四章 少年の過去(1)

 装飾品を受け取った直後、テオの腕をつかんで顔を見つめた。紫の瞳にセレナの顔の輪郭が映っている。

「――テオ」

 なんだかもう、泣く気力もなくなってきた。過去に戻ってきたことこそが、あの場でテオが死んだ証明のように思えてしまった。

「セレナ……どうした?」

 気遣う声をかけられた。この場面でテオに心配されるのも三度目だ。案ずるべきなのは、セレナの心境などではないのに。

「……ううん。なんでもないわ」

 顔を背け、首を振った。

「なんでもないような顔じゃ――」

「大丈夫」

 また駄目だった。だが、落ち込んでいる暇などない。絶望するより先に、まだやれることがあるはずだ。

 そうでなければ、なぜ過去に戻ったのかわからない。

「あなたは自分の心配だけしていて」

 それだけ告げて、セレナは夕方の空き教室をあとにした。



 夢を見た。

 セレナはテオの死体に取りすがって泣いていた。温もりがなくなった他殺死体。目の前にあるのは、生きている人間ではなかった。

 場面が切り替わる。魔術学院の講堂で、学院長の養子となった少年の葬式が挙げられた。

 通常、学院で死者が出たら、故郷で葬式が挙げられるだろう。テオの両親はもういなくて現在の養父は学院長だから、学院で式を挙げられることになった。

 現実感が希薄だった。テオも学院の生徒と教師全員に見送られるなんて、思っていなかっただろう。セレナと再び交流するようになってからも、他の生徒とは距離があるかかわり方をしていたのだから。

 親しいと言える相手は、レヴィナス家の分家の少年くらいだった。だがテオを殺したのはシャルロだ。彼は学院を去った。この場にいないのは、よかったのか悪かったのか。

 棺に花を入れる。花で埋められた棺の中に、幼馴染だった存在が入っている。

 泣き続けた後は、セレナの中は空っぽになった。どうすればよかったのか、これからどうすればいいのか、わからなかった。

 ハインリヒに決闘を持ち掛けられたときのように、テオがなにかいい方法を教えてくれるかもしれない。きっとそうだ。裏をかいたような方法だろうが、反則だろうが構わない。それでどうにかなるのなら。

 ――ああ、そうだわ。テオはもう、いないのだった。

 テオがいない未来を生きていく。哀しみは薄れ、幼馴染のことも忘れていく。日常の忙しなさに飲み込まれて日々を過ごしていき、それが普通になっていく。

 そのことを思うと、どうしようもなく恐ろしかった。

 死者に囚われていては前に進めないから。死を乗り越えて、その経験を己の糧にするべきだ。

 そんな一般論は知らない。

 ――わたしは、諦めたくない。

 目が覚めた。涙が頬を濡らしていた。

 これは一周目の記憶だろうか。それとも一周目の世界が続いていたらこうなっていたという予測だろうか。

 一周目の記憶。そんなはずはないのに。テオが死んでいるのを発見してから、すぐに過去に戻ったのだから。

 でもあの夢は、セレナの本心を的確に映し出していた。

 テオを生かしたい。あんな未来は認めたくない。そのために、できることをしなければ。



 学院の図書館は魔術関連の本だけでなく様々な分野の本があり、大量の蔵書が棚を埋め尽くしていた。

 館内の片隅のあまり利用者がいないであろう一角に、国内の過去の事件をまとめた記録があった。その中に、セレナとテオの故郷の街のことも記されていた。

 六年前、魔術師ドミニク・カナートの屋敷で爆発事故があった。屋敷は大破し、カナート夫妻は亡くなり、子供が一人生き残った。

 爆発事故。明確な原因はその記録には書かれていないが、三周目で学院が燃えていたことを連想するには十分だった。

 その二つが同じ原因によるものだとしたら――テオの身体に刻まれた魔術式が、原因なのだろうか。

 最初は魔術師の屋敷一つ、次は広大な敷地を持つ学院に被害が出た。

 人間の身体に魔術式を刻むことは禁じられている。禁じられているということは、不可能ではないということだ。

 誰かがテオの身体に、学院を破壊できるほどの魔術式を刻んだ。親が亡くなり、故郷の街を出てからだろうか。――いや、違う。

 家族で暮らしていた屋敷の爆発事故も、それが原因なのだとしたら。ここ数年の話ではなく、子供の頃、既に刻まれていたのかもしれない。

 ――ついて来るなよ。

 ――普通の魔術師の家の子と仲良くする気はないから。

 テオと会った当初に言われた言葉が蘇った。

 セレナの家が格下だと言われているのかと思っていた。確かにセレナの家は名門ではなく、魔術師の家としてはありふれた中流の家だ。

 だけど、テオが言いたかったのはそういうことではなかったのだとしたら。

 テオを養子にした学院長は、そのことを知っているのだろうか。魔術に人一倍詳しい者なのだから、知らないとも思えない。

 親に魔術式が刻まれた子供を、学院長は保護したのか。そう思った。



 シャルロか学院長を問い詰めれば、詳しい話を教えてくれるのだろうか。セレナがテオの幼馴染だとしても、部外者には適当に誤魔化して終わりだろうか。

 これからの行動を決めかねていたある日の放課後、テオから声をかけられた。

「セレナ。最近元気がないようだが……」

「心配してくれるの? なら、少し話をしたいわ」

「話……なんだ?」

「場所を移動しましょう」

 移動した先は、一年の教室と同じ階にある空き教室だった。まだ祭りの準備のために運び込まれた荷物は少ないが、棚の手が届きやすい場所は少しずつ箱で埋められていっている。

 先にテオを中に入れて、セレナは扉を閉める。本来の時間軸でテオが殺された部屋で、二人は向き合った。

「それで、なにかあったのか? まさか、またあの先輩がなにか――」

「それに関しては決闘で解決したわ」

 むしろ二周目、三周目では情報提供やシャルロの件で役に立ってくれた。人は見かけによらない。子供の頃は親しかった幼馴染のことだって、セレナはよく知らない。

 だから、知りたいと願った。

「テオが抱えている事情、全部教えてくれる?」

「別に大したものは――」

「テオの身体には、広範囲を破壊できるほどの魔術式が刻まれている」

 そう指摘すると、テオの肩が跳ねた。

「刻んだのはあなたの親?」

 室内に沈黙が落ちる。

 テオの親が実の子供に魔術式を刻んだかどうかは、証拠などなにもない。いくつかの事実を組み合わせた末の推測だったが、即座に否定されず、適当に誤魔化されることもなかった。

 苦い顔をしていたが、やがてテオは諦めたように息を吐き出した。

「……どうしてそう思う?」

「魔術式が発動したのを見たからよ。学院が見事に破壊されたわ。その上で、過去に戻ってきたの」

 それを聞いて、テオは狼狽した。二周目に未来を見てきたと告げたときとは明らかに違う反応だった。

「それなら――俺は、君を……この学院にいる者を殺したのか」

 苦渋に満ちた声で、テオはそうつぶやいた。意外そうではなかった。テオはその未来が来るかもしれないことを、予測していたのだ。

 それなら二周目でテオが自殺した理由も予想がつく。魔術式は、テオが死ぬと発動しないのだとしたら。テオは、魔術式が発動して学院一帯が破壊されるのを止めようとしたのだ。

「詳しい話を教えて」

「……ああ。といっても、概ね君の予想通りだが」

 そしてテオは、事情を語り出した。

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