二章 二度目の十月(3)

 食堂でセレナがテオと昼食を食べていたら、シャルロと行き会った。

「聞いてくれよ、二人とも。祭りの日はクラスの連中と屋台でもやるかって話になっていたのに、レヴィナス家の分家なら実行委員の手伝いをしろってさ」

 理不尽だと言わんばかりにシャルロは不満を口にした。

 セレナはさすがに罪悪感を覚えた。本来なら、シャルロは級友たちと楽しそうに屋台でクレープを売っていた。それを思い出してしまった。

 祭りの夜があんな結果にならなければ、シャルロのやりたいことを邪魔することもなかったのだが。

「分家関係なくねえ? 学院長の関係者なら、学院に尽くさないといけないのかよ」

「そうか、気の毒に」

 さして同情もしていない様子で、テオは淡々とそう返した。

「テオにお達しはなかったのかよ。学院長の養子だろ。オレより間柄近いじゃん」

「集団行動の場に協調性がない人間がいたら、和を乱すと思われたんだろう。逆に君は、どの集団に行ってもうまくやれる。そうした人材を欲しているんじゃないのか」

「だからってなあ。しかもなぜか生徒会長直々に伝えに来たんだけど。……例の蛇の件、バレてないんだよな」

 声を潜めてシャルロはそうつけ足した。決闘で相手の弱点を突いたことがハインリヒに露見したのでは、そこから生徒会経由で会長がお出ましになったのでは、と考えたようだ。

 協力してくれたハインリヒに風評被害が及ぶのは避けたくて、セレナはなんとかフォローしようとした。

「バレたのだとしたら、まずわたしのところに来るでしょう。それにハインリヒ先輩なら、嫌がらせで祭りの手伝いなんてさせないと思うわ」

「そうだな。シャルロのところに乗り込んできて、『決闘で白黒つけようではないか!』となるんじゃないか」

「……それもそうだな」

「それに先輩は生徒会で祭りを取り仕切っていて、準備する側の楽しさも知っているわ。それをシャルロにも教えてあげたかったんじゃない?」

「そっか。屋台もやりたかったけど、実行委員の手伝いも祭りにかかわれるってことか。そう考えるとありな気もしてきたな」

 即座にそう考えられるあたり、腹立たしい想いをしても引きずらないたちのようで羨ましかった。命じられたことに文句は言っても、自分が必要とされているのなら手を貸す。味方でいてくれるなら頼もしい存在だ。

 そうした性格の少年が近しい人を殺す理由とは、なんだろう。



 十月中旬になり、祭りの準備が本格化していった。休み時間や放課後は祭りに参加する生徒たちが集まって、話し合いや出し物の練習、大道具や小道具や衣装の作成にいそしんでいる。

 二年生や三年生が一足早く準備をし出したのを見て、一年生からの参加申し込みが殺到するのもこの時期だ。

 祭りの日が何事もなく終わるのなら、過去に戻ったことを利用して早いうちに届け出を出して、テオと一緒に祭りを作り出す側にまわりたかった。

 しかし祭りの夜になにが起きるか知っている状態で、祭りの出し物の準備に熱中する気にはさすがになれなかった。

 ハインリヒを通して、シャルロに雑用を割り振ってもらった。夜までこき使われるというのが本当なら、祭り終了間際の時刻にテオと行き会う可能性は低いかもしれない。

 だが、同じ校内にいるのだから、絶対に会わないとは言い切れない。

 そしてそもそもシャルロがあの日にテオを殺すつもりでいるのなら――他に用事があろうとも、実行に移すかもしれない。

 実行委員の手伝いをしていても、わずかな時間抜け出すことくらい楽にできるだろうから。

 ならば祭りの終了間際は、テオは祭りの主要な会場となっている校庭や講堂から離れればいいのではないか。それから――殺害現場となった空き教室から。

 放課後、考え事をしながら校舎から出てきたセレナは、校庭から校舎を見上げた。視線の先の辺りに、祭りの夜に殺害現場となった空き教室がある。

 いまは近辺の教室の生徒が祭りで使うものを運び入れていて、屋台で使う食材や調理道具が入った箱が増えていっている途中だろう。

 一年生の教室が並ぶ階にあるのだから、行こうと思えばすぐに行ける場所だ。だが過去に戻ってからセレナはそこに足を向けることはなく、廊下の先に行く用事がある時でさえ空き教室の前を通ることを避けていた。

 風が長い髪とローブの裾を揺らす中、ふと思った。練習場に行って魔術の訓練をするのもいいが、一度くらい荷物置き場と化している空き教室へ行ってみるべきではないのか。

 殺人はまだ起きていないのだから、手がかりはないだろう。だがいつまでも避けていたら、また同じことが起きたときに、調べておかなかったことを後悔する。

 迷いを振り切って、思い立ったときにやってしまおうと空き教室へ行く決心をしたとき。

「おお。おぬしは先月、うちの孫と決闘をしたという新入生であるな」

 振り返ると、白い髪と髭を生やした、立派なローブ姿の老人と目が合った。

「……学院長」

 うむ、と金色の目を細めて、魔術学院の学院長、グェンダル・レヴィナスは頷いた。

「確かセレナ・エスランといったか」

「は、はい」

 まさか学院長直々に声をかけられるとは思わず、セレナに緊張が走った。本来の時間軸ではそんな日はなかったはずだ。校舎を見つめて黄昏ていたから学院長の目に留まったのだろうか。

「孫を打ち負かすとはやりおるのう」

「たまたま……ハインリヒ先輩が勝ちを譲ってくれただけです」

「勝利しても驕ることなく、謙虚な姿勢。孫にも見習わせたいものだな」

 学院長は対している生徒の困惑など気にもしない様子で、機嫌よく笑った。平然と他人を振り回すさまは、ハインリヒに通じるものがあった。しかしそのくらいの横柄さがないと、魔術師の家の当主や学院の頂点に位置する役職など、やっていられないのだろう。

 もっとも、レヴィナス家の当主の座はハインリヒの父親に譲り、現在は学院長の業務一本に絞っているようだが。

「それからおぬしはわしの養子と幼馴染と聞いたが。世間は狭いのう」

「そうですね」

 言われてみたら、セレナは学院長の養子と幼馴染で、学院に入学してから孫及び分家の子息と短期間で知り合った。そしていま、学院長自身と話をしている。奇妙な縁を感じた。

「テオドールはどんな子供であっただろうか」

「大人しくて他人とかかわるのが苦手そうだったけど、無邪気な面もありましたよ。ええ、いまよりも普通に笑顔を見せてくれました。あと本当に動く人形のような外見で、もっと着飾ればいいのにと常々……」

 反射的に言葉があふれ出して、そこまで言ってからセレナは我に返った。学院長が微笑ましそうな顔でセレナを見つめていた。

「それは興味深い」

「あ、いえ……すみません」

「謝る必要はなかろう。それにしても笑顔、か。あの常に無表情の少年が、おぬしには笑顔を見せるのか」

 その言葉で、学院長とテオの関係が打ち解けたものではないのだろうと思えてしまった。もっとも祖父と孫ほども年が離れていては、実の親子のように振る舞うのも難しいのかもしれないが。

 そこまで考えて、ふと気づいたことがあった。テオの親に会ったことがなく、どんな親かも知らなかった。

「だ、大丈夫ですよ。その、テオは分家の令息とは親しいようですし、学院長とも家族になれます」

「なんと、生徒に励ましてもらうとは。ありがたく受け取っておこう」

 そう言って笑うと、学院長は去って行った。



 学院長と別れてから、彼にシャルロのことを訊ねてみたらよかったのではないか、と気づいた。しかし既に姿は見えなくなった後で、いつでも会える相手ではない。過ぎてしまったことは仕方がない、と諦めた。

 それから校舎に戻って空き教室に行ってみた。恐る恐る扉を開けて、中に入って行く。しかし死体が倒れていることも、血が床に広がっていることもなく、箱が壁際に積み上がり、棚に収まっているのが目に入っただけだった。

 セレナが避けていただけで、いまはまだ、ただの空き教室だ。そして近い将来、殺害現場にしないために、現在できることをしている。それを再確認した。

「おや。セレナも祭りでなにかやるのか?」

 扉のほうから声をかけられた。書類を手にしたハインリヒが、空き教室の前を通りかかったようだ。

 セレナは首を振りながらハインリヒに近づいた。

「いえ、特には。いまは魔術の鍛錬と、他にやることがありますから」

「そうか? ならば無理強いはしないが――実際に祭りを体験すると、来年は出し物をやろうと考える一年は多いぞ」

「はい。ですから来年頑張ります」

 そう答えると、ハインリヒは不思議そうな顔をした。当然だ。この時期ならまだ届け出は受け付けてくれている。屋台の場所も舞台の公演時間も、そう悪いものにはならないだろう。

 気遣ってくれるのはありがたいが決心が揺らぐ話題を続けたくなくて、セレナは話を逸らした。

「わたしのことはともかく。先輩、なんだかお疲れのようですね」

 いつ見ても溌剌とした姿だと思っていたが、今日のハインリヒは憔悴が見て取れた。

「ああ、昼休みはずっと作業していたからな。そしてこれから出し物の調整だ」

「作業……生徒会の活動ですか? 大変ですね」

「うむ。だが、確実にやらねばならぬことかと言われると、そうでもなくてな」

 嘆息してからハインリヒは上のほうを指さした。

「実はこの学院に、卒業生が残していった開かずの間があってな」

 一年の教室が並ぶ階よりも上にあるということだろうか。

「鍵を返さないまま卒業してしまったんですか?」

「いや、扉の鍵は開いたままだ。だが、卒業生の中に結界魔術だけなら突き抜けた才能を持つ者がおってな。暗号や他の魔術を組み込んだ結界が二重三重にかけられていて、新年度から生徒会がなんとか解こうとしておるのだが、いまだに歯が立たん。扉は閉ざされたままだ」

「先生に頼るか、結界魔術が本職の魔術師を呼べば……」

「うちの副会長はその卒業生――古代魔術研究会の会長と犬猿の仲だったのだ。よって副会長は、これは我らに対する挑戦だ、と意気込み、生徒会だけで解決しようとしておる」

 副会長の意気込みはわからないでもないが、巻き込まれる先輩や他の生徒会役員としては堪ったものではないだろう。

 疲れた様子なのは、結界を解こうとしているだけではなく心労もたたっていそうだ。

 他人を振り回すことを趣味としているような人でも、立ち位置が変われば誰かに振り回されることもあるのか、と感じ入ってしまった。

「その開かずの間、どうしても開けないといけないんですか?」

「部室の一つや二つ、放置していたところでさして問題はないな。貴重な文献が本棚に詰まっているだろうが、そのくらいだ。教師がその部屋の中のものを必要としているなら、生徒会に任せて放置せずにさっさと開けるだろう」

 もっともな話だった。

「部室棟の中の一室ではなく、普段生徒が利用しない辺りの空き部屋を部室にしたもので、教師からも忘れられていそうだな」

「なんだか勿体ないですね」

「うむ。新しく研究会を作った者たちが部室を欲してはいるが。いつ開くかわからない部屋ではどうにもならんな」

 そんな話をしてから二人は祭りのための荷物置き場となっている空き教室から出て、別れた。

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