二章 二度目の十月(2)

「前回は魔術式が刻み込まれた符で、使い魔を呼び出しましたね。使い魔というと動物や魔物と契約して使役するものという印象が強いですが、魔術師自身が作り出して使役するものもあります。符から生成するのは、魔力が低くても呼び出せる、もっとも簡易的な使い魔です」

 黒板にチョークで文字が書かれる音が、教室に軽快に響く。

 教師になりたてらしいグレース・クローゼによる授業は一言でいうなら型通りで可もなく不可もなくといったものだが、年配の先生方の癖のある授業に比べたら声も板書もわかりやすい部類だ。

「では今回は、符から生成できる人型の使い魔を参考に、自分で魔術式を組み立てて使い魔を呼び出してみましょう」

 生徒たちが試行錯誤をはじめる中、ブランシュは後ろの席のセレナに話しかけようとして、目を丸くした。

「あら。家でこうした魔術を習ったの? 上手ね」

「……二回目だからよ」

 掲げた杖の先には、符から呼び出した使い魔と同じ、人間の輪郭を象った使い魔が出現していた。

 顔の細部は簡略化されていて、身体は真っ白で服も着ていない、等身大の簡素な人形のようなものだ。簡易的な姿だが、生成した魔術師の命令に従い、前もって魔術式の中に指令を組み込んでおくこともできる。

 二回目というか、この使い魔に関する一連の授業は十月末分までやった。最初は自力で魔術式を組み立てるのがうまくいかなかったが、何度かこなすうちに慣れてきた。今日初めて授業を受ける生徒よりは経験値がある。それだけの話だ。

「先生ー、入学式のパフォーマンスで飛び回っていたのもこの使い魔ですよね。それはこんな、人間を簡略化したような姿じゃなかったような」

「そうそう、うちでたまに呼び出される使い魔はもっとこう、よくできた蝋人形みたいな外見で」

「魔術式を複雑にすれば、いくらでも自分好みの外見にすることができますよ。服も自分で用意したものを着せなくても、着用した状態で生成できます」

 その説明に、生徒たちは俄然瞳を輝かせた。

「おれ、一度会っただけの深窓の令嬢に似せて作りたい」

「私は舞台役者そっくりに生成したいわ」

 基礎すらできていない生徒たちが、使い魔を生成する魔術式にどう手を加えれば目的の外見にできるのかと、教科書の先のほうを読み出した。

 さっきまで義務的に使い魔を呼び出そうとしていたブランシュも、瞳を輝かせて杖を握っている。

「やる気になったのは結構ですが。人間と見紛うほどの精巧さにするのは、本職の魔術師でも難しいんですけどね」

 クローゼがやれやれと息を吐くが、魔術でできることの限界を知る者のぼやきは、魔術師への道を進み出した若者たちには届いていなかった。

 二回目になる授業を受けながら、セレナはじりじりする心を必死で抑えつけた。

 昨日の小テストでは前回よりも遥かにいい結果を出せたが、そもそも授業で一日の大半の時間を取られるのが歯がゆかった。

 それに入学してすぐに教わるような授業をいくら聞いたところで、時間が過去に戻った原因がわかるとも思えなかった。

 時間を行き来する魔術は一般には使われていない。伝説や昔話、物語では語られているが、だからこそ現実には存在しないもの、とされている。ならば、いまの状況はなんなのだろう。

 考えたところで疑問は晴れない。いまはとにかく、できることをするしかなかった。



 魔術学院では、授業や練習場や緊急時以外で魔術を使うのは禁止されている。つまり緊急時は使ってもいいということだ。

 人が殺されそうになっているのを止めるのを、緊急時と言わずしてなんと言おう。魔術を多少使ったところで正当防衛だ。

 いざというときのために親がこっそり持たせてくれた符や宝玉は、寮の部屋の引き出しに入っている。魔術式が刻まれたものだけではなく、魔術を覚えたら自力で刻みなさいと言われた魔術式が刻まれていないものもある。

 持たせてくれた符や宝玉に刻まれた魔術は、学院で支給されるような属性魔術の符の他は、護身や防衛のためのものが主だ。

 大怪我でも治せる回復魔術が刻まれた宝玉があるのを発見して、これだけはいつも持ち歩こう、そして祭りの日も絶対持っていこう、と心に決めた。

 しかしいくら効果が高い回復魔術でも、死者には効かない。魔術は様々なことができるが、死者蘇生に成功した魔術師は存在しないという。

 魔術式が刻まれた符や宝玉は手軽に使えて便利だが、それだけでは心もとないものがあった。やはりセレナ自身が、もっと魔術を使いこなせるようになっておいたほうがいいだろう。なにせ障害となっているのは、レヴィナス家の分家の少年なのだから。

 そう考えて、セレナはシャルロの動向を探りつつ、魔術の特訓をすることにした。放課後になったら魔術の練習場へ行き、教科書の先の内容を読み込んで実践したり、放課後予定が空いている教師に指導してもらったり、体力作りに励んだりした。

 テオと交流する時間を削って訓練を一週間ほど続けていたら、あるとき後ろから声をかけられた。

「魔術の鍛錬か。感心な心掛けだな」

 セレナは肩を跳ねさせて振り返った。遥か高みから下々の者を見下ろしているような言動の上級生、ハインリヒ・レヴィナスがそこにいた。

「ハインリヒ先輩……決闘の日ぶりですね」

 なんとか笑顔を作ってそう返した。一度通り過ぎた十月のこの時期にハインリヒと会うことはなかったと思ったが、セレナが行動を変えたから練習場で遭遇したのだろうか。

 たまに指導してもらっていた教師は今日はおらず、セレナは自主練習の最中だった。

 ハインリヒを前にして、セレナは無意識にローブの胸元に手をやっていた。布越しに鎖の感触がする。子供の頃に作ったものとテオにもらったペンダントの二つは、いまも制服の下につけている。大丈夫、もう落として取られることはない。

「そうびくつくな。結局お前が蛇や蜥蜴を仕掛けた証拠はなかった。杖は新調する羽目になったが、下級生に負けるというのも貴重な経験だったぞ」

 ハインリヒは豪胆に笑う。

「ああ、テオドールとは友達ですらない、とか言っていたのは嘘だったようだな」

「え、ええと……」

「今月に入ってから、校内で一緒にいる場面を何度か見かけたぞ」

 決闘を挑まれたときとは状況が変わったからだ。だがそれをハインリヒに懇切丁寧に教える気はなかった。

「実に仲がよさそうだったな。やはり幼馴染はそうでなくては」

「ですよね!」

 思わず勢いよく返事をしてしまい、その直後にいくら言われて嬉しいことだったからといって、と後悔した。頬が熱くなる。

 ここは属性魔術の練習場とは違う建物だが似た作りで、周囲に観客席があり、十分な広さがある。ある程度周囲に影響が出る魔術も練習できるだけの広さがあり、利用者同士で距離を取れるようになっていた。他にも利用者はいるが、各自距離を空けてそれぞれの練習に励んでいた。

 ハインリヒも練習に来ただろうに、なぜ話しかけてくるのだろう。どうやって話を切り上げようかと思う中で、ハインリヒはなにやらわかったような顔をして頷いた。

「それでセレナは、私に勝った後はさらなる高みを目指して、日々鍛錬を重ねているのだな。うむ、魔術学院の生徒たるもの、向上心があるのはいいことだ」

「いえ、元が優秀とは言い難かったので、特訓や自主勉強をしてやっと並ですけどね……」

 それでも一度過ごした十月の記憶があるから、この一ヶ月の範囲は余裕になってきた。だが入学してしばらくした頃に教わる魔術を反復練習したところで、人を殺そうとしている相手をどうにかできるのだろうか。

「決闘の勝者は敗者に命令できる権利があるではないか。一年でやるような魔術や座学なら、私が教えてやろうか?」

「本当ですか!」

「うむ。試験対策だけでなく、しっかり身に着けてやるぞ」

 それは頼もしい。かつての強敵も、味方につけるとかなりの戦力になってくれそうだ。一瞬喜びかけたが、ハインリヒに訊きたいことは他にあった。

「魔術や勉強も教えてもらえるならありがたいですが……それよりレヴィナス家の分家について、教えてください」

 ハインリヒは意外そうに金色の瞳を瞬かせたが、鷹揚に頷いた。

「そんなことで勝者の権利を使わずとも、教えてやる」



 休憩も兼ねて練習場のベンチに座り、話を聞くことにした。私が知っている範囲のことになるが、と前置きしてハインリヒは話し出した。

 レヴィナス家の分家は本家と家を分けてからは、本家ほどの功績を上げているわけではないが、魔術師の家として代を重ねている。

 昔は本家当主の従者をしていることが多かったが、近年はそうではない。本家とは別に活動しているようだ。

「ところで、なぜいきなり分家について知りたいなどと言ったのだ?」

「あ、はい。分家の子息がわたしと同じ学年にいて、一年同士で少し話をすることもあったんですが、ハインリヒ先輩とは大分違う方で、興味が沸いて……」

 完全に他人ということにしてしまうと後々齟齬がでるかもしれないので、顔見知りというていでシャルロのことを述べた。

「そういえばセレナはシャルロと同じ学年だったな。どうにもあの分家の子供は小柄だから、もっと年の差があったような気がしてしまう」

 そういったことをシャルロ本人に悪気なく言うから、煙たがられているのではないだろうか。

「子供の頃は本家と分家の集まりで会った際によく遊んでやったが、ここ数年はそこまで親しいわけではないな。昔は懐いてきたのに、いらぬ知恵をつけおって」

 そのいらぬ知恵のおかげで弱点を教えてもらって決闘で勝てました、とは対決した本人には言わずにおいた。

「シャルロは子供の頃、先代に散々説教されたからか、先代を苦手に思っているようだな。最低限しか本家の屋敷には近づかん」

「へえ……あれ、でも学院長は基本的にこの学院で生活されているから、屋敷には長期休みのときくらいしか帰らないのでは」

「学院長は転移魔術が使えるからな。用があれば本家の屋敷だろうが各地にある別邸だろうが、即座に移動しているぞ」

 そういえば噂に聞いたことがあった。使える者が限られる転移魔術を学院長は使える、と。

 転移魔術を刻んだ符や宝玉は高価なものだ。魔術道具があれば使えない術でも原理上は使えるが、並の魔術師が気軽に手を出せるものではなかった。

「街を越えるほどの転移魔術を使えるなんて、さすが学院長ですね」

 街中などの近距離を移動できる転移魔術を使える者すら数が少ないのに、長距離を自分の力だけで移動できるなど、どれほどの希少な魔術師なのだろう。

「そういえば、学院には転移魔術での出入りを阻むための結界が張ってあると聞きましたが。学院長ほどの実力者となると、関係ないんですね」

「関係ないわけがあるか。使う者によって結界が反応しないようでは防犯の意味がなかろう」

「じゃあ……」

「学院の門を出てから転移魔術を発動させればよい。長時間馬車に揺られることを思えば、校舎から門の外へ行くくらい、手間のうちには入らぬのだから」

 なるほど。言われてみたら当たり前のことだった。しかし魔術学院の敷地は広大だ。

「校舎から門まで結構距離がありますけど。あ、門のすぐ手前まで転移魔術を使えば」

「学院長が率先して決まりを破ってどうする」

 生徒会の人間らしい、規律正しい言葉を聞いてしまった。分家の子息が率先して校則を破るようなことをしているのは、知っているのかいないのか。

「話が逸れましたが。シャルロは快活で社交的な、いい人……ですよね」

 ハインリヒはセレナをまじまじと見つめたかと思うと、ふむ、とあごに手をやった。

「いい人の定義とは?」

「えっ……」

 とりあえず人は殺さないと思うが。

「人間は多角的な面を内包している。ある人物からは善人と認識されていても、別の人物からは恨まれている、などよく聞く話だな」

「そうですね……」

 シャルロだけでなく、今日のハインリヒもそうだ。決闘を持ち掛けられたときは心底困ったが、無茶なことを言って来ない分にはまともな先輩に思えた。いや、まだ完全に気を許したわけではないが。

「シャルロとなにかあったのか?」

「いえ、そういうわけじゃ……むしろお世話になりました」

 いまのところはなにかをされたわけではない。祭りの夜にシャルロがしたことを知っているだけだ。その未来をなんとかして回避したいわけだが。

 ……ふと思いついたことがあった。

「十月末にシャルロを本家に呼ぶ用事とか……作れませんか」

 駄目で元々のつもりで言ってみたら、ハインリヒにきょとんとした顔をされた。

「なぜだ?」

「学院でお祭りがあるじゃないですか。わたし、テオと一緒にまわりたいんです。でも、シャルロとテオはよく一緒にいるようなので」

「シャルロに頼めばよかろう。あやつとまわりたいから二人きりにして欲しいと」

「そうですよね……」

 なんでもいいから理由を作ってシャルロを学院の外に出したかったが、駄目なら仕方がない。シャルロもその日は屋台で忙しいことは知っている。頼むまでもなく、セレナとテオにかかわってくることはない。夕方から夜にかけて、祭りが終わる頃を除いては。

「祭りの雑用を押し付けることならできるが。数日前から準備に駆り出されて、やりようによっては夜遅くまでこき使われるだろうな」

「夜遅くまで……」

 あの日の夜にシャルロが自由に動けないのなら、テオが殺されることもないのだろうか。

「なら、それでお願いします」

 反射的にそう答えていた。

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