五章 未来の軌跡(1)

 魔術学院に入学して一年目の祭りの夜に、テオはシャルロに殺された。

 その後のことはセレナは知らないはずなのに――それから先の光景が、浮かんでは消えた。まるで先日見た、夢の続きのように。



 葬式からしばらく、なにも手につかなかった。

 遺品として渡された小さな包みを開けると、見覚えがあるペンダントが入っていた。子供の頃にテオに贈ったものが、いまになって返ってきた。

 やっぱりわたしには魔術の才能はなかったらしい、とセレナは嘆息した。

 こんなものがあったところで、テオは手が届かないところへ行ってしまった。ずっと一緒にいることは叶わなかった。

 シャルロは学院を去り、謹慎処分として学院長の別邸の一室に幽閉されていると聞いた。場所を聞き出して学院が休みの日に何度か話をしに行ったが、いつもはぐらかされた。

「どうしてテオを殺したの?」

「近くにいるやつ同士ほど、色々あるだろ」

 鉄格子の向こうから、シャルロは飄々と述べた。

 学院長の別邸になぜこんな部屋があるのかと疑問に思うような、鉄格子で仕切られた簡素な部屋で、セレナとシャルロは向き合っていた。

 牢獄と言うほど酷い部屋ではなく、不衛生さや寒さとは無縁そうな一室だ。鉄格子の向こうのシャルロも罪が発覚して幽閉されているというのに、まったく追い詰められた様子はなかった。

「じいさんにあいつの面倒を見てやれって言われてたけど、見ての通り性格も趣味嗜好も正反対。一緒にいて軋轢がないわけねえじゃん」

 軽い調子で会話をされると、学院で世間話をしているかのように錯覚する。あの頃とは状況がまったく変わってしまったというのに。

「……その軋轢の内容を聞かせてもらいましょうか」

「どうせなにを言ってもそんなことで、とか思うだろ。それともなんかの物語のように、オレの知り合いがテオの親に殺されたからその復讐で、とか言えば納得すんのか?」

 見透かされた気がした。そうだ。どんな理由があろうと、テオを殺した正当な原因として受け入れられるはずがなかった。

「それにオレがなにを言ったところで、セレナは信じないんじゃねえの」

 挑発的にシャルロはそう言った。

「この国じゃ、貴族や名門の魔術師の家の若者が一人殺したくらいじゃ、処刑されねえ。レヴィナス家の分家の子息じゃ、なおさらだ」

 それが常識だと、遥か高みから言葉を投げかけられた。今回の件も、一応テオが学院長の養子だからシャルロはいま謹慎処分を受けただけで、殺されたのが魔術師ですらないただの平民だったら、問題にすらならなかっただろう。

 あるいはこの幽閉すら、対外的な見せしめに過ぎないのかもしれない。セレナが訪ねてきたときだけこの部屋で囚われているように見せているだけで、普段はこの別邸で悠々と暮らしながら魔術を勉強しているのかもしれない。

 セレナの頭に浮かんだ予想を知ってか知らずか、シャルロは笑った。

「お前が卒業する頃には外に出てるだろうな。オレを殺しに来るか? あいつの復讐に」

 家の格はレヴィナス家の分家のほうが、エスラン家よりも遥かに上だ。シャルロを殺したら、セレナは処刑されて終わりだろう。だが、

「……それでテオが生き返るなら、とっくに殺してるわ」

 シャルロを睨みつけて、セレナはそう告げた。

「あーあ。目撃者がいなけりゃ、そもそも事件は揉み消されただろうに」

 怒りが込み上げて、セレナは力を込めて鉄格子を握り締めた。鉄格子は少女一人の力で外れることも曲がることもなく、まるで中にいる者を護るかのように、部屋を二分していた。

 別邸をあとにして馬車に揺られながら、ようやく落ち着いてきた。シャルロと話をしても埒が明かない。彼を殺したところでどうにもならない。

 ――他の方法を考えなければ。



 必死に勉強して、魔術を学んだ。最高学年の三年になった頃には成績上位者に名を連ね、教師からは一目置かれた。

 でも駄目だ。まだ足りない。セレナは自分が学院長やハインリヒのような生まれつきの天才ではないと自覚していた。

 だから天性の才能に頼るのではなく、努力を重ねるしかなかった。なにかに取り憑かれたかのように、時間と労力をかけて魔術を磨いていった。

 卒業後は魔術の研究機関に所属することになり、一心不乱に魔術の研究をした。日々の研究で魔術を発展させ、多くの人を救った。

 人間の人体と成分的には変わらないものを人工的に作り出す技術で、魔術と医術の様々な分野に貢献した。

 使える者が限られる能力についての研究も進めた。能力により異端視されている者や振り回されている者の事例を集めて、それらの能力を抑える魔術式を組み上げた。

 実験に協力してもらう代わりに、能力を抑える魔術式を刻み込んだ魔術道具を与えると、大層感謝された。

 抑えられるのなら、拡張させることもできる。本人が希望するなら能力を強化する魔術をかけることもあった。

 研究機関に入って数年経つ頃には、セレナは若くして世界屈指の大魔術師と呼ばれるようになっていた。

 だが、功績も名誉も心を埋めてはくれなかった。

 財産が増えても研究ばかりの日々では使う暇はなく、どれだけ金があったところでずっと前に死んだ人間を蘇らせることはできなかった。

 人工的に作り出した肉体に魂が宿ることはなく、そもそも後から作った身体はいくら外見を似せて作ったとしても、彼を構成するものと同じものでできているわけではなかった。

 ただ一つ、大切な人が生きていてくれたら他になにもいらなかったのに、それだけは叶わなかった。



 魔術学院で、様々な分野で現在活躍している卒業生を招いた講演をする催しが開催されることとなった。講演者の一人として呼ばれたセレナは久しぶりに母校に向かった。

 講堂で自分の順番を待っていると、学院長が講演の前に壇上に立って、生徒と招いた卒業生に向けた言葉を口にした。

 同年代の卒業生は久しぶりに会うと年を重ねた様子に驚くが、学院長はそれほど印象は変わっていない。それでも顔のしわは深くなり、腰が曲がったようだ。

 講演を終えてから在学中お世話になった先生に挨拶に行こうかと、セレナが聴衆がいなくなった講堂を歩いていると、同じく講演者の一人として呼ばれていたハインリヒが声をかけてきた。

「セレナ、久しぶりだな。今回は忙しい中、よく講演に来てくれた」

 彫像のような顔はセレナが知るものよりも大人びて、学生の頃よりもがっしりした身体に立派なローブをまとっていた。

 ハインリヒは現在、魔術の研究開発をしつつ、飛竜に乗って各地を回って魔術師の腕を発揮しているという。爬虫類が苦手なのは克服したのか、竜と爬虫類は別物扱いなのか。

「先輩のご活躍も伺っています。学院長はお変わりないようですね」

「といっても寄る年波には勝てぬよ。一見以前と変わらぬように見えて、あちこちがたが来ているようだ。いまになって学院長の後継者を探しているが、もっと前から育成しておけばよかったものを」

「ハインリヒ先輩、学院長を引き継がれるのですか?」

「いや。私も当主も、まだ学院の運営の頂点に立つ気はなくてな。先代は親戚筋から探しておる。私は私でやることがあるのだ」

 学院にいた頃はハインリヒはレヴィナス家の跡継ぎだと有名だったが、学院長の座には興味がないらしい。

「昔から存在しているが使える者が限られている術が、もう少しで魔力を持つ魔術師ならもっと楽に使えるものになるかもしれぬ。お前の研究成果ほどではないが、魔術師の間ではなかなかの革命になるのではないかと自負しているぞ」

「それはすごいですね」

「うむ。正式発表される日を楽しみにしていてくれ」

 自信満々に語るハインリヒは、ある意味昔から変わっていなかった。だが、初対面時の悪印象はいまはなかった。

 テオの死後、ハインリヒはセレナのことをなにかと気遣ってくれた。その気遣い方は、決闘を申し込んできたときのような押しつけがましいものではなかった。

 セレナが現在こうして成功したのも、魔術をしっかり勉強しようと一念発起したときに、ハインリヒに勉強を教えてもらったり、魔術の鍛錬に付き合ってもらったのが大きかった。入学当初の躓きを乗り越えられたから、次の段階へ進めたのだから。

 ハインリヒはセレナの恩人だ。テオの死から立ち直って欲しいという先輩の目論見は、表面上取り繕えるようになっただけで、達成されなかったけれど。

「セレナは最近、どうなのだ。一時期先代が、時々でいいから学院に講義に来て欲しい、できれば非常勤教師として学院にも所属して欲しい、と勧誘しておったようだが」

「自分の研究が忙しいので、そんな余裕はありませんね。それに学院長は成功した卒業生全員にそうした声をかけているでしょう。わたしだけではありませんよ」

 そう返すと、ハインリヒは残念そうに息を吐いた。

「――私としてはセレナが学院にいるのなら、学院の業務をもう少し手伝う気にもなったのだがな」

「あら、先輩がそこまでわたしを認めてくれていたとは知りませんでした」

「いまでは私以上に有名な大魔術師ではないか」

 盛大に賛辞を送ってから、ハインリヒは声を落とした。

「それに――お前を一人にしておくのはどうにも心配だ」

「それはどうも。ですがご安心を。あれから何年経ったと思っているんですか。あとを追う気ならとっくにやっています」

「……研究で忙しいのに、墓参りは欠かしていないと聞いた」

「先輩だってご家族や先祖の墓参りに行かれるでしょう? それと同じです」

「……普通、子供の頃の知り合いや学生時代のわずかな期間の友人に、そこまで執着しない」

「そうですね」

 在学時、ハインリヒは普通の生徒とは一線を画した存在だった。そんな先輩がそうした定義をするのがなんだかおかしかった。

「でも大丈夫です。最近は寂しくありませんから」

「おお、ずっと研究一筋と聞いていたが、やっと結婚する気になったか」

「いえ、そういうことではありませんが」

 名門の家は結婚して子孫を残すことが第一のようで、それ以外の人と人との関係は認めていない。思い至りもしないのだろう。

 そういえばブランシュは狙っていた名門の魔術師の跡継ぎとの仲は破局したが、そこそこの家の魔術師と結婚したという。

 みんな変化していく。研究機関に入ってから、ある意味同じことを繰り返しているセレナは、たまに時間に置いて行かれるようにも感じた。

「あとは――」

「あ、今更シャルロに復讐する気もないですよ」

「さらりと言うな……」

 ハインリヒは頭痛を堪えるように頭に手をやった。

「まったく……シャルロもなにを考えていたのだか」

 あの一件から大分年月は経過したのに、シャルロの真意は本家の子息も知らないようだった。

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