二章 二度目の十月(1)

 瞬きをすると、視界が明るくなっていた。

 手の上に落されるペンダント。視界の先には、夕日に照らされたテオがいた。

「――え……」

 目の前の人物に手を伸ばし、セレナの手からペンダントがこぼれ落ちた。相手の腕をつかみ、信じられないものを見るように、テオの顔を凝視した。触れる。体温がある。幽霊でも、物言わぬ死体でもなかった。

「……怪我は」

 テオのローブの胸元に手を当てた。だが傷も出血もないようだ。鼓動の音が、手のひらを通して伝わってきた。

「怪我? どうして」

 不思議そうに問われた。

 セレナの瞳が潤み、視界が歪んだ。テオを抱きしめ、力を込めた。

 これは夢なのだろうか。自分に都合がいい幻を見ているのだろうか。だがこの感触は、現実としか思えなかった。

 抱きしめた相手が肩を跳ねさせたのが伝わってきたが、無理やり引き剥がされることはなかった。少ししてから落ち着かせるように、背中を撫でられた。

 テオは生きている。それを実感した。嬉し涙が頬をつたった。

 しばらくしてから、セレナはテオから身体を離した。

「決闘、緊張したのか?」

「違うわ……」

「大変だったな。だがよくやった」

 そういうことではないが、テオが幼馴染をなんとか落ち着かせよう、労おうとしてくれているのは伝わった。

 涙を拭い、セレナは床に落ちたペンダントを拾い上げた。

 決闘の後にテオがくれたものだ。ずっと身に着けていたペンダントだが、なぜついさっき手渡されたのだろう。テオが作った若干いびつなペンダントは、同じものがいくつもあるとは思えなかった。

「決闘、ペンダント……」

「大丈夫か?」

 混乱はしている。だが、現状を確認しないといけない。

 十月の頭にハインリヒと決闘した以外で、この学院に入学してから、セレナは決闘などという事態に巻き込まれたことはなかった。

「……今日ってもしかして、十月二日?」

「そうだが」

 肯定された。それが本当だとすると、一ヵ月前の過去、決闘が終わった後に戻っているということなのだろうか。なぜ。疑問が渦巻くが、答えは出なかった。

 ずきりと頭痛がして、セレナは頭に手をやった。

「具合が悪いのなら――」

 首を振った。落ち着け。夢ではないとさっき結論を出したはずだ。そして奇跡が起きてテオが生き返ったわけでもない。十月の頭に戻ったのが現実だというのなら――。

 テオの腕をつかみ、顔を見つめた。紫の瞳と目が合う。

 いまからの行動次第で、一ヶ月後の惨劇を止めることができるかもしれない。



 決闘の翌日。この日は確かそれぞれ昼食を食べた後に、作戦会議をしたときと同様に食堂と同じ階にある教室に三人で集まったのだった。

 セレナは心が急くのを自覚しつつ、平静を装って空き教室へ向かった。扉を開けると、カーテン越しの陽光の中でシャルロとテオがいた。

「お、来たか。昨日は新進気鋭の一年生があの文武両道で才気溢れるハインリヒ先輩に勝利したようで、実にめでたいな」

 機嫌がよさそうな表情を浮かべたシャルロが、前回と同じ労いの言葉をかけてくれた。セレナを祝っているだけでなく、レヴィナス家本家の跡継ぎに対する皮肉が多分に含まれているのも記憶通りだ。

「ええ、それもテオとシャルロが協力してくれたからよ。ありがとう、わたし一人じゃ勝てなかったわ」

 笑顔が引きつっていないだろうか、と思いながらも、シャルロに礼をする。この二人が並んでいるのを見るのは、正直心が掻きむしられた。あんな事態を目撃する前は、テオにも友人がいるようでよかった、と微笑ましく感じていたのだが。

「困ったときはお互い様だろ。オレとしては、あいつの狼狽した顔を見られただけで十分収穫があったし」

 屈託なく笑うシャルロの姿が、祭りの夜のナイフを手にした姿と結びつかなかった。

「な、テオ」

「同意を求めるな。俺は別に本家の令息に恨みはない」

「決闘を申し込まれて困ってたじゃん。次はテオが先輩を打ち負かす策を考えようぜ」

「だから決闘をする気はない」

 シャルロの軽口にテオは嘆息した。しかしこの二人の会話はこうしたやり取りが主のようだ。

「そういえばシャルロ、蛇や蜥蜴は全部回収できたの?」

「ああ、多分!」

 いまいち不安が残る返事をされてしまった。属性魔術の練習場だけではなく、他の場所から出てきたらどうしよう。

 話をしていたら突然空き教室の扉が開き、三十前後の男性教師が顔を見せた。

 シャルロはぎょっとして肩を跳ねさせた。

「君たちは実行委員の生徒ですか?」

「いえ、違います……」

「ならば出なさい。祭りに使う材料や道具をここに運び込むことになっています」

 そういえば前回もそうやって追い出されたのだった。三人は空き教室から出ようとして、教師に釘を刺された。

「空き教室にたむろするのは感心しませんね。生徒が談話する場所なら他にいくらでもあるでしょう」

 今回の集まりはともかく、一昨日やった作戦会議のような話を教室や中庭のベンチなど、他に生徒がいる場所ではしたくないのだが。

 空き教室の扉が閉じられ、廊下をしばらく歩いて教室から距離を取ってから、三人は息をついた。特にシャルロは固まっていた身体を弛緩させて、肩を落とした。

「フランクール先生があの場に来るとはな。肝が冷えたぜ」

 ジルダ・フランクール。立派なローブを一分の隙もなくまとい、眼鏡の奥の鋭い瞳を光らせていて、学院の生徒のいかなる違反行為も見逃さないという。規律に厳しく、生徒に恐れられている教師だった。

「シャルロは過剰反応じゃないか」

「この間、教室移動で遅刻しそうになってさ。窓から移動しようとしたのを目撃されて、それはもう説教された」

「それは怒るわよ……」

「やっぱ二階の窓から一階の屋根をつたって別の校舎まで行こうとしたのは無理があったか」

「それは怒るな」

「この学院が無駄に広いのが悪い。オレは転移魔術は使えねえし」

「使えたとしても、授業以外で魔術は使うなという校則だろう」

「バレなけりゃいいんだよ」

 そういう考えだから、フランクールに目を付けられるのだろう。

「じゃあ、俺は図書館に行くから」

「おう、じゃあな」

 テオとは逆方向に歩き出そうとするシャルロを、セレナは呼び止めた。

「シャルロ。話があるのだけど」

「ん、なんだ?」

 この廊下に、いまのところ他に生徒はいない。だがもう少しすれば、実行委員があの空き教室に荷物を運んで来るかもしれない。

「ひと気がないところに移動しましょう」

「なに、もしかして愛の告白?」

「違うわよ」

「わかってるって。セレナはオレなんか眼中にないもんな」

 からからと笑ってから、シャルロはこっちだ、と廊下を進んで行った。階段を上がって行き、屋上に上がる手前で足を止める。薄暗いこの場所は、確かに他の生徒に話を聞かれる心配はなさそうだった。

 正直シャルロのことがわからなかった。だがいまはまだ、目の前の少年はテオを殺したわけではない。

 以前とは違う行動を取ると未来が変わる可能性があるとはいえ、シャルロの前で失言したくらいでいますぐ殺されることも――ないと思いたい。下手に刺激しないようにしつつ、なにか情報を引き出せればいいのだが。

 セレナは警戒しつつ、話を切り出した。

「テオとは学院に入る前から知り合いだったの?」

「ああ。じいさんに呼び出されて面倒を見てやってたんだよ」

 それを繰り返して、あそこまで打ち解けたということか。

「いつから?」

「十二歳のときだから四年前か。会った当初はもっと素直だったのに、最近じゃ憎まれ口を叩くようになって」

 しみじみと言われてしまった。

「わたしは七歳のときに会って、十歳になる年まで一緒にいたわ」

「いや、張り合うなよ。それにオレは別に、あいつと毎日一緒に過ごしたわけじゃねえからさ。月に何度か会うのを継続しただけ、それもじいさんの計らいで。親戚の集まりで子供は子供同士で遊んでろって言われたようなもの。それでいいか?」

 そうだ、過ごした時間を比べても仕方がないし、シャルロとそんなことで競っても意味はない。セレナが知らない頃のテオを知っているのは非常に羨ましいが、それをシャルロにぶつけたところでどうにもならない。

 それにテオが故郷の街から姿を消した頃と時期がずれているのが気になった。

「十二歳……それより前は?」

「え、さあ。ってかオレじゃなくて本人に訊けば?」

 その通りだ。詳しい話を教えてくれるかはわからないが、テオのことは彼本人に訊けばいい。シャルロには他に訊くべきことがあった。

「あなたはテオのこと、どう思っているの?」

「ん? 変なやつだよな」

 恨みつらみがあったところでそれを正直に吐くとも思っていなかったが、予想外の答えが返された。

「……それは否定しないけど」

「あ、セレナと一緒にいるときのあいつは見てて面白いな」

「面白い……?」

「ああ。オレも散々笑わせようとしたことがあったけど、セレナが隣にいるときのほうが普段しないような顔してる。さすが幼馴染だな」

 晴れやかに笑って、シャルロはそう評した。

「それはどうも……」

「あれ、もう付き合ってるんだっけ?」

「付き合う!?」

「てっきり決闘で勝った後の流れで告白くらいしたものかと」

「そ、それはまだ……」

「へー。まだ、か」

 語るに落ちた。セレナの頬が熱くなる。

 シャルロはにやにや笑いながら、セレナの反応を見ていた。

「あ、そろそろ昼休みも終わるな」

「待って、まだ……」

「話ならいつでもできるだろ。ああそっか、テオのことを訊きたいならあいつがいないときがいいのか。ま、暇なときならいくらでも付き合ってやるよ」

 そうしてひらひらと手を振ったかと思うと、階段を下りて行ってしまった。セレナも仕方なくあとに続いた。

 先を行くシャルロの後ろ姿を見て、ふと思ってしまった。いま即座に決断すれば、誰にも見られることなく突き落とせるのではないか。

 鼓動の音がうるさい。息苦しい。テオを助けるためだとしても、誰かを――知り合いを傷つけるのは怖かった。

 まだシャルロについてなにもわかっていない。深呼吸して、会話した内容を思い出した。

 若干はぐらかされた感がなくもないが、シャルロがテオを恨んでいるようには感じられなかった。

 たまに痛いところを突かれるが、陽気で面倒見がいい少年に見える。決闘の前日にシャルロと知り合ってから一ヶ月ほど交流した、セレナの記憶通りの姿を見せつけられた。

 普段の明るい態度は演技なのだろうか。十月末の祭りの夜、シャルロはなぜ、テオを殺したのだろう。知り合いを害して自分が罪人になる覚悟があったというのだろうか。

 テオと親しそうに見えても、本人たちの間になにがあったかなんて第三者からはわからない。むしろ近しい間柄だからこそ、積もり積もったことがあるかもしれない。

 動機など、この際考える必要はないのかもしれない。テオを殺した結果を知っているのだから。

 シャルロを監禁拘束しておけば、月末にテオが殺されることはないのだろうか。祭りの前日に怪我をさせたり体調を崩させたりすれば、シャルロが祭りに参加することもなくなるのだろうか。

 どんどん考えが物騒になっていく。しかしそのくらいしなければ、祭りの夜にシャルロをテオから引き離せないのではないか。それが最適解だとしたら――実行に移せるのだろうか。

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