三章 星降る夜に(4)

 しばらくして、屋上に風の音とともに飛竜が飛んで来た。教師らしき男が手綱を取り、後ろに誰か乗っている。ローブのフードを目深に被っていて、顔は見えない。

 屋上にいる男は人質の少女を前に押し出しながら叫んだ。

「それ以上近づくな!」

「近づかないと受け渡しできませんが」

 淡々と言われて、男に苛立ちが募った。魔術学院に抗議をした際に表に出てきたのはこの教師ではなかったはずだが、他者を見下しているような態度は共通しているように見えた。

「後ろのやつは学院長じゃないな?」

「学院長はいま他の教師が探しています」

「じゃあまずはそいつからだ。怪しい動きを見せるなら、人質の命はないぞ」

 屋上の端に飛竜がつき、生徒が飛び降りた。飛竜が大きいから対比で小さく見えるのか。いや、それにしたって成人男性の教師よりも一回り小柄だ。事件を起こした生徒は、どちらかというと長身だったはずだ。

「――待て。フードを取れ。顔を見せろ」

 するとこちらに歩いて来ようとしていた生徒が足を止め、嘆息した。

「あーあ、だからこんなんバレるっつったのに」

 オレンジに近い明るい茶髪が露になる。フードを脱ぎ去ったその下から現れた顔は、男が知るものではなかった。

「誰だお前は!? マクシム・ワイラーじゃないな!」

「どうも。三年の先輩の代わりに殺されて来いって命じられた、下っ端の魔術師です」

 この場にそぐわない人を食ったような笑みを浮かべ、少年は片手を上げた。

 人質の少女が息を呑む音が聞こえた。知り合いなのだろうか。

「この学院のやつは、そうまでして名門の家出身の犯罪者を庇い立てするのか!」

「そうだよ。可哀想だろ、オレ」

 さして深刻でもなさそうに、少年は飄々と語る。

「でもさ、お前も怒りをぶつけられるなら誰でもよかったんだろ」

「なんだと?」

「例えば変身の魔術で俺がその三年の先輩に変身してバレなかったら、そのまま殺してただろ。本人かどうか疑いもせずに」

「そんなことはっ――」

「だから、オレが変わりに死んでやるよ」

 少年が言ったことを理解するのに、しばしかかった。

 飛竜に乗った教師が杖を掲げた。

「ただし、今日オレが死ぬのはお前のせいだ」

 滅茶苦茶な主張だが、それが真実になるのだと突きつけるように、先端に魔力が集まった杖が振り下ろされる。

「待て、やめ――」

 足を踏み出し、手を伸ばした。

 しかし静止の声は届くことなく、屋上の端にいた少年を起点に爆発が巻き起こった。轟音が響き、煙が膨らむ。

 暴風にあおられながら信じられない光景を見ていることしか、男にはできなかった。

 やがて煙が晴れていき、倒れた少年の身体の下から赤い液体が流れてきた。その周辺の柵は盛大に破壊されていて、屋上の床は焦げている。

「なんだってこんな……畜生、この学院は狂ってやがる」

 人質とともに少年に近づこうとして縄を引くと、まったく抵抗がなかった。

「……え」

 振り返ると、つないでいた縄は途中で切られ、人質の少女は消えていた。

 唖然としていると、すぐ傍まで飛竜が近づいて来ていた。

 腕に衝撃波が当たり、杖が弾き飛ばされる。痛みをこらえて符や宝玉が入っている鞄に手を伸ばしたら、横から掠め取られた。さっきまで倒れていた、制服を赤く染めた少年と目が合った。

 蘇った死体という単語が頭を過ぎる。教師らしき男は死霊術師なのだろうか。やはり魔術学院は、まともな人間など一人もいなかったのではないか――。

 教師は生徒が使うような、初歩的な風の属性魔術の符を手にしていた。

「ここまでです。観念しなさい」



 杖と符と宝玉と、人質から取り上げた杖と、他に隠し持っていた武器を取り上げられて拘束された男は、項垂れながらもおずおずと教師に問いかけた。

「あ、あの娘もお前が消してしまったのか……?」

「そんなわけがないでしょう。救出されましたよ」

「そ、そうか……」

 どこまで真実かはわからないが、生徒を人質に取った侵入者が学院の魔術師によって闇に葬られることはなかった。

 他の教師が乗った飛竜が屋上に近づいて来るのを眺めながら、眼鏡の教師は淡々と述べた。

「人質の心配をして、無関係な人間が死ぬのは嫌がるような人間は、人を殺すのには向いていませんよ」

「おれは……人質の心配なんて」

「本当に人質を傷つける気があるなら、魔術を使うために詠唱が必要な杖ではなく、刃物を突きつけるでしょう」

 男が子供の頃に魔術師の家は没落し、それ以降、平民と大差ない生活を送ってきた。魔術は親や知り合いに教わった程度で、魔術学院で勉強したことはない。

 親からは権威ある魔術師がどれだけ他を犠牲にしてきたかを聞かされてきて、子供が魔術師に殺されて犯人が罰されなかったときは、こういうことかと実感した。

 やられたらやり返せ。子供を殺した犯人を殺すつもりで、家に残っていた魔術道具をかき集めて、魔術学院に侵入した。

 しかし魔術学院の生徒の一人が仇だと思いながらも、あの少女を傷つける気にはなれなかった。

 そして学院で騒ぎを起こした侵入者にこうした言葉をかける教師も――聞いていたほど悪い人間ではないように思えた。



 フランクールが魔術を行使して轟音が響いた瞬間、背後に人の気配を感じ、肩に手を置かれた。杖を持った拳を触れさせたような感触だ。セレナが振り返る暇もなく、男のほうに伸びる縄がナイフで切られ、呪文が唱えられた。

 足元に瞬時に魔法陣が描かれたかと思うと、一瞬にして視界の景色が切り替わった。

 ――ここは……。

 学院の裏庭だ。

「セレナ、無事か? 怪我は」

 すぐ近くから掠れた声がして、頭の後ろで縛られていた猿轡が外された。そしてセレナの顔を覗き込んできたテオと、至近距離で目が合った。

「だ、大丈夫……」

「そうか」

 杖を仕舞ってセレナの手首を拘束していた縄をナイフで切ると、テオは顔を伏せて長い息を吐き出した。肩で息をしている。疲労が見て取れた。

 手首をさすりながら、セレナはテオの様子をまじまじと見つめた。

「あの、わたしよりシャルロは……」

 シャルロが男を挑発するようなことを言った挙句、フランクールが生徒に杖を向けたときは、何事かと思った。

「あいつは侵入者の気を引くための囮だ。攻撃されたように見えただろうが問題ない。それより」

 テオはセレナの肩をつかみ、

「君が無事でよかった」

 泣きそうな顔で、そう口にした。

「テオ……」

「なんだ」

「助けに来てくれたのよね。ありがとう」

「……俺一人では無理だった」

「そんなの卑下することじゃないわ」

 じわじわと胸が温かくなっていった。

 ――わたしがテオの死を回避したいように、テオもわたしを助けようとしてくれた。

 そのことが堪らなく嬉しかった。

 そうこうしているうちにセレナは教師に発見され、事情を聞かれることになった。

 テオと話をしたかったが、事情聴取が終わった後は取り上げられた杖の返却とともに、とにかく寮に帰って早く休めと言われてしまい、詳しい話を聞くのはお預けとなってしまった。



 翌日。セレナが登校すると、教室ではどことなく遠巻きにされて、小声でなにやら話しているのが聞こえてきた。昨日の侵入者の件でセレナが人質にされたことは広まっているらしい。

 授業が始まる直前にブランシュと目が合うと、彼女は微笑んで頷いた。どうやら昨日のことを級友から質問攻めにされていないのは、セレナを気遣ったブランシュが手をまわしてくれたからのようだ。

 ありがたかったが、その気遣いをハインリヒから決闘を申し込まれたときにも発揮してもらいたかった。

 休み時間に廊下でテオとシャルロを見つけ、セレナは近づいて話しかけた。

「改めてお礼を言わせて。昨日は助かったわ。シャルロも協力してくれたのよね」

「おう。でもオレはテオと先生に協力しただけだから」

 爆発の魔術と同時に血のように赤い薬をばら撒いて死んだふりをしたというシャルロは、テオを指し示して健康そのものの姿で笑った。

 フランクールは生徒から冷徹だと思われているが、得意属性は炎だ。一見派手に爆発したように見えて、実際は壊したのは柵だけ、という調整くらい楽にできるらしい。

「あのときのこいつの様子、見せてやりたかったぜ。血相変えて狼狽して、いまにも屋上に突っ込んでいかんばかりで。よっぽどセレナのことが心配だったんだな」

「さて、シャルロがいると話が進まないから別の場所に行くか」

「うわ、なにその冷たい態度。昨日、身体を張って協力してやったのに」

「人をからかって話を引っかき回すからだ」

 二人の様子に、セレナはくすくすと笑みをこぼした。

「それにしても、テオ。転移魔術を使えたのね」

「ああ。適正があるとかで、学院長の縁者の魔術師に習ったんだ」

 転移魔術は使える者が限られていて、学院の授業では習わない。三年になると適正がある者には教師が個別に教えることもあるらしいが、学院内で使うのは原則として禁止されている。

 もっとも今回は緊急事態だったのもあるし、テオはフランクールに協力を持ちかけられて、セレナ救出のために転移魔術を使った。

 ちなみに一部の転移魔術の天才以外は、適正がある者でも行ったことがある場所か、肉眼で見えている場所までしか移動できない。

 テオは侵入者が占拠した屋上に入ったことがなかった。

 一年から三年の教室がある校舎と並んで建っている校舎の階段を駆け上がって屋上まで行き、そこから屋上の中心部を目にして、転移魔術を発動させた。そしてセレナとともに裏庭まで転移魔術で移動したのだという。救出してくれたときに疲れ切った様子だったのは、ひたすら走っていたからだったようだ。

 学院内でも学院長とごく一部の者しか使えないという魔術を、テオは学院長に引き取られてから習得していた。しかし入学当初――テオと疎遠になっていた頃に感じた劣等感は覚えなかった。

 その術でテオに助けられたからか、それとも自分が過去に戻って十月を繰り返しているという、もっと珍しい事態に巻き込まれているからかはわからないが。

 そして謎も一つ解けた。前回の祭りの夜、同じ教室内にいたのに少し目を離した隙にテオがいなくなったのは、転移魔術を使ったからだったようだ。

「とにかく、二人ともありがとう。今日の昼食、奢るわ」

「奢ってもらいたくて助けたわけじゃない」

「そういうのよりもさ。ほら、テオ。セレナはこんなに感謝してるんだし、お礼になんでも言うことを聞いてもらういい機会じゃねえ?」

「なっ……」

「そうね、わたしにできることなら。なにかある?」

 前回の祭りの夜にテオが考えたことが判明するかもしれないと、セレナは問いかけた。

「……なんでもするとか軽々しく言うな」

 苦虫を噛み潰したような顔をされ、視線を逸らされた。髪に隠れて見え難いが、耳が赤く染まっているように見えた。

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