四章 少年の過去(2)
――お前は生まれながらにして他にはない力を持っている。多大な魔力だけではない。名門の魔術師でさえ使えない力だ。さすが私の子供だ。選ばれた存在なのだ。
そう、父に言われ続けてきた。
――だからどれだけ痛みを感じても我慢しなさい。我らはテオを素晴らしい魔術師にするために、お前のための思ってやっているのだから。
そんな親と暮らす毎日が、テオにとっての日常だった。
生まれ育った家は、普通と違うのかもしれない。そうテオが気づきはじめたのは、魔術師の子供を集めて勉強を教える私塾に入ってしばらくした頃だった。
無邪気で無垢で無知で、万能感に満ちていて、自由奔放で幸せそうな子供たち。年上の子供だけでなく、同じくらいの年の子供も、自分とは違う存在に見えた。
普通の魔術師の家の子供は、家族から魔術の実験を施されてはいないらしい。痛い想いはしていない、苦いものばかり食べさせられてはいないようだ。
それどころか毎日好き勝手に生きている。好きなように笑い、泣き、怒り、授業中におしゃべりをして遊びだす子が何人もいた。
大人の意に反することをしたら、叩かれて怒鳴られるものではなかったのか。私塾の先生は穏やかな性格の人で、注意はしても子供に対して手を上げることはなかった。
そんな子供たちを、テオは冷めた視線で見つめていた。
――この子たちは僕とは違う。
そう感じた。
――私塾は基礎的な勉強を身に着けるために行くものだ。他の魔術師の子供と慣れ合う必要はない。
父が言ったことが頭を過ぎった。命令に反することをしたらまた叱られるだろうな、とも。
子供は無邪気だからこそ残酷だ。悪気なく、異端と断じた者を排除しようとする。
無視されるだけなら気が楽だったが、大勢で取り囲んで暴力を振るうことで自分の力を誇示しようとする数人の集団が、その私塾にいた。
その集団はテオよりも少し年上の子たちで構成されていた。中心にいる男子はずんぐりとした体格で同年代の子よりも発育がよく、痩せっぽちなテオよりもずっと大きく見えた。
塾での勉強が終わった帰り道で、私塾近くのひと家がない地で殴られ、蹴られた。罵声を浴びせられた。家の中も外も同じだと感じた。
父に何度か言われたことがあった。
――お前は他の魔術師の家の子供よりもずっと、魔術を習得している。だからこそ、攻撃の魔術を他人に使ってはならない。この家の評判を落としたくはないだろう?
だったら暴力を振るうのはいいのか。親が子供に苦痛を与えるのはいいのか。
親に魔術を使って怪我させたら、食事を作ってもらえなくなるかもしれない。魔術師としての仕事ができなくなり、お金を稼げなくなるかもしれない。
だから親は自分たちの身体では実験せず、痛いことは子供に押しつけているのだ。
――この子たちを傷つけても、僕が困ることはない。
家の評判が落ちたら父に怒られるだろうか。まあいいや。親の言うことを聞いて大人しくしていても、魔術の実験はいつまでも続いて、痛いことは終わらないのだから。
魔術を行使するために使う杖は、私塾に行く際は持って来ていなかった。だが時間はかかっても、精神を集中させて魔術を発動させることはできる。
苦痛には慣れていて、肉体の痛みと精神は別物として切り離せた。それにテオを取り囲む子供たちは自分たちの優位を確信していて、逃げることなどないだろうから。
やり返そう、と決めた直後。
「こらあ、やめなさい!」
叫び声とともに年上の子たちの集団に飛び込んで行ったのは、今日から私塾に入った波打つ黒髪の女の子だった。
多勢に無勢、数人の年上の子たち相手に敵うはずもなく、ぼこぼこにされたけれど。
闖入者が盛大に騒いだからか、通りかかった自警団員が近づいてきて、喧嘩をしている子供たちを引き剥がした。
その隙に、へたり込んでいたテオは少女に腕をつかまれて引き起された。そして自警団員が止める声も聞かず、少女はテオを引っ張って逃げ出した。
しばらく走ってからひと気のない場所に建つ建物の影で足を止めて、少女は誰も追って来ないことを確認した。
「大丈夫?」
「……そっちこそ」
二人とも服は土埃にまみれていた。テオほどわかりやすく怪我はしていないものの、少女も突き飛ばされたり転んだりして、あちこち痛いはずだ。
だが少女は酷い目に遭ったわりに、けろりとしていた。
「昔話に出てくる、困っている人を助ける魔術師のようにはいかないわね。でも安心して。次はもっとうまくやるわ」
物語の影響を受けて、自分もすごい存在になれるのではないかと思い込んでいる子。毎日なに不自由なく暮らしているから、そんな考えに思い至る、幸せな子供。
最初の印象はあまりいいものではなかった。
「それであなた、同じ私塾の子よね。名前は?」
「テオドール・カナート……」
「じゃあ、テオって呼ぶわね」
身内くらいしか呼ぶ者がいない愛称を、彼女はごく自然に口にした。
「さっきはありがとう。じゃあ、これで……」
社交辞令として淡々と礼を述べて別れようとしたが、踵を返して歩き出そうとすると腕をつかまれた。
「待って。わたしの名前、言ってみて」
「……」
私塾の先生の名前は憶えていたが、同じ部屋で勉強する子供の名前など、ろくに認識していなかった。今日私塾に入った子ならみんなの前で先生が紹介したはずだが、興味がない情報は耳に入っても頭に残らずにすり抜けていた。
なにも言えずに押し黙っているテオに、彼女は名乗った。
「セレナ・エスランよ」
第一印象は悪かったはずなのに――名前を口にして微笑む少女に、テオの心はざわめいた。
翌日。私塾の授業が終わった後、セレナがテオを追いかけてきた。
「ねえ、先に帰らないでよ。またあの子たちに絡まれたら困るでしょ? わたしが護ってあげる!」
「いい。必要ない」
「じゃあ、テオは友達がいないみたいだから、わたしが友達になってあげる」
「いらない」
同じ年の子供に対して姉御風を吹かせたくて、集団から外れた子供の面倒を見たくて堪らなくて、弱者を護ってあげることで自分の存在価値を確かめたい。セレナはそんなお節介な少女に思えてならなかった。
「おかしいわね。弟や妹に遊んであげるって言ったら喜んでくれるのに」
「遊び相手は求めてないから」
「じゃあ、一緒に身体を鍛えましょう。あの子たちに勝てるように」
鍛えるまでもなく、魔術を使えば簡単に勝てる。そう言ったら、セレナは気に入らないと怒るだろうか。自分より強い存在の面倒を見ようとは、思わないだろうか。
結局テオは、既に魔術を使えることをセレナには言わなかった。
最初、テオはセレナのことを鬱陶しく感じていた。けれど同じ年頃の子供でテオに笑顔を向けてくれるのは、セレナだけだった。
何度ついて来るなと拒絶しても、セレナはテオに近づいてきた。他の子と一緒になって無視するようにはならなかった。
自分の英雄願望のためだとしても、テオを害する者に立ち向かってくれた。助けてくれようとしてくれた。
セレナがテオにかかわるのは自分のためだとしても、いずれ飽きて他の子と遊ぶようになるとしても――彼女といる時間が長引くことを、テオはいつからか望んでしまっていた。
テオの他者に対しての壁は、セレナに対してはだんだん薄れていった。彼女が無遠慮にかかわってくるのを拒絶しなくなった。
私塾の授業の合間に教室で話をするようになり、一緒に帰るようになった。二人で遊ぶようになり、ともに過ごす時間が増えていった。
セレナと会って何ヶ月か経った頃、教室でこんな会話を交わした。
「最近のテオ、素直になったわね」
「そう?」
「あと、優しくなったわ」
満足そうにセレナは微笑んだ。
「年上の子たちに絡まれていたから、人類はみんな敵、みたいな暗い顔をしていただけで、本当のテオはきっと穏やかないい子って信じていたわ。わたしの読みは当たったのね」
名推理を披露するかのように言うセレナに、テオはかすかな笑みを返した。
セレナに対する態度こそ仮面を被っているようなものだ、と言ったら失望するだろうか。
本当のテオは、魔術師である親の道具だ。意志のない人形と同じだ。感情も情緒も存在しないかのような育て方をされて、同じ年頃の子供とかかわることを禁じられてきた。
魔力や魔術の知識が他の子供よりも秀でているとしても、それだけしかなかった。他者とのかかわり方など知らなかった。
だがいまは、セレナが望む自分でいたかった。ぎこちない笑顔だとしても、付け焼刃の優しさだとしても、こうした姿を演じていたら、セレナの傍にいられる気がした。
――人間に魔術式を刻んではいけないという。だが、禁忌に挑まずしてなにが魔術だ。
――これまでの実験で魔術式との親和性を高めたお前ならば、我らの理想を実現してくれることだろう。
父に破壊の魔術式を刻まれた。まずは利き腕から。これから少しずつ時間をかけて、全部の魔術式を身体中に刻んでいくという。
最初に利き腕を終わらせてしまえば後が楽だからと言われたが、腕が痛いだけではなく、熱が出て酷い頭痛に襲われた。この痛みが何度も繰り返されると予告されたようなものだった。
身体が痛くて動けない間は私塾まで行けない。家にいたら、さらに魔術の実験を施される。体調が悪くても、純粋な休養の時間なんて滅多になかった。
ベッドの中で、テオはセレナからもらったペンダントを握り締めた。
実験や魔術式を刻む間に親に見つかったら取り上げられるかもしれないから、普段は隠し持っているかベッドの中に隠している。テオの宝物だ。
セレナの名前を構成する文字、職人が作ったものに比べたら未熟で洗練されていない形。
小さな装飾品が、彼女とつながっていられる証に思えた。
通っている私塾は十歳までの子供が対象だった。一年経つごとに年上の子が抜けていき、やがて入塾した当初のテオに絡んできた年上の集団もいなくなった。
私塾に通うようになってから三年が経とうという頃、授業が始まる前の教室で二人は話をしていた。
「今年はやっとわたしたちも十歳になるのね。立派な魔術師に一歩近づくのよ。楽しみね」
セレナは自分たちの成長を喜び、大人になることを待ち望んでいるようだった。
もっとも身近な大人、身近にいる魔術師は、自分を害する存在だった。そうした認識のテオは、大人や魔術師という存在に対して夢も希望も持っていなかった。
それよりも、セレナと一緒に私塾に通えるのはあと一年ということに、落ち込んだ。
「私塾の勉強をやり切ったら、そのあとはどうするんだ」
「師について魔術の基礎と心構えを勉強するのよ。それから先は、魔術学院の入学試験のための勉強ね」
目を輝かせてセレナは語る。
魔術の心構えはともかく基礎なら、テオはもっと幼い頃から無理やり教え込まれた。やはりあの家のやり方は、一般的な魔術師の子供に対してやるものではなかったようだ。
心構えは他人に攻撃魔術を使うな、家の外でおいそれと使うな、くらいしか言われていない。
入学試験のための勉強もしたことがない。親がテオを魔術学院に入れるつもりかどうか、そうした話を聞いたこともなかった。
「もしかして、私塾を終わらせた後のことは決まってないの?」
「うん」
「ご両親が忙しいの?」
「うーん……」
多忙ではあるのだろうが、それ以上に両親は一般的な魔術師とは違うようだ。そのことをセレナに伝えたくなかった。
「あの、もしも本当になにも決まっていないのなら――その上で、テオのご両親がいいって言ったらだけど」
セレナは珍しくもじもじした様子を見せた後、意を決した顔でテオに提案した。
「わたしと一緒に、同じ魔術師に教えてもらわない? お父様に頼んでみるわ」
「……本当?」
「私塾をやめた後に、もう会えないなんてことになったら寂しいでしょ」
頬を赤く染めて、セレナはそう言った。
同じ街に住んでいて家が近いとしても、私塾という共通の場がなくなったら、会う機会は激減すると思っていた。
だけどセレナが来年以降も会いたいと言ってくれるのなら、一緒に勉強することは無理でも、つながりは消えない気がした。
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