三章 星降る夜に(5)

 想定外の事態もあったが、十月下旬の残りの日は穏やかに過ぎていった。

 十月末に本来の時間軸でテオは殺されること、それを回避しようとしたら自殺したことは、テオには知らせなかった。祭りの日のシャルロの行動は、前回と同様に制限してある。

 この二つを両立させることで、テオが殺されることなく、自殺することもないといいのだが。

 懸念事項はあった。転移魔術を使われると、すぐ近くにいても即座に別の場所に移動できてしまう。テオの行動を完全な意味で止めることなどできなかった。

 魔術を封じる術は存在するが、祭りまでのわずかな日数で習得できるとも思えない。一定範囲内にいる者が魔術を行使できなくなる魔術道具も存在するが、セレナは持っていなかった。

 どうにかできないだろうかと思いつつ、祭りも近い日の放課後、寮への帰り道で行き会ったテオに転移魔術の話題を振ってみた。

「それにしても、転移魔術を使えるなんて便利ね。わたしだったら休みの日に、たまに家に帰って家族に顔を見せ――」

 そこまで言って、失言に気づいた。

「ごめんなさい……」

「そこで気まずい顔をされるほうが困る。セレナがやりたいことを語っただけだろう。それに、親を亡くしてから何年経ったと思ってるんだ」

「六年ね」

「それだけ経てば、いい加減記憶も薄れてくる」

「そんな……」

 死後、時間が経過したからといって、セレナは親しい者のことを忘れたくなかった。生きていたことも、死んだことも。

「それに、自分の家が家族仲がよかったからといって、すべての家がそうだとは思わないほうがいい」

「格別仲がいいわけじゃないわ。わたしよりも弟妹のほうが魔術の才能があるとわかったら、親の態度が変わったもの」

 その頃のことは正直思い出したくない。だが、それでも帰る場所であるのが家で、たまに顔を見たくなるのが家族ではないのか。

 テオは血がつながった家族は亡くなり、家族と住んでいた家に帰ることも、もうないのだろうが。

「そうか。ところで転移魔術だが、街から街へ移動できるのはそれこそ学院長くらいの使い手でないと無理だ」

「え、そうなの?」

 先にハインリヒから学院長の転移魔術について聞いていたから、離れた地に建つ学院や本家や別邸を悠々と移動する印象になっていたが、転移魔術を使える者全員がそうではないらしい。

「俺が使えるのは近距離限定だ。休日に故郷に帰りたくなっても、馬車の代わりにはなれないな」

「そんな乗り物の代わりになんて……あ、でも寮と学院の行き来には便利そうね」

 常々思っていた。いっそ寮も学院と隣り合って建っていたらいいのに、どうせ同じ学院の管轄なのだから、と。

 徒歩で行き来できるのだから、ものすごく遠いわけではない。子供の頃通っていた私塾のほうが距離があった。だが私塾は街中にあって、行き帰りに道中にある店を覗くことができて、ちょっとした散歩気分が味わえた。

 学院の敷地内には、校舎と練習場と図書館と講堂と、それから寮。魔術を勉強するのに必要なものしか存在しない。寮と学院を行き来する間の道には魔術関連の施設や研究所、教師や従業員が住む建物が立ち並んでいるが、気分転換になるようなものはなかった。

 購買では授業で使うものの他に日用品も売っているし、外出届を出せば学院の外にある街でいくらでも買い物ができるが、それとこれとは別問題だ。寮と学院の間の道は退屈で、それゆえに長く感じる。そして起床が遅れると、その距離はさらに長く思える。

「……セレナ。校則では」

「わかってるわよ。授業と練習場と緊急時以外、魔術の使用は禁止でしょう。でもそれはそれとして、寮と学院は地味に離れていると思わない?」

「確かに」

「やっぱりテオも時々は転移魔術で予鈴に滑り込んで……」

「しないから。授業で魔術を習う前に魔力を消費してどうするんだ」

 セレナが知るだけでも複数回、学院内で転移魔術を使った少年が妙に常識的なことを言うのが、おかしかった。

「そうね。なら、魔力を消費しても構わない状況なら、どんなことに使えるの?」

「そもそもあまり使ったことがないから……ああ、自分は移動せずに、触れているものを移動させることもできたな」

「人手がなくて、使い魔を呼び出せない状況でも、テオがいれば部屋の模様替えができるわね」

 触れている人間と一緒に移動できて、触れているものや人だけを移動させることも可能。近距離限定とはいえ、やはり便利そうな能力だった。

「転移魔術を使えない状況ってあるの?」

「舌を切られるとか、喉を潰されるとか」

「……それは呪文詠唱をさせないための方法じゃない」

 呪文で発動する魔術なら、それで無力化できる。テオの転移魔術も、屋上で呪文を唱えるのを聞いたから同様だろう。

「先日の侵入者が、人質に対して躊躇なくそうした行いをする人間でなくてよかった」

「それもそうね……」

 杖を取り上げられて猿轡を噛まされ、怪しい動きをしたら命はないと脅されたが、人質はまだ未熟な生徒だとしても、魔術を使える者だ。そこまで警戒していてもおかしくはなかった。

 先日のことを思うと再びぞっとした。そしてそんな非道なことを、転移魔術を使わせないためとはいえテオに施すわけにはいかなかった。



 祭りの当日になった。セレナとテオは祭りの出し物を見てまわり、シャルロと行き会うことなく時間は過ぎて行った。

 昼を回ってから、セレナはふと気づいた。テオから手をつなごうと提案されなかった。

 過去に戻ったセレナが違う行動を取らない限り、周囲の人物のその日の行動は同じものになるはずだったが、その限りではないのだろうか。

 しかし同じ流れを再現しようとしても、セレナが本来の時間軸や前回とまったく同じ行動を取っているわけでも、一字一句同じ会話をしているわけでもなかった。人間は設定した動きを繰り返す使い魔ではないのだから。

 些細な会話の流れの差で、祭りが始まった頃に手をつなぐことはなかったのだろうか。自分の手を見下ろして、少し残念に思った。

 祭りが終わるまでにあと少しという頃、セレナはテオに提案した。

「テオ。一緒に行きたいところがあるのだけど」

「どこへ?」

「着いてのお楽しみね」

 行き先を告げずに歩き出すと、テオはそれ以上質問することなくついて来た。

 歩みを進めるうちに、空は暗くなっていく。この時間に校庭から離れたら、祭り終了の花火は見られない。だがそれでよかった。

 学院の奥のほうにある湖の前に辿り着いた。湖には夜に移り変わっていく空が映り込んでいて、見事な景色を作り出していた。

 本来の時間軸で学院に伝わる伝承を知り、行きたいと思っていた場所だった。

「綺麗……」

「そうだな」

 テオも空を見上げて感嘆の声を上げた。

「あ、流れ星」

 見つけたが早いか、セレナは瞳を閉じて指を組み、願いをかけた。

 ――テオが死なずに済みますように。

 目を開けると、呆れた顔をしているテオと目が合った。

「魔術師が流れ星に祈るのか……」

「願いを叶えてくれるものならなんでもすがりたい気分ね」

 不思議そうに首を傾げられた。今日起きることを打ち明けた、前回の時間軸のテオなら同意してくれただろうに。

 そうか、とふと思った。前回の祭りの日に手をつないだことも、祭りが終わる間際にテオの教室で過ごしたことも、いま目の前にいるテオは知らない。本来の時間軸でシャルロが焼いたクレープを一緒に食べたこともだ。

 テオの死は回避したいが、楽しかった思い出まで、過去を変えたことで別のものに塗り替えられていく。セレナしか知らない出来事になっていく。それが少し哀しかった。

 だが、祭りは来年も再来年もある。生きてさえいれば、二人で同じ時間を過ごすことはできるのだ。

 だからそのためにも、今日を乗り越えなければならない。

「そういえばわたしが侵入者に捕まったときに、テオが縄を切るのに使ったナイフ、いまも持っているの?」

「ああ」

「見せて」

 若干怪訝そうにしてから、テオはナイフを差し出してきた。受け取って鞘から抜くと、金属の刃が目に入った。

「切れ味よさそうね」

 よく使い込まれて手入れされたナイフに見えた。

「先に謝っておくわ。ごめんなさい」

「え……」

 セレナはナイフを湖に向かって投げた。宙を飛ぶナイフは放物線を描き、やがてぽちゃんという音が聞こえてきた。

「……な」

「他にも持っている?」

「あれだけだが……」

「ならよかった」

「待て。いきなりなんだ!?」

 驚いて声を上げるテオに、セレナは微笑みかけた。

「十一月になったら外出届を出して街に行きましょう。新しいナイフを買ってあげるわ」

「弁償する気はあるのか……ならなぜ投げ捨てた」

「人というものは過去との決別のために、大切にしていたものでも放り捨てたくなるものよ」

「自分が大切にしているものにして欲しかったな……」

 テオからの心象は悪くなったが、仕方がない。ナイフはテオの手から離した。他に持っていないという言葉を信じるのなら、これで彼がナイフで自殺することはないはずだ。

「君は決別したい過去があるのか?」

「ええ。過去というか――未来というか」

 セレナからしたら過去のことだが、今日からしたらあと少しで、その時間になるはずだ。

「過去、か」

 テオを見ると、彼はローブの胸元に手をやっていた。服の下には以前見たときと同じように、セレナが子供の頃にあげたペンダントをつけているのだろう。

「君を学院で見かけたとき、子供の頃から成長したと思った。外見通り清楚になって、昔ほど無茶しなくなったんだな、と」

「含みがある言い方ね」

「十六歳の君を知っていくほどに、自分の認識は間違っていたと確信したよ」

「……ナイフを放り投げたのは悪かったわ」

「いや、それだけじゃなく」

 他にもなにかやっただろうか。ペンダントを確認するために、テオの襟元をこじ開けたことを思い出した。もはや遥か昔のことに思えた。

「無茶で無鉄砲な幼馴染は嫌い?」

「いや」

 首を振ってから、テオは続けた。

「セレナがそういう娘だから、忘れられなかった。学院で君がかかわってきて、再び交流するのも悪くないと思えた」

「悪くない、だけ?」

「ああ――そういう言い方はよくないか」

 セレナのほうを向いたテオは、いつになく目を細めていた。

「とてもいいな。君との日々は」

「……わたしも」

 テオが死ぬ未来さえなければ、という条件がつくが。彼と過ごす学院での毎日は、居心地がよかった。

「テオと過ごせる毎日がとても大切。だから、失いたくないの」

 隣に立つテオに手を伸ばし、握り締めた。了解は取っていなかったが、軽く握り返された。

 空は暗さを増し、星が輝き出す。そろそろ祭りが終わる時刻だろうか。ここにいても花火の音は聞こえるはずだ。テオの死は、回避できたのだろうか。

「ねえ、テオ。わたしは――」

「――まずい」

 小声でそう言ったかと思うと、不意につないでいた手が離された。

 うめき声を上げたかと思うとテオは俯き、胸元を掻きむしるように押さえた。息苦しそうな呼吸音。髪に隠れがちだが、苦悶の表情を浮かべている。病気の発作でも起きたかのような様子に、セレナは驚いて手を伸ばした。

「ど、どうしたの!?」

 ぱしん、と乾いた音が響く。拒絶するように、手は振り払われた。

「……近づくな、ここから急いで離れろ!」

 いつになくきつい物言いに、セレナはびくりとした。

「どうして……それよりテオの具合が」

「俺のことは構うな! ここにいたら、巻き込まれ――」

 テオの身体が服の内側から光った。ローブや制服越しでもわかるほどの強い光。身体に刻まれた線、文字――これは、魔法陣……いや、魔術式だ。

「これは……」

 疑問に答えは返されないまま、テオはナイフを取り出したポケットを探り、目を見開いた。

「そうか……」

 失態を演じてしまったことを悟ったような顔をしたが、すぐに杖を取り出し、もう片方の手でセレナの腕をつかんだ。転移魔術の魔法陣が、セレナを囲んで描かれる。

 ――ああ、自分は移動せずに、触れているものを移動させることもできたな。

 祭りの少し前に交わした会話が蘇った。

「待って、テオっ!」

 嫌な予感がしてセレナは叫んだ。だが転移魔術が発動し、テオの姿はセレナの視界から消えた。

 テオに腕をつかまれたとき、頭の中に言葉が流れ込んできた。

 ――逃げろ。頼むから。死なせたくない。

 ――生きてくれ。

 耳で聞いたわけではない悲痛な言葉は、テオが伝えきれなかった本心に思えてならなかった。



 つかまれていた手の感触が消え、周囲の景色が変わっていた。慣れ親しんだ建物が視界に映る。

「ここは……」

 二度目の転移魔術で飛ばされた先は、女子寮と男子寮が並んで建つ敷地内の片隅だった。

 やはりテオは一緒に移動して来なかったのか、と思いながらセレナが息を吐いた直後、轟音が響いた。

「え……」

 音がしたほうを見ると、見慣れた景色が煙に包まれていた。この辺りにも、灰が混じったかのような風が吹いてくる。

 寮に帰っていた生徒や管理人が、異変に気付いて飛び出してきた。

「学院のほうだ!」

「なにかが爆発したのか!?」

「ここまで余波が……」

「なにをやったらああなるんだ」

 寮の周辺の建物からも、人々が出て来るのが見えた。ざわめきが大きくなっていく。

 当事者でない人間の憶測は聞いていられなかった。真相を確かめるために、セレナは学院に走っていた。

 学院までの道は、遅刻間際のときよりも長く感じられた。学院に近づくに連れ、周囲の建物も被害を受けている様子が目に入った。火が上がった建物と煙が、見慣れた風景を変えてしまっていた。

「まだ研究所に残っている人が……」

「消火よりも避難だ! 寮のほうへ急げ」

「街に応援を」

「学院はどうなって――」

 建物から出てきた人々がそれぞれ別のことを叫び、怪我人の手当ても追いつかず、混乱を極めていた。火のせいで気温が上がっているように感じる。煙のせいで息苦しい。

「あの、これ使ってください!」

 セレナは持ち歩いていた回復の魔術式が刻まれた符を、研究所を仕切っていそうな大人に押し付けるように渡し、返事も聞かずに学院に向かうのを再開した。学院のほうへは近づくな、という声は聞こえないふりをした。

 まだ大怪我でも治せる回復魔術が刻まれた宝玉は残っている。

 ――大丈夫、これさえあれば。

 そう自分に言い聞かせて走ったが、学院の前まで来たセレナは呆然と立ち尽くした。

 広大な敷地に建つ学院が、炎に包まれていた。

 木立が倒れ、校舎周辺にあった簡易的な造りの倉庫や学院の入口付近に建っていた屋台は、見る影もなく崩れてしまっている。

 避難しようとする者すら、ここからでは見えない。祭りのざわめきが聞こえない。炎が燃え盛る以外はもう生きている者などいないかのような静寂が、その場に広がっていた。

 ふと視線を下げると、地面に倒れた人が何人もいることに気づいた。全身を炎で焼かれたかのような姿だった。煙のにおいだけでなく、肉が焦げたようなにおいがするのはそのせいだった。

 フランクールが飛竜に乗って発動させた魔術がただのパフォーマンスだったことがよくわかる事態が、視界に広がっていた。

 あの中心にいたのが――原因となったのが、テオだとでもいうのだろうか。そうだとしたら、生存は絶望的だ。

 ――どうしてこんなことに。

 あの一瞬で見た、テオの身体に刻まれた魔術式。あんなもの、人間の身体に刻むものではない。それなのに、どうしてこんな結果になったのだろう。

 疑問の答えは出なかった。そしてセレナの目的がまた達成されなかったことを突きつけるように、再び視界は黒く染まり、過去へと時間は遡る。

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