私が涙を流したら

「泣かなかったね、えらいね」


 息子が両膝に赤い擦り傷を創って帰ってきた。公園で遊んでいたときに転んでケガをしてしまったらしい。私はすぐに風呂場で傷口を洗い、消毒したあと絆創膏を貼ってやった。きっと痛いはずなのに涙の一滴も零さず「ありがとう」と言ってくれた息子に私はそう返し頭を撫でた。


「なかなかったらえらいの?」


 一点の曇りもない澄んだ目で問いかけられる。「そうだよ」と返そうとした口が開かない。

 あれ? 本当にそうかな? 息子を見上げていた視線を斜め下に落とした。


「ないちゃいけないの?」


 返答する前に疑問符を重ねられた。純粋で透き通った声。ちらりと視線を戻すと、息子は不思議そうな表情で首を傾げている。


「そんなことないよ。もしかして今、泣きたいの我慢してる?」

「ううん、だいじょーぶ。でも、ないてもがんばってるひとはえらいとおもう」


 その通りだ。泣くことは悪いことじゃない。笑うことと同じで、止められないし我慢する必要もない感情なんだ。こんな幼い子にはっとさせられた。

 かつて私が息子くらいの歳の頃、保育園の先生か誰かに同じように「泣かなかったね、えらいね」と言われて素直に嬉しかった。それが人生で初めて褒められた経験だったのか、いつまでも胸に残っていて、私は泣かない子に育った。

 お化け屋敷に行っても、友達と喧嘩をしても、仕事で大きな失敗をして叱られたときも。――夫が解読不能な怪文書を遺していなくなったときも。私は泣かなかった。ただひたすら、一生懸命に、「えらいね」と言ってもらえたでいようと今の今まで頑張っていた。

 はらり。頬に一筋涙が伝っていくのが分かった。


「あ、れ……?」

「ママ? ママ、なきたいの? じゃあ、いっぱいないてもいいよ」

「うん、うん……ごめん、ごめんね……っ」


 私は息子に抱きついて格好悪く泣きじゃくった。意識しないまま長い間我慢していた分、ダムが決壊したように目から水が溢れ出る。後頭部に小さな手のひらの温もりを感じ、頭を上げた。


「あははっ。ママ、おかおぐちゃぐちゃ」


 どんな酷い顔をしているのだろう。確認したくもないけれど、息子の優しい笑顔を見るとそんなことはどうでもよくなってしまった。


「なかないほうがいいかもね。せっかくきれーなママがだいなしだ」


 髪を撫でる感触が夫を思い出させる。

 あなたの息子はあなたによく似て、優しくて聞いてるこっちが恥ずかしくなるような台詞を簡単に言ってしまう。

 ねえ、私がじゃなかったら、何か変わってたのかな?




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


今回の使用単語

「りょうひざ。おかお。かいどく」

秋田県鹿角市付近だそうです。

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