二章 二度目の十月(4)
夢を見た。もう二度と見たくないと願った光景が、目の前に広がっていた。倒れ伏した幼馴染。赤い血。ナイフから滴り落ちる血液。振り返った少年と目が合った。
夢の中で泣き叫んで、目が覚めた。夢見は最悪で、それ以降、寝つけなかった。
十月下旬のある日、登校したセレナにブランシュが話しかけてきた。
「セレナ、聞いた? 昨日、学院に侵入者が出たそうよ」
そういえばこの時期にそんなこともあったな、と思い出した。
「逃げようとした侵入者を、フランクール先生が捕まえたんですって」
「へえ……さすがね」
堅物で厳しく、一部の自由奔放な生徒からは煙たがられている教師だが、腕は確かだ。フランクールに反発している生徒も、能力は認めている。恐れられているとともに一目置かれていた。
「それにしても侵入者、ね……」
魔術学院には結界が張ってあると聞いた。その結界は、使える者が限られる転移魔術での移動を制限するものだ。学院の門に門番はいるものの、その門番の目を欺けたのなら出入りすることもできるだろう。
学院が解放されて外部から来場者が多く来る祭りの日なら、もっと容易に侵入できただろうに。もっとも侵入できたところで、学園内部で事件を起こして逃げるのは難しいだろうが。
――ああ、そうだわ。祭りの日に侵入者が出たのなら、まったく知らない第三者がテオを殺した犯人なら、ここまで悩むこともないのかも。
そうしたことを考えた矢先、移動教室から戻る途中のセレナは、渡り廊下で実行委員とともに荷物運びをしているシャルロを目にした。
テオが評した通り、どの集団でもうまくやっていける資質があるらしく、シャルロは他の生徒と時折軽口を叩き合いながら、作業をこなしていた。
そんなシャルロを視界に映して、胸が重苦しくなった。
――あなたはどうしてテオを殺したの?
あの光景を思い出すと、気分が悪くなる。頭が重くなり、足がふらついた。
いや、それだけが原因ではないのかもしれない。魔術の訓練を続けていて、疲れが溜まっている。そして今日は悪夢のせいで寝不足で、あんな夢を見たのは十月末の祭りが近いからで――。
「セレナ」
テオの声がした。
「大丈夫か?」
気がつくと、セレナは教科書を抱えたまま渡り廊下の隅にうずくまっていた。心配そうに見下ろしているテオと目が合った。
「……ちょっと休んでいただけよ。もう平気」
夢で見た光景がちらついて、テオに重なった。それが辛くて、彼から視線を逸らした。立ち上がって教室に戻ろうとしたが、呼び止められた。
「最近、勉強や魔術の自主練習を頑張っているようだが、無茶していないか?」
「入学当初にちょっと躓いたから、いまのうちに遅れを取り戻そうとしているだけ」
「そうか。疲れているなら無理するな」
「ええ、ありがとう」
笑顔でそう返したが、テオはなおもなにか言いたそうにセレナを見ていた。
シャルロや実行委員の生徒は、見える範囲にはもういない。他の生徒もいつの間にか渡り廊下からいなくなっていた。
静寂に満ちた場所に二人きりだ。いまなら普段できない話もできるかもしれない。セレナは気分の悪さを振り払って、テオに向き直った。
「……ねえ。未来のことがわかる、と言ったらどうする?」
「へえ。なら明日の天気は?」
「多分晴れじゃないかと……というか信じてないわね」
「未来予知は魔術ではなく、本当に使える者はわずかしかいない能力だからな。君が使えるというなら、学院だけでなく魔術師の間でも噂になったことだろう」
占いや星読みは、カードや星から未来に起こるであろうことを読み取る技術であり、体系に基づいた学問だ。未来の出来事が見えているわけではない。
予言者を自称する者は、大体がはったりだったり裏がある。
そうした能力は、未来予知の他には、物質や場所に残る残留思念が見える力や、精神感応――他者と言葉を介さずに会話をしたり、他人の心や記憶を読み取る力などがある。人の心や精神の領域に干渉する力は、未来予知と同じく騙りに使う者が多く、本物は少ない。
本当に能力を持っている者は、滅多にいないからこそ希少な存在だ。
「予知じゃなく、実際に見てきたとしたら?」
「未来へ行って戻って来たと? それが本当なら、未来予知以上に珍しい事態だな」
「そうね。信じてくれないならそれでいいわ。仮定の話だと思って聞いて」
まだ夢を、気分の悪さを引きずっているのだろうか。これを伝えることがどう転ぶのかいまいち判断がつかない中、セレナは事実を告げた。
「わたしが見た未来では、十月末にテオは……殺されるの」
テオはわずかに目を見張ったかに見えた。しかしすぐに普段通りの平然とした無表情になる。
「そうか。それは大変だ」
やはり信じてなさそうな反応だった。少しでも信じているのなら、もっと驚きそうなものだ。
「ちなみに誰に?」
「それは……」
シャルロが殺したことを伝えていいのだろうか。テオの友人はシャルロくらいしかいないのに。親しい人に殺されたと知ったら、さすがに傷つくのではないだろうか。
「……判明する前に過去に戻ったようで、知らないわ」
「そう」
それ以上追求されることも詳しいことを訊かれることもなく、セレナは安堵した。
「とにかく、周囲には気をつけて。一人で行動しないで。それから――」
矢継ぎ早に忠告するセレナに、テオは頷いた。
「わかった。セレナがそこまで言ってくれたんだから、その未来は変わるだろう」
「そんなあっさり……」
「君からもらったペンダントがある。これがあれば一緒にいられるんだろう? 誰かに殺されたりはしない」
襟からペンダントを引き抜いたテオは、ペンダントトップを掲げて言った。
そう言ってもらえるのは嬉しかったが――前回、その装飾品がなんの効果も発揮してくれなかったことは、身をもって知っていた。
シャルロに気を許さないで、と言えたら少しはすっきりしそうだったが、結局そこまで伝えることはできなかった。
「明日はお祭りなのに、セレナさんは熱心ですね」
練習場でセレナの近くを通りかかったクローゼが、そう声をかけてきた。練習場にいる他の生徒は、数人ずつ固まって祭りの出し物としての魔術の練習の最後の仕上げをやっている。明日の祭りとは関係なく魔術の訓練をしているのはセレナくらいだった。
「それにしても、今月のはじめに魔術の練習を見てもらいたいと言われたときは驚きましたが。あの頃に比べてかなり成長しましたね」
「ありがとうございます。先生のおかげです」
「魔術を学ぶのに意欲的な生徒が入学してくれて嬉しいわ。これからも鍛錬を続けてくださいね」
新任教師ににこやかに励まされ、セレナは微笑を返した。これからがどうなるかは明日にかかっているけれど、と密かに思う。
魔術の特訓をしたからか、本来の時間軸より各段に上達した。手が空いている教師やハインリヒにもっと先の授業で習う魔術のコツを教えてもらい、使えるようになったのが自信につながっていた。
教科書を読み込んで自主練習をしてコツを聞いて、できる努力はしたつもりだが、思ったよりも習得は早かった。
ここ数年の調子が悪かっただけで、自分は魔術師としていい線をいっているのではないか。そんな子供の頃に抱いていた万能感に支配されそうになるほどに、魔術の鍛錬は順調だった。
慢心はよくないし、魔術を多少使えたからといってどうにかなる問題ではないのかもしれないが、いざというときに魔術で対応できるかもしれないと思うと心強かった。
勉強も十月の分の復習を終えてそれ以降の予習をしているが、授業を受けたわけではないのにすんなり頭に入って来ているように思う。
入学当初、授業について行くだけで精一杯だったのは、環境の変化に戸惑っていたのと、テオに避けられたことがストレスになっていたのだろうか。
寮に帰ったセレナは、夕食後に寮の自室で机の上に魔術式が刻まれた符や宝玉を並べた。手元しかつけていない明かりに照らされ、宝玉が光を反射して輝く。
家族がこっそり持たせてくれたこれらの魔術道具を、祭りの日は持ち歩くことにした。これで杖だけでは使えない魔術も発動できる。
明日、テオの死を回避できるのだろうか。十一月を迎えることはできるのだろうか。できることはやったつもりだが、疑問に対する答えは出なかった。
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