二章 二度目の十月(5)
十月末の祭りの日になった。一度目にしたのと同様に、魔術学院は祭りのために飾りつけられ、生徒たちは非日常の空気に沸き立ち、外部から多くの人が来場していた。
今日、運命の巡り合わせによっては悲劇が起きることを、まだ誰も知らない。
祭りの終了間際にシャルロと遭遇しないために、なにができるかを考えた。祭りは自由参加だ。毎年、自習室や図書館で勉強をしていたり、寮で休んでいたり、外出届けを出して学院の外へ出かける者が一定数いるという。
今日の祭りに参加しないことで完全に回避できるのなら、そうしたかもしれない。だが、一度失敗したからといって、シャルロは諦めるのだろうか。
そもそも本来の時間軸で、祭りの終了間際にテオと会ったのも偶然ではないのか。今日テオが殺されるのを回避したところで、翌日以降、機会があったら実行に移すのではないか。
それを言うなら学院に入学する前、シャルロがテオと月に何度か会っていた頃のほうが、周囲に露見せずに殺す機会はいくらでもあったはずだ。本気で殺す気なら、なぜその頃にやらなかったのだろう。
仮定の話を考え出したらきりがなく、シャルロの考えを完全に読むことなど不可能だった。
ともあれ祭りに参加しなければ死を回避できると確定したわけではないので、そこまではせずにシャルロを避ける方法を考えた。
祭りの終了間際にテオを校庭から連れ出す。それでなんとかならないだろうか。
「セレナ。どうした、ぼんやりして」
思考に沈んでいたら、テオに声をかけられて我に返った。振り返ってセレナを見ているテオと目が合う。
「え、ええ……どこから見てまわろうか迷うわよね」
「そうだな。人も多いし、はぐれたら合流できないかもしれない」
だから、と一度視線を逸らしてから、テオは手を差し出してきた。
「手、つなごうか」
周囲から聞こえる祭りのざわめきが、一瞬途切れた気がした。
前回はこうしたことは言われなかったはずだ。セレナが取った行動により、テオの対応が変わったのだろうか。なにがきっかけで。
しかし疑問の答えよりも、頬が熱くなって笑顔がこぼれるのが止められなかった。
「うん」
子供の頃ぶりにつないだ手は、温かかった。
「セレナはもっと祭りを楽しみにしていると思っていた」
「楽しみにしていたし、実際楽しんだわよ」
「いや、時間ぎりぎりまで祭りの出し物を見てまわろうとするのかと」
祭りの終了まであと少しという時刻。セレナとテオは、一年のテオの教室にいた。
カーテンを開け放った窓からは、紺、赤、オレンジのグラデーションが見事な夕方の空が見えた。
「祭りの最後といえば花火でしょう。ここからだとよく見えるわ」
「花火を見るだけなら、もっと上の階のほうがいいんじゃないか」
一年の教室が並ぶ辺りは二階だ。
「あと、テオのクラスにも行ってみたかったから。祭りの日なら他の生徒はいないでしょうし、いい機会だわ」
二人しかいない教室を歩きながら、セレナは語った。
「君のクラスの教室と同じだろう」
「もちろん作りはどこも同じよね。それで、テオはどこの席なの?」
テオは教室の後ろのほうの席を指さした。
「そこだが」
「座ってみて」
釈然としない様子だが、異議を申し立てることなく、テオは自分の席についた。その隣に、セレナも腰を下ろす。そして隣を見た。セレナのほうを向いたテオと目が合った。
「こうしていると、私塾で一緒に勉強したのを思い出すわね」
「ああ」
「テオと同じクラスで勉強してみたかったわ」
「そうだな」
「二年になったら同じクラスになれるかしら」
「なれたらいいな」
その未来を現実にするためにも、今日を乗り越えなければならなかった。
祭りはもうじき終わる。シャルロとは今日一日会っていないし、いまも近くにいない。本来なら校庭で行き会ったのだから、校内にいるとは思わないはずだ。
セレナは席を立ち、教卓のほうに進んで行って振り返った。
「今日は素直でよろしい。満点をあげます」
「それはどうも。満点のご褒美は?」
「……十一月になったら、なんでも望むものをあげるわ」
「なんでもって……不用意にそういうことは言わないほうがいい」
「誰にでも言うわけじゃないわ。テオだから言うのよ」
「それは――」
テオは気まずそうに視線を逸らした。薄暗い教室の中で、遠目だからわかり難いが、頬が赤く染まっているように見えた。
「……わかった。考えておく」
「ええ、そうして」
そろそろ花火の時間だろうか、とセレナは窓に近づいた。後ろから、テオが席を立った音がした。
「セレナ」
「なに?」
「魔術学院で君と再会して、一緒に過ごせて、楽しかった」
窓の外の空を視界に映したまま、セレナは学院に入学してからのことを回想した。最初はテオに避けられていた様子だったが、ハインリヒとの決闘がきっかけで距離が縮まった。
成長したテオと、また親しくなることができた。いまのテオを、好きになった。失いたくないと、強く願うほどに。
「ええ、そうね。わたしも――」
テオのほうを向くと、さっきまで彼がいた場所には、誰もいなかった。
「……え」
テオの席に駆け寄り、背もたれに手を当てた。体温が残っている。だが教室を見渡しても、人の気配はない。忽然と消えてしまっていた。
扉に駆け寄って廊下を見たが、そこにもテオの姿はなかった。
――どうしよう。どうして。
教室に残る魔術の残滓の原因を突き止める余裕もなく、セレナは駆け出した。自分がいつも授業を受けている教室の扉を開け放ち、それからシャルロのクラスの教室も確認したが、誰もいなかった。
鼓動の音が大きくなっていく。血の気が引いていく。嫌な予感が増していくのを感じながら、一年の教室にある空き教室を目指した。
扉に手をかけようとして、脳裏に床に倒れたテオの姿が過ぎった。まさか、そんなはずはない。ついさっきまで一緒にいた。シャルロに連れられて行ってしまったわけじゃない。
見たくない光景を振り払うように、勢いよく扉を開いた。そこには祭りの準備のための荷物や資材が置かれているだけで、誰かが倒れていることはなかった。
「よかっ……」
安堵の言葉をこぼしかけ、途中で止めた。テオの無事を確認するまでは、よかったなんて言えない。
――人も多いし、はぐれたら合流できないかもしれない。
――手、つなごうか。
そう言ってくれたのはテオだったはずなのに。テオがいなくなってしまって、不安で堪らなかった。つなぐ相手を失った手を見下ろし、こぶしを握り締めた。
魔術学院の敷地は広大で、校舎は広い。校舎の中すべてを見てまわることは不可能だ。そもそも校舎の中にいるのだろうか。鍵がかかっている教室も多いはずだ。
このまま校舎内を探すか、校庭へ行ってみるか迷っていると、廊下の外から悲鳴が聞こえた。胸騒ぎがして廊下に出て窓を開け放ち、杖を引き抜き飛び降りた。
風の魔術で落下の勢いを抑えて、裏庭に着地する。フランクールに見つかったら説教されるだろうが、構っていられなかった。
声のしたほうに駆けていくと、裏庭の騒ぎの中心部に人が集まっていた。
「先生は呼んだの?」
「もう死んでるんじゃないか」
そんな言葉が聞こえてきて、セレナは人だかりをかき分けて中心に飛び込んだ。
倒れている人物は、赤い血で染まっていた。首の太い血管が切り裂かれていて、肉の断面が見えた。そして彼は、血がついたナイフを手にしていた。
「……テオ」
さっきまで傍にいたはずの少年の変わり果てた姿が、目の前にあった。
「自殺だな、こりゃ」
「学院で死ぬなよ。しかも祭りの日に」
そんな第三者からの心ない言葉が右から左に抜けていく中、セレナの視界が揺らぎ、真っ黒に染まった。
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