三章 星降る夜に(1)
「……ナ、セレナっ」
名前を呼ばれ肩を揺さぶられて、セレナは顔を上げた。
「……テオ」
ああ、そうか。また一ヶ月前に戻って来たのか。セレナは現状を把握した。
「大丈夫か?」
「それはこっちの台詞――」
言い返そうとして、頬が濡れていることに気づいた。それに視界が低い。床にしゃがみ込んでいた。
涙を拭う。落ち着け。泣いたところでテオを心配させるだけだ。
立ち上がろうとすると、テオが手を貸してくれた。ペンダントは落とさずに、手に握りしめていた。強く握っていたからか、金属の板が手のひらに食い込んでしまっていた。
「……わたし、錯乱でもしていた?」
「そこまでじゃないが。いきなり膝を折って俯いて……」
そして泣き出したということか。一体どれくらいの時間、茫然自失していたのだろう。
「そう、ごめんなさい。なんでもないわ」
「……そうか」
色々と訊きたいことがありそうだが、ひとまずそう言ってくれた。
「テオは?」
「え?」
自殺の原因を聞き出したかった。だが過去に戻った直後の混乱が覚めていない状態では、無理やり問い詰めるような状態になりかねなかった。そうなったら、問われたほうは余計に口を閉ざすだろう。
また一ヶ月ある。いますぐ詳しい話を訊く必要はない。少し時間をおこう、とセレナはテオから一歩離れて微笑んだ。
「ペンダント、ありがとう。大切にするわ」
「あ、ああ……」
「じゃあ、また明日」
明日も一ヶ月後も一年後も変わらずに、テオとこうした日々を送っていけたらいいと願ってやまなかった。
一ヶ月後にどうなるかは、これから三度目の十月をどう過ごすかにかかってくるわけだが。
寮に帰ったセレナは考えた。テオはなぜ自殺したのだろう。シャルロにテオを殺す理由があったように、自殺に至る理由があったのだろうか。傍にいたのに。止められたかもしれないのに。――近くにいたのに、テオはいなくなってしまった。
そもそもなぜ、セレナが知る未来とは違う結果になったのだろう。
――わたしが違う行動をしたせいで、十月末に起きたことが変わり、テオの未来が変わったのだとしたら。
テオが自殺を選んだのは、セレナのせいなのだろうか。
翌日以降、セレナは幼馴染が教室にいないときを狙って、そのクラスの生徒たちにテオについて訊いてみた。しかし、入学当初にテオの現状を把握しようとして調べたことと似たような内容しかわからなかった。
クラスにテオが悩むような厄介事は特になく、テオを敵視している級友も教師もいないようだ。やはり学院の生徒や教師と積極的に交流はしていないものの、学院長の養子だから粗雑に扱われていることはなさそうだった。
テオを敵視している人物というとハインリヒがそうだが、あの先輩にたびたび無茶なことを言われたくらいで自殺するほど思い悩むとも思えなかった。
教室内の人間関係における可能性の一つとして、テオが級友の女子を好きだったり、女子から想いを寄せられていたりして、その上で三角関係が生じたり揉めるようなことがあったとしたら、と危惧してそちらの線も当たってみた。
だが、テオの級友の女子にそうした話を振っても、意外そうな顔をされた。
「テオドール君が異性で一番親しいのって、セレナさんだと思うけど」
「そ……そう」
そう言われて嬉しくないわけではなかったが、自殺に至る手がかりはまったく入手できなかった。
「なにか悩みでもあるの? 相談に乗るわ」
食堂でテオと行き会って同席した際にセレナがそう持ち掛けると、彼の無表情がわずかに崩れた。眉が動き、呆れとも辟易ともつかない感情が浮かんだかに見えた。
フォークで野菜を突き刺し、特においしくもなさそうに咀嚼して飲み込んでから、テオは答えた。
「特にないが」
「嘘!」
「……人間、生きていれば悩みの一つや二つあるが。それを君に言ったところでどうなる」
「他人に話せば心が軽くなるかもしれないわ」
「それは解決とは言わない」
「解決しなくてもいいじゃない。気持ちの問題よ。すっきりしたくならない?」
「君に打ち明けてすっきりする問題は特にない」
取り付く島もなかった。
「逆にセレナが訊かれたらどうする? 悩みがあるなら話してくれ、と。身近な人間だろうが、言いたくないことはあるんじゃないか」
「一応打ち明けたけど、解決しなかったわね……」
「打ち明けたのか……」
さらに呆れたような顔をされた。
前回、祭りの少し前に、渡り廊下でテオに過去に戻ったことを打ち明けた。信じていない様子だったが、そのせいであの結果になったとしたら、悔やんでも悔やみきれない。
だったら今回は、テオに祭りの夜に起こることを伝えないほうがいいのだろうか。
「とにかく、困っていることがあるならなんでも言って。わたしにできることなら協力を惜しまないわ」
するとテオはかすかに表情を緩めた。
「いまの学院での日々は、悪くないと思っているが」
「そうなの? 魔術を勉強するのは楽しい?」
「勉強が楽しいというか――」
ちらりとセレナのほうを見て、目を逸らした。
「まあ、そうだな。楽しいよ、毎日。だから君が心配する必要はない」
「……そう」
いまいち納得できなかったが、テオにそう言われたら、それ以上無理に聞き出すこともできなかった。
十月に入ってから二度目の使い魔の授業が終わった。魔術式によって使い魔は好みの外見にできると聞いてやる気になっていた生徒たちの大半が、お手本としている簡易的な外見の使い魔と同等のものを自力で呼び出せるようになってきた。
「このまま使い魔の魔術を極めれば、理想の外見の人間そっくりの使い魔を作り出せるのね」
他の生徒たちと同じく、未だに魔術の限界に手が届く気でいるブランシュに、セレナは嘆息した。
「魔術式を作る手間、人間と同等の言動をさせるための魔力量、それから原価。実用的とは言い難いわね」
「原価?」
ブランシュは小首を傾げた。そういえばマーニュ家は魔術師の家としては歴史は浅いが、貴族の家としては権威を誇っているのだった。
この国の魔術師は貴族と同等の地位と権力と財力を持つ。レヴィナス家も貴族として名を馳せていて、王族とつながりがあるらしい。
名門の魔術師の家だから栄えている、というわけではない。魔術を学ぶのにも研究するにも、使うだけでも金がかかる。
魔術式が刻まれた符を使えば、魔力があって使い方を知っている者なら、誰でも火をおこせる。だが威力の低い火の属性魔術を使える符は、マッチ一本よりも遥かに高価だ。そういったことが他の魔術にも適用される。
「お金に糸目をつけなくていいのなら、好きなだけ極めてみればいいわ。理想の姿をお披露目したいだけなら、好みの外見の人間を雇ったほうが安上がりでしょうけど」
いまのセレナではとてもではないが手が出せない領域だった。
魔術学院に入って学ぶ機会は与えられたが、エスラン家は魔術師として名門というわけではなく、財産が有り余っているわけでもない。家を継ぐことになるとしても独立するにしても、資金の余裕はあまりなかった。
そしてそうした魔術師の家は、セレナの家に限った話ではなかった。魔術師をやっていくのにも家を存続させるのにも、金が必要だ。収入と支出が見合わなくなったら魔術師であり続けることはできなくなり、没落するしかない。
現実を突きつけられて気分を損ねたのか、ブランシュは拗ねたようにそっぽを向いた。
「私だって自由に使えるお金が無限にあるわけじゃないわよ。ああ……でももっと昔は、魔術式を刻んだ符は、誰でも入手できるものじゃなかったのよね」
「そうね」
いまでも名門の家の秘伝の術が刻まれたような符は入手不可能だが、そういう話とは異なり、基本的な属性魔術の符すらも流通していなかった時代があった。その頃は符は自作するか、符に魔術式を刻む専門の魔術師に依頼していたという。
しかしいまは、安価な符なら魔力がある者が気軽に使えるほどに普及している。
「魔術は日々発展しているわ。私たちが大人になる頃には、人間そっくりの使い魔をもっと楽に安く、魔力の消費もそこそこに、継続して呼び出せるようになるかも」
「そうだといいわね」
人型の使い魔は遥か昔から存在していたが、人間と変わらない姿の使い魔は、その分野に適正がある魔術師が、手間と魔力と資金をつぎ込んで作り出すものだった。
その状況が十年やそこらで変化するとも思えず、セレナは希望的観測を語る友人に対し、適当に同意しておいた。
「淡泊な反応ね。セレナって入学当初はもっとこう、魔術に夢を見ていたと思ったわ」
「そうだった?」
その後、授業についていくだけで精一杯になり、夢が砕けたのだったか。それも前回の自主練習で挽回した。もはや九月が遠い昔のことのように思える。
「それこそ使い魔に関しては、知り合いの魔術師が人間そっくりの使い魔を呼び出していたから、自分も頑張ればできるはず、と言っていたわよ。それなのに十月になってから、魔術の限界を知っているような主張になって」
「それは先生が使い魔に対してつぶやいているのを聞いたから……」
あれ、とふと思う。クローゼがぼやいていたのを耳にした以上に、使い魔に関する知識があるように思えた。
なぜだろう。前回魔術の鍛錬はしたが、使い魔の魔術は特に磨かなかった。教科書をまだ習っていない部分まで一通り読みはしたが、そのおかげで知識がついたのだろうか。
「どうしたの、セレナ。不思議な顔をして」
「え、ううん、なんでもないわ」
ブランシュに笑いかけ、次の授業の準備をし出した。そうだ、考えるべきなのはテオのことだ。些細なことに気を取られている暇はなかった。
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