第3夜 月下に伏す虎

「さてと、これだけ根回ししておけば俺も前線に出られるかねぇ。」


アレックスが隊員に声をかけられる頃とほぼ同時刻。

幹部用執務室の自身のスペースにて、男は最後の封筒に封をするのだった。







男は古くからオーヴァードだった。

今でいう上海にほど近い場所で生まれ、当たり前のように人として生き、それから長い隠遁生活を経て守護者たちの一人として加わった。

そして今は――多くの継承者ガーディアンを見送る記録者だった。


「まさか、こんな形で私が終わることになるとはな、虎錬フーイェン。」

「全く、かつてないほどやり切ったって顔しているのにそんなこと言うのかい?」

穏やかな風の吹き抜ける昼下がりの庭園で、傍らに立つ男――虎錬に向けて隻脚の老人が眩しそうに見上げながら声をかける。

その眼差しを当たり前のように受け止めながら、男は肩を竦めながら近くの椅子へと腰を下ろした。


「昔にも言ったと思うけど、俺だって『別れ』は悲しいんだからね?たとえ遺産の都合上、ルカの守護者たいちょうは死に別れが少ないといってもさぁ。」

先日対処した災害の結果継承者の兄妹を得た代わりに前線を退くことになった隊長に向けて、ぺしぺしと抗議するように相手の腕を軽く叩く。

「ははっ、別れが私たちより多い割には侵蝕値の異常も何もないのにか?」

「それは年の功で冷静に努められるだけだって。」

そんな抗議すら笑って受け流す老人に、その本人よりもはるかに年上のはずの虎錬は少し不貞腐れるように見た目の年齢相応の反応を返した。


「――それに、今はもいるだろう?」

一瞬の静寂の後、静かな微笑みと共に告げられた言葉に虎錬は眼を見開いていて。

次の瞬間には、どこか穏やかで楽しげな笑みでその言葉に彼は頷いていた。

「――まぁねぇ。元々成人済みのデイビットちゃんはともかく、妹のアレックスちゃんはだいぶ手がかかりそうだね。」


「アレックスは例の泉に、はっきりと狭間のイメージが見えていたのでな。きっと、我々よりもずっと、今までで一番あの銃弾を使いこなすだろうさ。」

「泉の件は本人からも聞いたよー、栄光の天使サリエルの別名なんて洒落た…いや、CNを付けたもんだよ。全く。」

やれやれと座るときと同じように肩を竦めながら立ち上がりつつ、引継ぎを済ませて明日には本部を出ていくことになる老人たいちょうに対して虎錬はぼやく。


「――虎錬。」

「何だい?守護者たいちょうさん。」

また訪れる一瞬の静寂。その言わずとも通じ合えるような僅かな時間は、彼らが共に戦場を走り抜けた年月のようで。

「――ルカを、頼んだぞ。」

「―あぁ、継承遂行者エンヘドゥアンナの名に誓って。大丈夫、後を頼まれるのには慣れてるさ。」







「――――虎錬。」

時は戻ってルカ班本拠地の幹部用執務室。

ルカ班専属の伝達員に書簡を渡したところで、長身のアジア系の男が虎錬に声をかけてきた。

「ん、なんだい?犹大ジョーダイちゃん。」

犹大と呼ばれた長身の男――ルカ班副隊長でもある彼は、虎錬の呼び方も気にも留めずに情報部門ガブリエルから伝えられた情報を彼にも共有する。

「――ルーマニアにて、DERTだそうだ。隊長が任務拝命おはなししている間に人員編成の手伝いを頼みたい。」

「勿論、その情報はもう聞いているよ。確認しているだけでもだろうってね。…おじさんも出るからね。」


虎錬は共有された情報にも動揺することなく、隊員のデータの入ったタブレットを手に取って立ち上がる。

「おい、今回の前線に出るつもりか?『後継者』のいないA級以上の災害への出動は職務上出来なかっただろう。」

「そこはまぁ色々と手を尽くしておいたさ。アレックスちゃんも心配だしね。」


まだ年若い隊長の補佐というのも、彼にとっては本音でありながら建前でもあり。

心の奥底には『大人としての秘密』を抱えたまま男は微笑んだ。


May there beこの力に正義 justice in its powerがありますように.――まずは我々にやれることをやっていこうか、犹大ちゃん?」

トンッとひとつ手の甲で相手の胸を叩いた後、ルカ班で最も古株の男は薄く微笑みながら執務室を後にしたのだった。

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