三章 星降る夜に(3)
十月下旬に差しかかり、祭りが近づいて高揚する学院の生徒たちとは逆に、セレナは焦っていた。
シャルロには前回と同様に、ハインリヒに頼んで祭りの手伝いを割り振ってもらった。前回と同じようにことが運ぶのなら、シャルロがテオを殺すことはないだろう。
シャルロをテオから引き剥がしておけばどうにかなるのかと期待を抱いていたが、その予想は半分は当たったわけだ。
しかしテオの死は回避できなかった。そしてテオが自殺に至った原因は、未だに判明していない。
このままでは前回と同じ未来が来るだけではないのか。焦燥と暗い思考から目を背けて、セレナはできることを探し、情報を集めようとしていた。
昼休み。昼食を食べてから校内を歩いている途中、前回の祭りの夜にテオの教室でした会話をセレナは思い出した。
――花火を見るだけなら、もっと上の階のほうがいいんじゃないか。
前回、学院内の他の場所にいたら、テオは姿を消すことはなかったのだろうか。一緒に花火を見ることができたのだろうか。
現実逃避でしかないとわかっていながらも、足は階段を上がり出していた。
四階に辿り着き、廊下側の窓から外を見た。二階にある一年の教室の窓からの視点よりも、大分高い。花火もよく見えそうだ。
三年の教室の鍵が開いていたなら、祭りの夜はこの階で過ごしてみるのはどうだろう。ふとそんな考えが頭に浮かんだ。それからセレナは、予習も兼ねて普段それほど立ち寄ることがない四階を見てまわることにした。
この階には生徒会室がある。決闘の前日に生徒会室を訪ねたのが随分前のことのように思えた。
そこからさらに行くと、移動教室で向かう先でもある、各分野の専門的な設備や材料道具が収まった教室が並ぶ。
そのうちの一番奥の部屋が、扉が完全に閉まらずにわずかに開いていた。
「不用心ね」
鍵をかけ忘れたのだろうか、とドアノブに手をかけたが、押しても引いても開かなかった。ふと不思議に思ってから、前回ハインリヒが話していた開かずの間のことを思い出した。
あれ以降忘れていたが、もしかしてこの部屋がそうなのだろうか。
確かに結界が張られているようだ。そして一年が授業でやった程度の知識では、到底解けそうもなかった。
食堂近くの空き教室は、毎回決闘の翌日にフランクールに追い出されて、祭りのための荷物置き場にされている。あれ以来、密談には使っていない。
だからこそ、思う。学院内に自由に使える部屋があったら便利そうだ。いや、絶対に便利だ。
適当な研究会や同好会を設立して申請してみようか。テオの死を回避して時間が過去に戻る現象を解決するまでは、研究会に打ち込む余裕はないが――無事十一月を迎えられたら、テオを誘ってなにかやってみるのも楽しそうだ。
取り止めのないことを考えていると、足音が聞こえてきた。曲がり角から壮年の男性が現れた。取り立てて特徴のないローブ姿で、魔術師が集まる場所なら埋もれそうな外見だった。
学院のすべての教師の顔と名前を知っているわけではないが、こんな教師もいたのだろうか。学院長やフランクールがよくも悪くも目立っているから、一年の授業を受け持っていなくて普段顔を合わせる機会がない教師は、いまいち印象が薄かった。
ひとまず開かずの間から離れ、セレナは粛々と廊下を進んで行く。もうすぐ男とすれ違いそうになったところで、彼は荷物を取り落とした。鞄から書類が散らばり、宝玉がいくつか転がった。
「大丈夫ですか?」
しゃがみ込んだセレナが足元に転がってきた宝玉を拾おうとすると、
「触るなっ!」
と叫ばれた。
「す、すみません」
びっくりしてセレナは手を引っ込めた。大事なものなのだろうか。
手は引っ込めたが、屈んだことで散らばった紙のうちの一番近くにあった一枚が目に入った。紙には学院の見取り図が書かれ、三年の教室のうちの一つに×印がつけられていた。
なんだろう。だがじっくり考える暇もなく、地の底から響くような声をかけられえた。
「お前、学院の生徒か。見たな」
「せ、生徒ですが……見てませんなにも!」
男は不穏な雰囲気だ。まずいことにかかわってしまった気がする。
「学院の魔術師なら、符や宝玉を一瞬見ただけで、どんな魔術式かわかるという……」
「わかりませんよ!?」
卒業間際かつ成績首位の三年生や教師ならいざ知らず。入学からもうすぐ三ヶ月に加えて二回ほど十月を繰り返しているが、そこまでの境地に達してはいなかった。いないはずだ。なんとなく、結構な威力の攻撃用の魔術かな、と思ったくらいで。
そもそも彼は何者なんだ。ここまで挙動不審ということは、教師ではないのか。見られたら困る魔術式と、見取り図につけられた×印。もしかして、学院に被害を及ぼす気でここまで来たのか。
――待って、今日は何日?
十月下旬。確かこの頃、学院に侵入者が出たという話を聞いたのではなかったか。
「仕方ない、作戦変更だ」
距離を詰めてきた男に腹を殴られた。さっき食べたものが逆流しそうになり、必死で吐き気を抑えた。痛みで動けないセレナが蹲っている間に腕を後ろに回されて、手首を縛られて拘束された。
「魔術師だからってどうにかできると思うなよ。下手な動きを見せたら命はない」
たまたま本来の時間軸、それから前回と違う行動を取りはしたが、だからってなぜこんなことに。
学院に侵入者が出たという話は聞いていたが、知らないところで解決していたという噂を聞いたのみで、詳しい話は知らなかった。その侵入者の一件に巻き込まれるなんて、完全に想定外だった。
セレナは猿轡を噛まされて縛られたまま歩かされ、屋上に連れて行かれた。屋上の扉は外に出てから男が細工をし、校舎の内側から開けられないようにされた。セレナを拘束する縄の先は男が手にしている。
持っていた杖は取り上げられた。杖なしでも使える魔術はあるが、精神集中に時間がかかるし、呪文を詠唱すれば男に気づかれるだろう。彼は自分の杖をセレナに突きつけている。この状態で魔術を行使するのは自殺行為だった。
男は拡声の魔術式が刻まれた符を使い、学院中に声を張り上げた。
「魔術学院に在学している生徒が長期休み中に街で魔術を使い、住人を傷つけ死者が出た!」
その切り出し方に、セレナの肩が跳ねた。授業と練習場以外で魔術を使うなという校則になっている理由。そして魔術師の家では魔力を持つ子供に、親の目がないところで無暗に魔術を使うなとまず教える。
制御に慣れていない魔術師がそこらで自由に魔術を使えると、事故が起こるからだ。
「だがその魔術師の家は名門かつ貴族の家で、罪に問われなかった。学院からも若者の将来を案じて庇われたという。人を殺した者の将来を案じる必要とはなんだ?」
シャルロの顔が頭を過ぎった。本来の時間軸でセレナが過去に戻らなければ、シャルロはどうなったのだろう。罪を償ったのだろうか。それとも――レヴィナス家の分家の子息に不名誉な経歴などつけられないと、揉み消されたのだろうか。
「魔術学院は罪人を育成し、特権思想を植え付けている。人殺しが擁護され、被害者は泣き寝入りだ。おれの子供は報われないままだ」
そうか、その一件で出た死者とはいま声を上げている男の息子か。近しい者を亡くした彼に親近感を覚えなくもなかったが、続く言葉で同情はどこかへ吹き飛んだ。
「だったらこの学院の魔術師が殺されても文句は言えんな! マクシム・ワイラーという三年の生徒を出せ! それから学院長もだ! そいつらを連れて来ることなく、下手な真似をするようなら、この女子生徒を殺す!」
セレナを前に押し出し、屋上の柵に押しつけるようにした。
「痛っ」
思わず声を上げても、男は人質の様子など気にも留めてくれないようだ。そして視線を下げると、屋上を見上げている教師や生徒が目に入った。
完全に一周目、二周目よりも大事になっている。四階にいたセレナが男にかかわらなければ、フランクールが侵入者を捕らえて解決した件ではなかったのか。
それとも噂で聞いただけでは知らなかっただけで、侵入者との攻防で死闘を繰り広げたりしたのだろうか。フランクールのほうが実力は遥かに上だろうが――自棄になった人間ほど扱い難いものはない。
男は人質であるセレナに自分の杖を突き付けている。攻撃の魔術式が刻まれているであろう宝玉や符も沢山用意している。下手なことをしたら殺す、というのは脅しではないだろう。
――こんなところで死ぬわけにはいかないのに。
そういえば、本来の時間軸と前回はテオの死に直面して、過去に戻った。セレナ自身が死んだらどうなるかの検証は、していなかった。
昼休みも残り少なくなってきたのに、魔術学院の校庭はいつになく多くの人々でごった返していた。
校舎の外に出て来た生徒たちが屋上を見上げている。何人かの教師が生徒たちに教室に戻れ、いや、なにかあっては危険だから講堂か練習場に避難しろ、と叫んでいる。
野次馬たちの統率は取れておらず、魔術学院に集う者全員が有事の際に的確な行動を取れるわけではないことを示していた。
要求を口にしたときは屋上の端に出てきた侵入者は、いまは人質を連れて屋上の真ん中に移動してしまった。
屋上は飛竜やグリフォンの飛行訓練の練習や中継所に使われることもある場所で、結構な広さがある。真ん中に行かれると、人質の救助は難しそうだ。
ブランシュともう一人のセレナの級友が、心配そうな顔で話をしていた。
「セレナが知らない男に連れられて四階を歩いてるのを見たって子が……」
「ここからじゃよく見えないけど、人質になってるのってもしかして……」
それを聞いたテオは、ひと気のないほうに駆け出した。だが生徒や教師がいない木立のほうへ進んだ先にシャルロが現れ、手を前に突き出した。
「待てよ。一人でどうにかしようとするな」
焦りと不安に突き動かされ、テオは反論する。
「だが、このままじゃセレナは……」
「まずは教師の出方を見ろ。先生たちは学院での問題事対処にも慣れてるんだから」
落ち着いた様子でそう諭すシャルロを、テオは睨みつけた。
「――教師が信用できないと言ったら? 生徒一人見殺しにしたところで、学院は事件を揉み消して生徒の家に見舞金を払って終わりだ」
「お前がそう言うのもわかるけどさ……」
言い合いをしていると、足音が聞こえてきた。
「学院長の養子とレヴィナス分家の子息が教師を信用できないとは。酷い話ですね」
「げっ、フランクール先生……」
その場に現れた眼鏡をかけた堅物と評判の教師を目にして、シャルロは固まった。そういえば彼はたびたびフランクールに注意されていて、苦手に思っているようだった。
「あー、えーと、こいつ義理の親の学院長に対して反抗期なんすよ!」
「言い訳は結構」
取り付く島もない言葉がかけられた。このままシャルロとともに説教されてセレナを救出できずに終わるくらいなら、後のことは考えずに逃げ出すか、とテオが思ったところで。
「それで君たちはなにができるのですか?」
フランクールが意外なことを訊いてきて、テオとシャルロは目を見張った。
それからフランクールはテオに視線を向け、目が合った。
「テオドール。君は人質の生徒を解放したいようですね。教師を信用できないというならしなくて結構ですが。やりようによっては君の力を活用できるかもしれません。できることを告げて私に協力しなさい」
どうやらシャルロとの話の内容は、ほぼ全部聞かれていたようだ。いまのところ、テオに確実に成功するような策はない。フランクールと手を組むのは正解なのだろうか。
考えを巡らせてると、シャルロがぼやいた。
「……教師が一年に頼るのかよ」
「君たちが並の魔術師の家出身の一年生なら頼りませんよ。学院長の縁者なら、なにかしら仕込まれているでしょう。教師が集団になって近づくよりも、犯人を油断させられるかもしれません」
「本家の跡継ぎには声をかけないわけ?」
「ハインリヒ・レヴィナスですか。彼のことは入学以来見てきました。魔術師として非常に優秀ですが、それ以上でも以下でもありませんね」
他の教師が言ったのなら、学院長の孫でありレヴィナス家の本家の令息に危ない真似はさせられないからか、と感じたかもしれない。
だがフランクールの辛辣な評価を聞くと、ハインリヒの身を案じているわけでも、自分の保身のためでもなく、純粋に効率だけを求めてテオたちに声をかけたかに見えた。
そしてこの事態を解決するために、魔術師として優秀なだけではなく、人質救出のために手段を選ばないような者を欲しているのかもしれない。
「それでどうします?」
テオはフランクールの眼鏡の奥の瞳を見据え、応えた。
「――やります。セレナを助けられるのなら」
「よろしい」
フランクールは満足そうに頷いた。
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