一章 幼馴染との再会(5)
一日前の午後のこと。結局昼休みはテオと話をしていたら時間がなくなってしまい、午後の授業の傍らでセレナは決闘で勝てそうな勝負方法を絞り出すことになった。
あの二人も協力してくれると言ったのだから、どうやっても勝てそうにないなら駄目出ししてくれるだろう、と叩き台になりそうな内容をまとめた。
放課後、昼休みと同じ空き教室に集まり、セレナはひとまず考えた勝負方法をテオとシャルロに提示した。
「属性魔術の練習場の杯を使った勝負、か」
「ええ。速く終わらせたら逆転できるような得点配分にすれば、先輩も得意属性でも杖や符を使うかもしれないわ。速さよりも相手の出方を読む勝負になって、うまくいけば勝てるかもしれない――と思うのだけど」
自信のなさが口調に滲む。
「極端な例だと先に終わらせたほうが五十点加算とかか? だが先着が確実に勝てるような得点なら、それこそ先輩も速さを重視するんじゃないか」
「……そうなのよね。もしかしたら属性が偏ってわたしが有利になるかもとか、点数配分によってはぎりぎり勝てるかもしれない、とも思ったけど」
「ぎりぎり勝てるかもしれない状態では、ぎりぎり負ける可能性もあるな」
例えば先着で二十点加算なら、理論上の最高得点はセレナが先着になった場合、同じになる。同得点では勝てないし、ハインリヒの選択によっては先行される。先着の得点が十点程度だとハインリヒは悠々と杖なしの得点を取って、セレナは巻き返せない。
セレナだけではうまい落としどころを見つけられず、二人に相談しようと思ったのだ。
テオは勝負方法の叩き台をまとめた紙を見つめて続けた。
「相手の出方を読む勝負、か。その方向性は悪くない。それに一見選択肢があり、戦略の幅があるように見える」
「一見って……」
「先着でもらえる点数を考慮に入れなければ、この勝負方法を提示されたら、得意属性に関しては最高得点を取れる方法を選ぶだろう。選択肢はあってないようなものだ」
「それもそうね」
「逆に言うと、相手に最適解を選ばせなければいい」
そんな方法はあるのだろうか。考えに沈みかけたとき、シャルロが口を挟んできた。
「杖を使わない魔術は、杖の補助があるときよりも精神を集中させないといけねえよな。集中力が切れたらどうなると思う?」
「魔術が発動しなくなるわね」
「だが、本家の跡継ぎは魔術が優れていると評判なんだろう? 緊急時に集中できないなどということはないと思うが」
シャルロは頷いて肩をすくめた。
「そう思うよな。学院長もあいつの親――レヴィナス家の現当主も、杖を使わずに大魔術を扱えることで有名だ。跡継ぎならそのくらいできて当然。周囲からそう期待されたら、それはもう努力するだろうさ。だから杖なしでも、万全な状態なら複雑な術だって使える」
ハインリヒの才能に関する噂は聞いていたが、分家筋の少年からさらに先輩のすごさを聞かされてしまった。
「杖なしで高い点を取れる勝負なら、より難しい方法を見せつけた上で勝ちに行きそうね」
「ああ。だけどあの先輩はああ見えて、想定外の事態に弱いんだ」
意外なことを言われ、セレナとテオは目が点になった。
「実戦経験があるといっても、それは学院の授業で用意された実戦だからな」
「ということは、集中を乱せば……」
セレナの言葉に、シャルロは実に楽しそうな――意地の悪そうな笑顔を浮かべた。
「実はあいつ、弱点があるんだよな」
「弱点って……」
「あいつ、爬虫類や両生類が苦手なんだ」
聞き捨てならないことを聞いた。
「それって蛇や蛙が……嘘でしょう?」
「蜥蜴もか?」
「そう。その辺全部。あと蜘蛛とかの一部の昆虫。魔術師はそれらを扱えて当然だから、必死に隠してる」
この国では竜に乗る騎兵が重用されていて、魔術師の中にも飛竜を乗りこなす者がいる。住人は竜に畏怖だけでなく、憧れを抱いている者も多かった。
竜は種類によって大きさも姿も様々だ。蜥蜴や蛇に似ている竜もいる。それらに対しては、ハインリヒはどう思っているのやら。
「そうか。なら――魔術学院は爬虫類や両生類を飼育、管理している部屋もある。檻の一つを移動させている最中に逃がしてしまって、偶然属性魔術の練習場に紛れ込むこともあるかもしれない」
「そうそう。よく教師が逃げた動物を探し回ってるし。檻の外に出て、学院のどこで見つかってもおかしくねえよな」
不穏なことを言い出した少年二人は、同時にセレナのほうを向いた。
「じゃあ明日、先輩の集中を乱すものを練習場に放つから」
「決闘の噂も広めとくぜ。噂を聞いて見に来るやつが何人かいるだろ」
観客を入れるのは、決闘の場に第三者が紛れ込んでいても気づかれないようにするためか。 それにしてもこの二人、日頃の態度は正反対なのに、なぜこういうときばかり息が合うのだろう。
「そんな卑怯な方法……」
「自分のほうが強いとわかっていて、後輩の女の子に無理やり決闘を申し込むのは卑怯じゃないのか」
「それは……」
昨日、ハインリヒを前にして困り切ったことを思い出してしまった。そしていまもペンダントを取られたままで、決闘で勝たなければ取り戻せないことも。
テオの紫の瞳が光を帯びた。
「点数配分は一見先輩に有利なようにしておけばいい。あとは――相手が勝負を下りるような状況を作り出せばいいんだ」
悪い友達の影響で、子供の頃は純朴だった気がする幼馴染がすっかり黒く染まってしまった。
そのことを哀しく思いながらも、そろそろハインリヒに勝負内容を伝えに行かなければならない時間になっていた。これ以上いい案は出そうになく、その作戦を採用することに決まったのだった。
最後に一つ、助言をもらった。
「確率によっては勝てる、運が良ければ勝てる、などと言う者は舐められる。賭け事ではカモにされるだろうな」
「悪かったわね……」
あの練習場の杯は出る属性が偏ることがあるから、考えてきた勝負方法を提示する際にそうしたことも言ったが、いまになって駄目出しされるとは思わなかった。
「そうじゃない。先輩相手に、あえてその手の言動を多用すればいい」
なるほど、相手の出方を読む勝負、か。決闘の前から、勝負ははじまっているのだった。
一度開始地点まで戻ったハインリヒは、杖を拾うことなく途中の杯まで戻って来ると、残りの魔術をすべて符で発動させ、杯に魔術を灯した。
審判の教師が目を丸くしている中、ハインリヒは到着地点までやって来て、先に杯に魔術を灯すのを終わらせていたセレナに険しい瞳を向けた。
「……どうされました? 先輩」
驚きと困惑を顔に浮かべながら、セレナはやんわりと問いかけた。
ハインリヒは肩を振るわせていたが、やがて諦めたように言った。
「今回は勝ちを譲ってやる。お前の勝ちだ」
「ほ、本当ですか!?」
セレナは喜色満面になり、指を組み合わせて感動の仕草を作った。
「もしかして、わたしが魔術学院の授業についていけなくて落ち込んでいたのをご存じで、自信をつけさせるために決闘を挑んでくれたんですか? さすが名門レヴィナス家の跡継ぎですね! 素晴らしい考えをお持ちです。やはり大事なのは運よりも、人の情と思いやりですね!」
「え、あ、ああ。……もうそういうことでいい」
この場を切り抜けられたと思ったのか、明らかに安堵した気配が伝わってきた。
しかしこの決闘の目的は、大勢の生徒の前で先輩と後輩の心温まる物語を演じることではない。
これだけおだてておけば苦手なものを近づけたことも帳消しになるだろう、なってくださいごめんなさい、と内心で謝罪しつつ、セレナは笑顔を浮かべてハインリヒに手を差し出した。
「ではペンダント、返してください」
「仕方ないな……」
負ける可能性を考慮に入れていたのか知らないが、ハインリヒはローブのポケットから小さな包みを取り出してセレナに差し出した。
受け取って、握り締める。一昨日ペンダントを取られてから色々とあった。だがこうして戻って来た以上、延々悩んでいたことは忘れよう。
それに決闘騒ぎのおかげで、再会して以来避けられていた幼馴染と腹を割って話し合う機会を得て、子供の頃のようにかかわれるようになった。結果だけ見たら、万々歳のところに落ち着いたわけだ。
テオが身に着けているペンダントを引き抜いたときは、どん引きを絵に描いたような顔をされたが。終わりよければすべてよしだ。
奇行を働いたことは気にしないことにしよう。テオもきっと引きずらずに流してくれるはず。だって子供の頃のテオは、セレナの突拍子もない行動に付き合ってくれたのだから。
「それで勝者の命令はなんだ?」
ペンダント奪還の余韻に浸っていたら、ハインリヒからそう問われた。
「え、なにも考えてなかったです……」
テオのことや勝負内容を考えるのに頭を使っていて、決闘を挑まれた際についでのようにつけ足された敗者に命令できる権利のことなど、いまのいままで思い出してすらいなかった。
「そうか、では忘れぬうちに頼むぞ」
「は、はい!」
「それに、後で話があるからな。どこまでがお前の作戦だったのか、みっちり教えてもらおうか」
恨みがましい瞳で見つめてくるハインリヒに、セレナは頬をひくつかせつつ、笑顔を返した。
周囲に人がいないことを確認してから、セレナは昨日作戦会議に使った空き教室の扉を開いた。
オレンジ色の夕日に染まる教室の窓辺に、幼馴染の少年が佇んでいた。窓からの光がテオの亜麻色の髪を金色に透かしている。
セレナは教室に入り、テオに駆け寄った。
「勝ったわ! テオたちのおかげね」
「よかったな、セレナ」
ずっと感情を表に出さないような顔を見せていたテオが、安堵した様子で表情を緩ませた。
再会してからはじめて、名前を呼ばれた。成長したテオとの間に広がっていた距離が、一気に縮んだかのように思えた。
感極まっているところをシャルロに見られていたら恥ずかしい、と空き教室の中を見渡したが、シャルロもここにいるのではないかという予想は外れた。勝利に導いてくれた蛇たちを回収し、もとの飼育部屋に返しに行ったのだろうか。
テオはローブのポケットから小さな包みを取り出した。
「これは無駄になったようだな」
「それは……」
「取られたペンダントの代わり。あと……子供の頃にもらったもののお返し」
どこか気まずそうに、テオは説明した。頬が赤く見えるのは、夕日のせいか、それとも。
「くれるの? 嬉しい!」
「いや、だがこれは」
「ありがとう!」
テオはなにやら言い澱んでいる様子だったが、結局セレナの勢いに押されたようだ。たじろいでいる様子が子供の頃のテオに重なった。
「あ、包みから出して。いまつけるから」
しょうがないな、といった調子でテオは包みを開けてペンダントの鎖を持ち、セレナの手に載せた。
子供の頃にテオが作った粘土細工ほどではないが、どこかいびつな銀細工のペンダントを見下ろす。セレナとテオの名前の頭文字が、模様のように入っていた。
「……多少落ち着いたかと思ったが、相変わらずだな」
思わずといった様子で、テオは笑みをこぼした。
――あ、笑った。
先程の安堵の表情よりも明確に、笑みの形になっている。子供の頃ぶりに見た、そして再会以来はじめて目にしたテオの笑顔は、セレナの心に焼きついた。
「テオも優しいのは変わらないわね」
「……別に優しくない」
そうした評価を拒否するように、テオは顔を背けた。
「素直じゃなくなったのは残念だわ」
セレナがくすくす笑っていると、不本意そうにテオは嘆息した。
「まったく……とにかくこれで、学院卒業直後に君が先輩と結婚させられることはなくなったんだな」
「そんな噂があったの!?」
驚いて叫ぶと、テオは目を見張った。
「噂……なんだ、そうだったのか」
拍子抜けした気配が伝わってきた。
誰だそんな噂を流したのは、と疑問に思ったが、それ以上にふと頭を過ぎることがあった。
「もしかして、それが嫌で協力してくれたの?」
「違っ――」
声が上がったが完全に否定されることはなく、さらに言葉が続けられた。
「いや、君がレヴィナス本家に嫁いだところで、うまくやっていけるとも思えないからな」
「そう。じゃあそういうことにしておいてあげるわ」
指摘したら機嫌を損ねそうだから、頬が赤くなっているのも夕日のせい――ということにしておこう。
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