第1章 黄昏

第5夜 紅月の狼/竜の夢

深く昏い部屋の中、急ごしらえの執務室にて赤みを帯びたランプの光が室内を照らしていた。

「デイビット隊長、これは――明らかな『レネゲイド災害』です! 早急なDERT認定と対処が必要かと思います!」

栗色の髪の女は非難するような、焦りを抑えられない声で目の前の男を糾弾する。

「――駄目だ、私の判断のみで今回の件をDERTとして認めることはできない。」

デイビットと呼ばれた男は、ゆっくりと彼女の嘆願を否定するように首を振りつつ手にしていた処理中の書類から顔を上げた。


「貴女も分かっているだろう?今回の件は前代未聞。UGNの記録はともかく、かつての守護者ガーディアンズの時代にもなかった事例だ。」

「しかし…!貴方は『DERT認定がないから野放しにしろ』とおっしゃるのですか!?今なら…今であれば被害を未然に防げます!」

ダンッと仮設の執務机を叩きながら女は埒が明かない上司である男により一層詰め寄り、上官に対して許されるぎりぎりの強い語気で問いかけた。

それと同時に、男の背後にあった窓ガラスから室内灯の温かみすら塗り潰すような禍々しい深紅の光が差し込む。


「今回の事象は高度な政治的な問題でもある、下手するとUGN全体に関わる表側の国際問題になりかねない。」

男の否定の後の静寂。

2人の息遣いだけが聞こえる静まり返った世界を覆うように、外のから溢れ出した瘴気が現実世界を蝕み始めていて。

ベルベットのような漆黒の空に浮かぶ紅い月に照らされて、木々は枯れ果て小動物の死骸が風化し灰となっていく様が『時間がない』ことを物語っていた。


「現在、評議会アクシズの李文龍議員に確認を取っている。待機しろ、これは命令だ。」

淡々とした男の命令が、どうにもできない現実として女の前に突き付けられる。

「ですが…!!」

「今はアッシュ・レドリック査察部局長も来ている。軽率な行動で貴女の今後に響いては困るだろう?」

「――――ッッ!」

次の瞬間、パンッという頬を打つ乾いた音が響き、少し遅れて執務机の上に飾られていた写真立てが落ちて甲高い割れた音を響かせた。


「貴方という人は…!何のためにその遺産を、弾丸けんりを携えているのですか!私達は…我々ルカは世界を守るものではなかったのですか…っ。」

女の僅かに懇願するような、悲痛な声が室内に響く。

「…今の発言と行動は不問にする。少し頭を冷やしたまえアイシェ副隊長。重ねて命令する、認定及び許可が下りるまで待機したまえ。」

叩かれて赤く腫れた頬を気にすることなく、男は極めて冷静にアイシェと呼ばれた相手に向けて言い放つ。

「―Yes, sir.承知しました…失礼します。」

震える腕を抑えながらか細い了承の声を最後に口を閉ざし、彼女は半ば駆け出すように軋むドアを開けて部屋を後にした。

「…すまない、アイシェ。」

あとに残されたのは、この世のものとは思えない紅い月の輝きと今は誰も顔を見ることができないデイビットの表情だけだった。


「――あぁ…。」

走って逃げるように駆け込んだ人気のない拠点の一角、泣き叫びたい声を抑え込むように俯くアイシェの姿があった。

「私達は…悲劇を打ち砕く弾丸では、なかったの…?」

哀しみに暮れる彼女の頬を涙が伝う寸前、カツカツとリズムと重みが違う2人分の足音が廊下に響く。

「あれ、アイシェ姉様。どうしてここに?」

「…アレックス、さん。」

ひょっこりと通路の角から顔を覗かせたのは、隊長の妹である少女とカンテラを手にした長身の男だった。


「こんな所に居たら体冷えちゃいますよ?」

「……アレックスさん」

項垂れる自身を目の前に不思議そうに首をかしげる銀の弾丸を扱う資格ちからを持つ少女を前にして、ふと、アイシェの脳裏に『彼女アレックスであれば、説得等が可能ではないか』という考えが浮かぶ。

「どうしました?…もしかして、お疲れだったりします?アイシェ姉様。」

「――いえ、大丈夫です。貴女の方こそ休息を取らなくていいのですか?」

しかし、無垢にただ自分を心配そうに見つめてくる緑色の瞳にその考えを振り払っては少女の方こそ大丈夫なのかと問いかけた。


「私はまぁ、この時間帯は流石に眠れないので…。そうだ、さっき料理番が温かい飲み物を配ってました!温まると少しはリラックスできますよ。」

「そうでしたね。…えぇ、私も後で行ってみます。」

「コーヒーとかマルドワインとかありました。私だけ特別扱いホットチョコは不服ですけど…。」

問いかけに対し遺産の影響で難しいと答えつつも話題に直接触れないように自身を気遣うアレックスに対して、アイシェは僅かに微笑みかける。

「それじゃあ、そろそろおじ様も仮眠から起きてくるでしょうし…ゆっくり休んでくださいね!さて、戻りましょうかジョー兄様?」

「あぁ。…明日が本番です、休息は必要かと思います。アイシェ副隊長。」

小さくアイシェに対して手を振っては、長身の男――カンテラを手にした護衛役の犹大が照らす少し先を弾むように歩きながらアレックスは立ち去った。


そして――静寂がまた訪れる。

「…ごめんなさい、アレックスさん。」

祈るような謝罪の声と共に、一筋の涙が彼女の頬を伝ったのだった。







『強さ』こそが、正しさなのだとある男は思っていた。

かつて男がいた混沌とした『強さ』を頂点とした場所での生活が、そのような価値観を作り上げたのかもしれない。

ただ、そんな男の世界を少しだけ変えたのはある出会いだった。

很高兴见到你はじめまして!貴方が犹大補佐官さん?」

陽に透ける琥珀色の髪に、吸い込まれるような翡翠色の瞳。

どう考えても自身の鳩尾ほどしか背丈のない可憐な少女に上官に引き合わされた日から、少女守りながら世界を守る生活が始まったのだった。


初めは慣れなかった二つの仕事も月日を経るごとにこなせるようになっていき。

「ジョー兄様、この後は私は受け身をとる練習でしたよね?」

世界を守るために用意された、退魔の遺産という大変なモノを扱う為だけに日々生き残るための訓練を続ける少女の隣にいることにも慣れて。

少女の傍らにいること自体がいつの間にか当たり前になっていた。


そんな大変でありながら少し穏やかな日々は突如として終わる。

ある日任務で赴いた、紅い月が照らす大災害の中で男はたくさんのモノを失った。

「さて『犹大』、改めてよろしく頼むよ。」

その失われたモノの中には――大切に守っていたはずの少女の在り方もあった。

あったはずの居場所は、彼の手から零れ落ちるように失われたのだ。

そして、皆を悲しませないと失われた『彼』の影を追うように、輝くような姿を少女をどうにかしたくて――。

悲しげな顔で男の方を見る天使は、彼を覆う紅い霧にかき消された。


「ッッ!?――夢、か。」

少しだけ冷や汗をかきながら飛び起きた男は、用意していた時計のアラームを鳴り出す前に止めた。

「……嫌な夢だ。」

冷や汗を拭いながら、備え付けの寝台から立ち上がる男――犹大は小さく呟く。

それからかつて彫り込んだ陽の神の刺青を、彼にとっては過去の出来事だった夢の内容を思い出しながら触れて。

少し呼吸を整えた犹大はいつものようにルカの隊服を着込み、身なりを確認するために覗き込んだ鏡に映る自分に向き直る。

「…大丈夫だ、『家族』はもう失わない。」

そしてまるで自分に言い聞かせるような言葉の後、業務に取り掛かるために自室を後にするのだった。


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血絆のシルバーバレット~暁月夜の挽歌~ ふはい @huhai

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