三章 星降る夜に(2)

 前回と同様に練習場で魔術の鍛錬をしていたセレナは、ハインリヒに声をかけられた。

「一年にしては高度な魔術の練習をしているようだな。家で習ったのか?」

「そんなところです」

 教科書の先の内容を読んだり、二年や三年が使う参考書を入手したりして、魔術を習得しようとしている――と本当のことを言ったら釘を刺されそうなので、ひとまずそう言っておいた。

 一年の範囲なら私が教えてやろうか、と前回やったようなやり取りを経てから、セレナはハインリヒに話を持ち掛けた。

「決闘の勝者の命令できる権利、使わせてください。教えてもらいたいことがあるんです」

 そこから先はセレナが知る通り、勝者の権利を使わなくても教えてもらえることになった。

 ここまでは予定通りだ。この日に練習場で魔術の訓練をしていたらハインリヒと会えることを知っていたから、前回と同じ行動を取った。

 あとは望む情報を得られるかどうかにかかっている。ベンチに移動して、セレナは問いかけた。

「テオはレヴィナス家ではどんな様子でしたか?」

 するとハインリヒは「テオドール?」とつぶやいてから首を傾げ、合点がいった様子で話し出した。

「お前はなにやら勘違いしているようだな。あやつは確かに何年か前に先代が引き取ったが、本家の屋敷で暮らしていたわけではないぞ」

「えっ、じゃあ学院に入学する前はどこで……」

「先代の別邸だ。先代も常に別邸に住んでいるわけではないし、たまに先代が立ち寄る他は、テオドールは一人で暮らしていたようなものだったのではないのか」

 一人といっても学院長所有の屋敷なら、使用人くらいいるだろう。しかし慣れない屋敷で他に知り合いもいない状態で、テオは穏やかな日々を送れたのだろうか。

 そこまで考えて、シャルロが学院長の計らいで月に何度かテオと会っていたというのが、貴重な他者とのかかわりに思えてきた。

 そして前回、シャルロは本家の屋敷にはあまり近づかない、とハインリヒが言っていたのも思い出した。二人の話を合わせると矛盾しているようにも思えたが、テオが本家の屋敷にいなかったのなら成立する話だった。

「だから私もあやつに会ったのは学院に入学してからだ」

「テオのこと、よく知らなかったってことですよね。なら、どうして気に食わないんですか」

「先代が私と年が近い子供を養子にした。本人の人格がどうであろうが、気に入ると思うか?」

「そうですね……」

「しかも私の決闘を受けなかった」

 受けなくていいのなら、決闘などしないだろう。もしかして相手にされなかったから反発しているのではないだろうか。

「先代も養子を取った、別邸に住まわせることにした、という報告をしただけで、私や本家の人間に紹介もしなかったな」

 不満そうにハインリヒはそう語った。

「……もしかして年が近い家族が増えるなら、構ってあげたかったんですか?」

 ふと浮かんだ予測を告げると、先輩は焦りを見せた。

「べ、別にそういうわけではないぞ! 私を本家次期当主として尊敬し、相応の扱いをするというのなら考えてやらんでもないがな!」

 それを聞いて、セレナはふき出した。

 ハインリヒとの出会いは最悪だったが、この上級生は一見傲慢で居丈高な言動なだけで、その実、知り合いに対しては親身になってくれるようだ。だから練習場にいるセレナにも声をかけてくれたのだろう。

「先輩が学院で人気がある理由、わかった気がしました」

「遅いぞ。自明の理であろう」

 そうした反応が実にハインリヒらしかった。

 テオについて少し情報を得たが、結局ハインリヒもテオのことをよく知っているわけではないようだった。自殺の原因になりそうな過去を知ることはできなかった。

 そういえば、十月中旬に学院長と話をしたのだった。そのときに直接疑問をぶつけてみよう、と決めた。



 確かこの日だったはず、と当たりをつけた日の放課後、セレナが校舎を見上げていると、前回と同様に学院長と行き会った。

 会うことは予測していたので、前回ほど緊張することなくスムーズに会話を進めながらさりげなくベンチに誘導し、セレナは本題に入った。

「学院長はどうしてテオを引き取られたのですか?」

「両親を亡くした子供に魔術の才能があったようだからのう」

「才能、といいますと」

「その身に宿る魔力量は、レヴィナス家の本家の者にも匹敵する。属性は水。学院に入学する前から、大量の水を呼び出したり、凍りつかせたりといったことを得意としておった」

 子供の頃からそれらの魔術を行使できたというなら評価されるかもしれないが、学院長が引き取ろうと思うほどの才能かと言われると疑問が残った。

 てっきり学院長やハインリヒのように二属性を扱えたり、使える者が限られる魔術を使えたりするのかと思っていた。

「シャルロがテオとはじめて会ったのは十二歳のときと聞きました。でもわたしたちが住んでいた街からテオが姿を消したのは、十歳になる年だったと思いますが……」

「テオドールの親が亡くなった話は知っておるな? 不幸な事故だった。その際にテオドールは怪我をして、二年ほど病院で療養しておった。入院中に養子にする手続きをして、退院後に引き取った形だのう」

「二年……!?」

 大怪我でもしたのだろうか。

「じゃあ、一見なんともない風を装っていたけど、後遺症で身体がうまく動かないとか、いまでも痛むとかで、それが悩みの種なんじゃ……」

「いや、療養を経て完治したが」

「そうなんですか。よかった……」

「もっとも、あのときのことを引きずっていないとも思えんがのう」

 それはそうだ。親を亡くして大怪我をした、などという過去を忘れられるはずがない。

「おぬしはテオドールの悩みを知りたいのかね」

「は、はい……」

「わしも知りたいのう。もう少し保護者に心を開いてくれてもいいのではないかと常々思っておる」

 この反応では、テオについてこれ以上訊いたところで、自殺に至った理由を学院長から引き出せるとは思えなかった。

 一応知らなかった情報も得られたし、この辺りで話を切り上げようとしたら、学院長が話題を変えた。

「ときにセレナよ。時空の乱れに覚えはないか?」

「え?」

 もしかしてセレナが十月末から過去に戻ったことを、学院長は知っているのだろうか。

 どう答えればいいのだろう。学院長に未来を知っていて、過去に戻って来たことを伝えてもいいのだろうか。

 相談に乗ってくれて力になってくれるのなら、これほど頼もしい存在は他にいない。だが本来の時間軸でシャルロがテオを殺したこと、前回テオがセレナの前から姿を消して自殺したことが、頭を過ぎった。

 知り合いの彼らですら、セレナの予測不可能な――最悪とも言える行動を取った。学院長とは面と向かって話をするのは今回で二度目だ。

 生徒と学院のためを思っていそうな学院長が本当はなにを考えているかなんて、一生徒であるセレナには推し量ることはできない。

 そう結論づけて、ひとまず相手の出方を見ることにした。

「……時空の乱れとはなんでしょうか」

「うむ。どうにも説明し難い感覚なのだが――」

 わずかに言い澱んでから、学院長は説明のためか、話の矛先を変えた。

「時間を操る魔術は一般には使われていない。立証もされていない、ということになっておるな」

「はい」

「だが魔術で時間に干渉する方法が立証されておらぬだけで、時を越えた報告や目撃例はいくつもある。嘘や騙りが大半だろうが――ごく稀に本物も存在する」

「そうなんですか?」

「昔話や伝承は、なにかの比喩や子供への教訓の他に、一欠片の真実も含んでいるものだからのう」

 そうだったのか。そういった魔術はない、という話を知っていたから、それで思考停止してしまっていたかもしれない。

「学院長の業務に専念する前は、そうした時間に関係する不可解な現象を研究したこともあった。ある場所へ行き条件が揃えば、未来へ行ける。ある道具を用いれば過去へ行ける。さる村で姿を消した子供が、十年後にその時のままの姿で発見された。そんな話を耳に入れるたび、現地へ赴いたものだ」

 ハインリヒの祖父なだけあって、行動力があるお方のようだ。

「本物に当たると、その場所や時を越えた当人に、他にはない気配を覚えた。それを便宜上、時空の乱れと呼んでおる」

 もしかして学院長は、魔術師として稀有な才能を持っているだけでなく、彼にしか使えない能力で、時空の乱れを察知しているということだろうか。

「ええと、ということは……」

 セレナは疑われているのだろうか。そう危惧して、背中に冷や汗がつたったが。

「うむ。十月に入ってからというもの、学院内のそこかしこで時空の乱れを感じるのだ」

「ちなみにどこで……」

「一年の教室がある階の空き教室や、裏庭の辺りが顕著だのう」

 思い当たる節しかなかった。テオが死んだ場所。そしてセレナが過去に戻る直前にいた場所だ。

「……どうしてその話をわたしに?」

 金色の瞳がセレナを射た。蛇に睨まれた蛙になった気分だ。

「わしが知る限り、これまで魔術学院で時空の乱れを感じたことはなかった。この地はそうした場ではないはずだったし、時間を越える力を持つ道具の類もない。そうなると、なにが原因だと思うかね」

「……人間によるもの、ですか」

「うむ。孫のハインリヒか、分家の子息であるシャルロがなにかしたのでは、と思っているのだがな」

「そ……そうですか」

「おぬしは十月の頭に孫と決闘をしたのだと聞いたが。なにか思い当たる節はないかのう」

「と、特にないですね……」

 自分が疑われているわけではないと知って、安堵とともにそう返事をした。

「ふむ。では、わしの養子はどうだろう」

「えっ」

「わしもテオドールが持つ力のすべてを把握しておるとは言い難い。故意に隠しているのやも知らぬが――幼馴染であるおぬしに打ち明けたことなどないだろうか」

 学院長に言われるまで、考えもしなかった。過去に戻る原因がテオの力によるものかもしれない、なんて。

 確かにテオの死がきっかけで、セレナは過去に戻った。偶発的なものではなく、テオがそうした力を持っているかもしれないと言われると、納得できなくもない。それが真実かどうかはわからないが、推測の一つとして憶えておこうと思った。

 それにしても、ハインリヒやシャルロを疑っているというのははったりで、最初から学院長はテオを怪しんでいたのではないだろうか。その上で、セレナの反応を見ていたのだとしたら。

 落ち着け、と自分に言い聞かせ、セレナはなんでもないことのように返事をした。

「わたしはテオとそうした話はしたことがありませんから」

「そうか、それは残念だ」

「すみません……」

「いや、なに。もしこれからなにか気づいたことがあれば、学院長室を訪ねるといい」

 そう言い残して、学院長は去って行った。後ろ姿を見送り、セレナは長い息を吐き出した。

 セレナが疑われているわけではない――と思いたいが、これ以上学院長から情報を得ようとするのも気が引ける結果に終わった。

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