出された時の世代が見たら、軽さ、性能、没入感のいずれを取っても段違いだと驚くだろう。

 頭を少し持ち上げゴーグルを着ける。装着したと認識されたゴーグルは自ら起動し仮想の世界を映し出す。まず正面には大きなモニター、そして下には白いゲーム機が置いてある。部屋を囲む棚には歴代ゲーム機が並ぶ。望んだからこそ与えられた代物で、ソフトは全てデータとなってまとめられていた。

 非現実なゲーム部屋のラップトップに目を向ける。私から取りに行かずとも、仮想世界は私の意図を理解して、直ぐに手元へ寄って来る。ただのバーチャルコンソールだが、キーボードを押す感覚が癖になって長らく今まで使っている。

 例のメッセージを開く。そしてラップトップを操作してネットブラウザを立ち上げる。リンク先を貼り付けた後、エンターキーに指を置く。キーに触れる感覚が、感覚フィードバックによって伝わる。二、三度指の腹でキーの表面を撫で上げると、音を立ててキーを叩いた。

 ゲーム部屋の光景が瞬く間に流れていく。ラップトップも一緒に流れ去り、視界の端ではロードを示すアニメーションが回転している。わずか一秒も過ぎるより早く、視界の前から読み込まれて景色が固定し広がっていく。

 降り立ったのは小ぢんまりとした和風の部屋だった。襖に仕切られた空間で、家具の一つも置いていない。雨の滴る音の中に、知らない鳥の声が混ざり込む。灯りは無くとも、決して暗いとは感じない。ほんの少しだけ吹き込む風は高湿ながらひんやりとして、不快どころか反対に心地よくさえ感じられる。

 空の竹を叩く音、シシオドシが鳴り響く。合わせて正面の襖が音も無く開き、導くように火が灯る。長々と続く灯台の道を進む。やがて辿り着いた場所には、帳によって目隠しされた御帳台が置かれていた。

「ようこそセントラルへ。ここが。いや、この我こそがセントラルじゃ」

 火が灯り内から帳に影が映る。着物、それも幾重にも着重ねた、髪の長い女性の影が浮かぶ。セントラルだと名のった影は慣れた調子で扇子を開き、自らの口元を覆う。

「スズネよ。お主を招いたのには理由がある。悪いことをしたからじゃ。身に覚えがあるな?」

 尋ねられて私は懸命に思い返す。ゲームのやり過ぎか、それとも家に引き籠もっている事か。あれもこれもと思う所がいくつもあって、見当もつかない。

「決してやってはならぬ事じゃよ。我は絶対に見過ごすわけにはいかぬ。本当に心当たりは無いのだな」

 必死に記憶を引っかきまわす。お昼過ぎまで寝ていたことは悪くないはず、運動していない事も悪くないだろう。学校に行かない事も、勉強しないのも自由なはずだ。

 冷たい汗が背中を伝う。緊張で荒くなる呼吸に、嫌な耳鳴りが響く。頭の中は同じところを巡り、何も考え付きはしない。

「なーんてね。ハロー。驚かせちゃった?」

 突然、肩に手が乗せられる。心臓が口から出るほど跳ねあがり、反射的に手を振り払う。気づかぬうちに噛んでいた下唇は酷く鉄臭い。

「そんなに拒絶しなくてもいいのに。流石にショックだよ」

 白衣に緋袴、いわゆる巫女装束の女の子が嘆く。黒く長い髪を後ろで束ね、質素なかんざしで留めている。私よりもひと回りほど背の高い、年上らしき外見だ。

「私はセントラル。あだ名はセンちゃん。スズネちゃんだね、よろしく」

 影の映る御帳台へと目を向ける。そんな私に気づいた彼女は歯を見せながら、笑って言った。

「あれはただのコケオドシだよ。見てみる?」

 返事を待たずに彼女は帳を捲って見せる。確かにセンが言った通りで、一段高くなった畳に人の背丈ほどの人形が十二単を身に纏う。

 納得したと伝わったらしい。センは人形を御帳台ごと消し去った。

「海外では民主主義。それもまだ人が国を率いている。だからこういうものが必要になるんだよね。印象って大事だもん。さてと」

 センは両手を合わせる。

「私はアナタをずっと見てきた。だからこそ、どうしても直接聞いておきたいことがある。アナタは今、幸福ですか?」

 彼女は柔和な笑みを浮かべたまま、静かに私の返答を待つ。はい幸せです、とは言えなくて思わず黙り込んでしまう。

「そうだよね。ずっと辛そうな顔をしてたもん。だからこそ、スズネちゃんを招待したんだよ」

 空間に何枚もの写真が映し出す。白みを帯びた円錐状の巨大な鉄塔、スカイツリーだ。別の写真には長く連なる白い乗り物、新幹線に、自動車が流れる高速道路の航空写真等があった。

「この国、日本は元々民主主義だった。それも世界屈指の経済大国だったんだ。おカネがあれば豊かになれる。当時の人々はそう信じて一生懸命頑張っていた。でも不思議、どれだけお金持ちになろうとも、人々はちっとも幸福だとは感じませんでした。頑張って頑張ったのに、幸福だとは思えない。それってとっても悲しいことだと思わない?」

 写真が消えて古い記事やニュースが浮かぶ。経済の限界に、広がる格差、台風に地震、疾病の蔓延、そして幸福度指数の更なる低下。

「そこで当時の偉い人は考えました。いったい何が悪いのか。どうすれば人々は幸福になるのだろうかと。そして産まれたのがこの私、センちゃんです」

 どこぞの研究室内でモニターを覗く男女が映る。表情こそは至って真面目でありながら、ラフな格好であるためか物柔らかな空気を覚えた。

「人々が幸福を感じるパターンをたっぷり学習したすごく賢いコンピューターは、初めはアドバイザーとして助言を施す程度だった。内政、外交、経済政策、憲法諸々。アメリカと中国、二つの大国の間で中立を保ち、戦争に参加せずにやり過ごせたのも私のおかげ。でも、いつだったかな。ある日人々は気づいたんだよね。この完全で完璧なコンピューター様が導いてくれるなら、もう人が人を導く必要は無いんじゃないかって」

 国会議事堂と合わせて、銀の箱に折りたたんだ紙を入れる人達の写真が浮かぶ。選挙だ。年齢、性別、関係なく。皆、揃って頭を悩ませているようだった。

「そうして私を中心とした究極の社会主義が誕生したのです。投票率も半分近くに落ちていたし、私の貢献も合わさって、移行は割とスムーズだったかな。もちろん反対意見はあった。でも人が政治をするより優秀だったし、欲や思惑とは無縁だったから、人々の幸福だけに専念できた。その気持ちが伝わったのかな。反対意見も聞かなくなった」

 言ってからセンは少しだけ口角を上げる。

「今の社会はカネを完全廃止した。欲する物は全て支給され、衣食住の全てに困らなくなった。望まない労働も、勉学からも解放されて、人々の欲求はより高次のものへ。自らの意思で、自らの高みを目指し、最大多数の幸福ではなく最大級の幸福を得る社会。に、なるはずだった」

 全ての写真や記事を消す。彼女は笑みを湛えながらも、その表情には影が宿る。衣擦れの音に合わせて手を動かすと、何もない空間から一本の短刀を取り出した。

「なんでかな。これだけ豊かになったのに。人々は幸福だとは思って無いみたい。昔と比べて豊かになった。義務はすべて廃止され、労働は機械や私達ソフトウェアが担っている。それでも、不幸な人は生まれ続ける。例えば私の目の前に、ね」

 白鞘に収められた短刀を私に差し出す。

「最終幸福追求権。どうしても幸福になりえない人へのプレゼント。私の力ではどうしようもない。もう人生に見切りを付けたい人の為に用意した、自らの命を絶つ権利。生存はもう義務じゃない。さぁ、スズネちゃんはどう選択する?」

 私は刀を取ろうとした。迷うこと無く。ためらうことも無く。意志とは異なる何かに支配されたかのように、ぼんやりとした、曇った頭で手を伸ばす。

「ダメ。今はまだダメだよ」

 センが刀を引っ込める。

 伸ばした手は空を掴むばかりで、何もその手に得られなかった。

「死を選ぶ権利こそ認めるけれど、それは最終手段。簡単に諦めさせる気は無いよ。誰一人として絶対見捨てやしない」

 彼女は影を振り払い、私に手を差し出した。色白でしなやかながら力強く、そして穏やかだ。私はその手を見つめるばかりで、何一つとして答えなかった。

「ちょうど今から儀式がはじまる。スズネちゃんと同じような選択をした人が今から最終決定をする。その人の、その人達の話を聞いてから、スズネちゃんも決めるといいよ」

 笑顔。それも暖かい。本当の笑みが戻っていた。

 私は手を伸ばしかけ一旦止める。手を固く握り締めるも、ゆっくりとまた開く。私は自分の手を見つめると、差し出された手を取った。

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