一章 幼馴染との再会(4)
放課後。セレナはハインリヒとの待ち合わせ場所である生徒会室に向かった。他に上級生がいたら気まずいと危惧したが、ノックをして入った室内に他の生徒はいなかった。
「約束通り来たようだな。その様子だと、勝負方法も決まったのか」
ハインリヒは作業の手を止めて応接用のテーブルを囲むソファに移動し、向かいの席を指し示した。
生徒がひしめき合う教室よりも豪華な設備を一瞥しながら、セレナは席についた。そして机を挟んで先輩をまっすぐに見つめ、こう提案した。
「勝負方法は属性魔術の練習場で、四属性の魔術を杯に灯すこと、でいかがでしょう」
属性魔術の練習場には、属性に対応した四色に色を変える宝玉がついた杯が並んでいる。炎なら赤、水なら青、雷なら黄色、風なら緑といった具合だ。
「魔術勝負でいいのか?」
「はい。公平に、先生に審判をしてもらおうと思います」
ふむ、とハインリヒは首を傾げた。
「ならば私のほうが有利だと思うが?」
「普通ならそうでしょうね。基本的に魔術師は四属性のうち一属性しか使えませんが、ハインリヒ先輩は二属性使えると聞きました」
通常、魔術師は自分が得意な一属性しか使えない。学院長及びハインリヒは二属性使えるが、極めて稀な生まれ持っての才能だ。
だが魔術師が一属性しか使えないというのは、自分の力だけで魔術を行使しようとした場合に限った話だ。
「先輩の魔術の才能が秀でていることはよく知っています。しかし決闘のルールによっては、先輩が勝てるとは限りません」
「ほう。して勝負方法は?」
宣戦布告のように宣言すると、ハインリヒは面白そうに身を乗り出してきた。
「二十個の杯の宝玉に、時間差で一色ずつ、いずれかの色がついていきます。本来なら魔術師が得意な属性にだけ、杯に魔術を発動させるものです」
「そこまでは授業や練習でやるのと同じだな」
「しかし決闘では、すべての属性の魔術を発動させてもらいます」
魔術は魔力を持つ者が、精神を集中して呪文詠唱や印を結ぶなどの一定の手順を踏むことで魔力を内側から外側に放出し、発動する。特定の手順を踏むと一定の結果が出る状態を、魔術式と呼称する。
その際に杖を用いると、精神の集中や手順を簡略化でき、魔術の威力を上げられる。杖にはそうした効果がある魔術式が刻まれていた。
杖は魔術を使いやすくするためのものだが、その他にも補助的な魔術道具が存在する。魔術式があらかじめ刻まれた符や宝玉を用いると、対応した呪文を唱えただけで魔術が発動する。手順簡略化の最たるものだ。
魔力が低い者でも使え、自力では使えない属性の魔術でも発動させることができる。符を使った魔術は入学したばかりで習う、基礎的なものだ。
入学して一ヶ月の一年生でも、自分が得意な属性以外の属性魔術を、符を用いれば発動させることができるというわけだ。
「属性魔術を発動できる符を使ったら一点。杖を使ったら三点。杖も他の魔術道具も一切使わずに発動させたら五点。先に二十個全部の杯に魔術を灯せたら、さらに十点。その合計得点が高いほうが勝者です」
ルールをまとめた紙を対戦相手の前に置き、セレナは机越しにハインリヒを見据えた。
「なるほど、符を使えばすべての属性を発動できて、詠唱にかかる時間ももっとも短い。速さだけなら勝てると踏んでのことか」
紙に視線を落として勝負方法を再確認しつつ、ハインリヒは意見を述べた。
「だが杯に灯す程度の初歩的な魔術なら、精神集中の時間も短い。杖なしでも三十秒とかからんが」
「杖を使うと十秒、符だと詠唱すれば即発動ですね」
「私が得意属性の十個の杯に杖を使わず魔術を灯したら、それで五十点か。残りが符を使って十点で、合計六十点」
それに対して、とハインリヒは続ける。
「セレナの得意な属性を杖なしで発動させたとして二十五点。符で発動させた使えない属性の分が十五点、速く終わらせた分の十点を加えても、やっと五十点。巻き返せぬぞ」
「それは四属性を示す色が、ぴったり五回ずつ出た場合の計算ですよね」
「一時的に属性が偏ることもあるが、最終的に確率は収束して平均的な数値になるという」
「でも、今度の決闘で確率が偏らないとも限らないじゃないですか」
ハインリヒの形のいい眉がぴくりと跳ね上がった。
「……つまり、運を味方につけたほうが勝つと?」
「はい。先輩が得意な炎と雷の属性の出が悪いかもしれません。わたしが得意な風属性が半分を占めるかもしれません。そうなれば、わたしに勝機もあります」
泰然と微笑み、セレナは宣言した。
「わたし、運はいいんですよ」
勝負方法を伝えた翌日の放課後。決闘が開催されることとなった。
セレナが属性魔術の練習場へ行くと、普段は自主練習をする生徒しかいないその場所は、人でごった返していた。
「この観客はなに……」
「私が決闘をすると聞きつけた者が噂を広げ、みなで見に来たようだな」
慣れた様子でハインリヒはそう言った。
魔術競技の試合会場として使われるときくらいしか埋まらない観客席に、多くの生徒がいた。あちらこちらからざわめきが聞こえてくる。
どこからか情報が洩れていたのか、それともハインリヒが知り合いに教えたのか、観客たちに向けて勝負方法をまとめた大きな板が掲げられているようだ。
こんな大人数に見られながらの決闘だなんて聞いてない、と思いながらも、セレナは二列に並んだ二十個の杯の一番端についた。ハインリヒも同様に向かいの列の開始地点につく。
公正を期して、二列の杯は同じ属性が表示されることになっている。杯は台に乗っていて、台は手を伸ばして作業しやすい高さだ。
審判を頼んだ教師が、どうやって杯に魔術を灯したのかを観測している。到着地点に魔術競技の点数表示に使う得点板があり、それをめくっていって合計得点を出すようだ。
杖は本来、手で持って構えて使うものだ。しかし身に着けていると構えているときほどの効果はないが、多少は魔術を使うのに精神集中と手順簡略化の効果が出る。
よって、杖を使わない場合は足元に置いて身体から離す、ということを事前にルールとして提示したのだが。
「私は今回、杖は使わん」
そう宣言し、ハインリヒは自分の杖を開始地点の床に置いた。観客席から「おお……!」といった感嘆の声や黄色い歓声が聞こえてきた。
「それでは決闘に挑む両者に確認します。ルールは事前に知らされたもので変更はなく、互いに納得していますね。決闘者のうち片方は杖を手放したようですが――両者とも、杖と符以外の魔術発動の補助になる魔術道具は持っていませんね」
審判の教師の言葉に、互いに「はい」と返事をする。
「では、互いに一礼――はじめ!」
その合図により、決闘が開始された。
最初の杯についた色は、赤。ハインリヒが使える炎属性だ。セレナが炎の属性魔術を使える符を選んで呪文を詠唱すると、杯に赤い炎が宿った。符に刻まれた魔術式が発動したのだ。
符は決闘の直前に審判の教師から渡されたもので、授業の際に学院から支給される符と同じものだ。生徒がこの符に刻まれた魔術式に手を加えることはできない。
魔術を発動すると、符の表面に描かれた魔術式が消え去った。魔術式が刻まれた符は、基本的に使い捨てだ。
次の杯の前に移動する。宝玉が緑になった。セレナは杖を床に置き呪文を詠唱して、杖なしで風の術を発動させる。杯の上に小さな風が渦巻いた。
四個目の杯までに、それぞれの属性が一周した。五個目の杯についた宝玉は、再び緑。だがこれでは各段、使える属性が多く出ているわけではない。
「属性が偏るというのは迷信だったのかもしれぬな」
向こうの列から煽られた。いや、相手からしたら事実を述べただけなのかもしれない。勝負の最中にしゃべる余裕があると、見せつけるために。
「それに私のほうが符を使わないことが多いのに、そこまで先行されているわけでもないようだ」
五個目の杯に風の魔術を灯そうとして、集中が乱れた。ハインリヒは杖なしでも魔術の発動が速い。四回中三回符を使っているセレナに、ほぼ追いついて来るほどに。
「このままじゃ、負けそう……」
そうつぶやくと、ハインリヒが自信満々に笑った気がした。
十個目の杯の前に来た時点で、雷属性が三度回ってきた。十一個目は炎属性。ハインリヒのほうが遅れているが、点数は高い。
特に風の属性がよく出るわけでもなく、セレナの杖なしでの魔術の速さは一年生相応だ。それどころか、符を選ぶのにもたついている感すらある。
魔術を発動させながら、やはりこうなったか、とハインリヒは嘆息した。
生徒会室でセレナに細々とした勝負方法を提示されたときは、勝てる自信と策があるのだろうかと感心しかけた。だが確率の偏りに賭けると聞いてがっかりした。その結果がいまだ。運などに頼るからこうなるのだ。
この分では容易に勝てるだろう。挑戦者が一年生だろうが、観客は実力が拮抗した勝負を見たかっただろうに、期待外れだったか。
などと考えつつ、ハインリヒが炎の魔術を発動させるために集中しようとしたとき――足になにかが触れた。
思わず閉じていた目を開けると、細長い生物が足に這い上がってくるところだった。
「蛇!?」
「わあっ、どうかしたんですか、先輩」
十二個目の風の魔術を杯に灯したセレナが、驚いて対戦相手を見た。
「い……いや、なんでもないが」
蛇を払いのけ、集中しようとする。さっきの炎の術は不発に終わった。一からやり直しだ。
――集中、集中……。
腕をなにかが這った感触がした。恐る恐る目を開くと、腕に蜥蜴が這い上がって来ていた。
「とかっ――」
叫びそうになって、歯を噛み締めた。いまは決闘中だ。多くの生徒が行く末を見守っていて、教師が審判をしている。
ここは魔術学院だ。爬虫類や両生類や昆虫を飼育している部屋もあり、たまに脱走騒ぎも起こる。だから教室に蛇や蜥蜴や蜘蛛の類が出ることなど珍しいことではない。よくあることだ。
だから背中になにかが這い上がってくる気配など、気にするのは勝負がついてからでいい。いますぐ取り去りたくて堪らないが、とにかく気にするな。
炎の魔術をなんとか発動させたが、セレナは大分先の杯の前にいるようだった。だが大丈夫だ。先に到着地点につく必要はない。計算上、すべての得意属性を杖なしで発動させれば勝てるのだから。
符を使って十二個目の風、十三個目の水の魔術を発動させた。その間も床を這う蛇を避け、蛙が足に飛び乗ろうとしてくるのを遠ざけようとしながらだ。
十四個目は雷属性。ふとセレナの杯が並ぶ列を見ると、十五個目の杯の上にも雷の魔術が灯されていた。
――この集中できない状態で、二連続で杖なしで発動させろと?
炎属性はこれまで何度あったか。確か三回。確率的には、さらにあと二度回って来るのではないのか。
焦りが生じ、汗が伝った。
どこからか「ハインリヒ先輩、どうされたのかしら」「まさかあんな一年相手に負けそうになってるのか?」などどいう声が聞こえてきた。
退出していく生徒の足音が聞こえる。勝負が簡単につきそうだからではなく、レヴィナスの一族の跡継ぎの無様な様子に、失望したからかもしれない――。
杖なしでは難しい状況になった。だがあと四回杖を使っても、セレナの最高得点予想の五十点は超えるのではないのか。
杖なしで既に六回魔術を発動させ、三十点取っている。杖ありで四回魔術を発動させて十二点、符を使った分で十点。合計五十二点だ。
そう瞬時に判断し、ハインリヒは開始地点の床に置いた杖を取りに駆け出した。
ここから開始地点まではたいした距離ではない。杖まですぐに辿り着く。杖を拾ってすぐさま戻って、勝負を勝利で終わらせたら、面目は保たれ――。
そこまで考えて、視線の先にあるものが目に入り、目を疑った。
「……は」
杯の列の開始地点の床に置かれた杖は、蛇と蜥蜴にまとわりつかれていた。
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