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 そこからが、真に研ぎすまされた感性と技術を必要とする工程だった。解剖時に採取されたデータは、ごく基礎的なものに過ぎない。高速道路建設に例えるなら、ルートを決めて整地を終えた段階だ。トンネルを掘り、橋を架け、渋滞に耐える舗装を施すには、さらに多くの時間と労力を注ぎ込まなければならない。根本的な設計変更が必要な場合もある。

 解剖と並行して撮影された大量のマッピング用画像は、弓子が調整して分類・整理していった。その処理は、サーバ内の階層を熟知した弓子に任されている。

 その間、高志は〝トンネル掘り〟に集中していた。

 モデリングのベースは、3Dスキャナで終えている。だが、心臓や胃などの大型の臓器はさらに細分化して細かく計測し、中空の内部構造まで忠実に再現しなければならない。そもそも、自動化には限界がある。骨のように内部を無視できるパーツでさえ、細部は人間の職人技で補正する必要があるのだ。高志は全ての臓器を再点検し、細部の精度を高めていった。神経を使う、細かく、時間がかかる作業だ。

 今も高志は弓子の隣に座り、MAYAの画面上で右の上腕骨のデータを接合しようとしていた。

 高志は独り言のように言った。

「骨にねじれが生じないようにつなげるのが難しいんだ」

 高志は難しいのがそれだけのように言ったが、正確な計測と修正が困難だったことを弓子は知っていた。骨には微妙な凹凸が多く、場所によっては血管が入り込む穴なども開いている。スキャナだけでは形状を拾いきれない。それらしく見えれば良いだけならともかく、高志は最高の里奈を再現すると約束している。自動化で最高を得られると考える者を、高志はアーティストとは呼ばない。

 高志は迷うたびに冷凍庫から該当する骨を取り出し、ノギスで実際に寸法を測定しながら、手作業でデータを補正していった。切断された上腕骨のねじりを防ぐことは、長い作業の最後の仕上げに過ぎなかった。

 弓子はマウスを動かす手を止めずに言った。

「骨のモデリング、わたしでもできますか?」

 高志は手を止め、弓子を見た。

「できるだろう。やりたい?」

 弓子は小さなため息をもらした。

「あんまり無理をしているから。わたしが眠っている間も、モデリングを続けているんでしょう?」

「子供のためだ」

「体をこわします。あなたに何かあったらどうするんですか?」

 高志はじっと足下を見つめてから、つぶやいた。

「やめられないんだ、不安で……」

「不安?」

「毎日人間の細部と立ち向かうと、神経がすり減る。しかも、犯罪だ……」

「だからこそ、休まないと」

「立ち止まったら、進めなくなりそうでね……。実物の人間は始めてだから……」

 節目で休みを挟んでいても、疲れが蓄積されているのだ。

 弓子はきっぱりと言った。

「モデリング、教えてください」


    *


 弓子がマッピング画像を整理し終えると、2人の共同作業が再開された。大型臓器の細分化だ。

 手術台には、解凍された胃が載せられていた。胃薬などのコマーシャルで目にするアニメーションとは違い、里奈の胃はカウンターにぺったりと貼り付いている。伸びきったまましぼんだ風船を連想させた。胃の横には、いつものように水を張った水槽が準備されている。

 高志は、胃にメスを入れた。すっぱりと半分に割る。弓子は一方を水槽につけて洗うと、ペーパタオルで水気を拭き取る。襞で覆われた胃の内面を上に向けて広げ、手慣れた手順でパイプフレームにセッティングした。長い臓器は一気に撮影できないので、撮影位置をずらしながら分割して記録すると聞かされていた。モデリングの際にデータをつなぎ合わせ、再現するのだという。

 と、不意に弓子が気づく。

「あれ? 胃の中身って、洗いましたっけ?」

 高志は肩をすくめる。

「今、君が洗ったよ」

「そうじゃなくって、洗う前から何にも入っていなかったから……」

 高志も気づく。

「そう言えば、触っても手応えがなかったよね……」

「胃が空っぽ……。里奈さん、お腹をすかせてたのかな?」

「空腹だったろうね。僕もここで目覚めた時、すごく腹が減ってた。自家用ジェットで運んだらしいが、丸1日はかかるだろうし。彼女もそうだったんじゃないか?」

「わたしのために、そんな目に……」

「でも、ちゃんと医者が付いてるって言ってたじゃないか。点滴とか打って、栄養は入れていたんだと思う」

 弓子は思わず涙をこぼれさせた。

「そんなつらい思いをしてたんだ……」

「今となってはどうしようもない。死んでからだって、胃の中身を見られるのは嫌だと思う。これで良かったんだろう、きっと……」

 弓子は気を取り直して、技術的な質問した。

「胃の厚みはどう処理するんですか?」

「後で実測する。内側にはヒダや繊毛があると思う。どこまで細かくモデリングするかは、その結果を見て考えよう。こうして胃壁の画像を取っておけば、マッピングなら瞬く間だ」

 2人は時たま水槽の水を入れ替えながら、同じ要領で食道や腸の内面を撮影していった。腸にもまた、内容物はなかった。


      *

 

 2人は、細分化した臓器をモデリングしていくという地道な作業に明け暮れた。月日は、瞬く間に過ぎてゆく。

 弓子は休憩日に専門書でMAYAの基礎を学び、作業を続けながら疑問点を高志に質問した。高志は優秀な生徒を導く教師のように、丁寧な指導で弓子の意欲に応えた。その内容は次第に深まり、弓子は専門書の欠陥を指摘するまでに習熟していった。

 文哉の記憶から解放された弓子は、自分自身を取り戻したのだ。デザインセンスは欠けていても、高度な3Dソフトを駆使してリアルな画像を作り出すことができると知った。新たな知識や技術を吸収することに、今や喜びを感じていた。自分を高めたいという欲求は、弓子の能力を急速に伸ばしていった。里奈を再生するという責任感が、もっと優れた結果を出したいという、プロフェッショナルな欲望に移り変わっていた。

 高志は弓子の実力が増すにつれ、作業の割り振りを変えていった。モデリングデータの補正や変形シミュレーションの挿入も、容易なものから弓子に任された。その間高志は、より複雑な臓器のモデリング補正に専念することができた。ノギスで実測し、硬度計で組織の弾力や柔軟さを割り出し、込み入った変形シミュレーションを組み込む。   

 シミュレーションモデルはプラグイン化されていたが、やはりスライダの調整だけでは限度があったのだ。内臓の形状は千差万別で、消化管など厚さが乏しい部分ではトラブルが頻発する。最終的には経験を積んだ人間が問題点を発見し、手作業で仕上げなければならない。これもまた、地道な工程だ。しかも、どれもが全体に影響を及ぼすパーツである以上、手抜きは許されない。そこまでこだわらなくても、プロでも欠点が指摘できない仕上がりは出せる。だが、それでは里奈を再生したことにはならない。可能な限りの正確さを求める――それが高志が宣言した着地点であり、弓子が求めた結果だった。

 それこそが、KKKが要求した試練でもある。里奈の再生が高度なレベルに達するほど、彼らの〝神〟はより高次元の現実感を獲得できる。荘厳な復活を約束できるのだ。KKKが2人の作業に満足していることは、〝天の声〟がほとんどなくなったことと、差し入れの食事が飛躍的に増えたことに現れていた。そのほとんどが、本国と変わりないレベルの日本食だった。弓子に食事を作らせることは非生産的だと、彼らは気がついたのだ。

 しかも弓子の成長はそこに止まらなかった。高志が行ってきた臓器の計測やモデリングの修正まで貪欲に吸収していった。

 高志は、弓子がやりたいと言ったことは全て教え、習熟度を確認しながら作業を譲っていった。高志の頭には、作業を進める中で浮かんだ様々な改善点が渦巻いていたのだ。だが、全ての時間を現場に割いていては、工程を見直す余裕が生まれない。高志は、やりたいことがあるのに試す時間がないことに悩んでいた。そのジレンマを弓子の成長が救った。

 高志は自分の作業を減らした。そして自室にこもってMEL言語を操り、工程を単純化する新たなプラグインを次々に組み始めた。弓子が1人で作業を行う時間が増えた分、進行のスピードは一時的に遅くなった。だが、高志がMAYAに新たなプラグインを組み込むたびに、作業全体は高速化していった。

 そして4ヶ月――2人の能力がかみ合って、予定より1ヶ月以上早くモデリングは終了した。そして開始されたのが次のステップ、マッピングだった。

 高志はテストに、心臓を選んだ。弓子が制作したモデリングデータに、マッピングを施す。出来上がり表示するモニタを見つめ、完成度をチェックする。

 弓子のMacに表示されている心臓の写真とレンダリング結果を見比べながらつぶやいた。

「透明感が足りない……」

 そう言ったまま、動きを止めて考え込む。

 心臓のモデリングデータは、弓子が仕上げていた。4つの心室、弁、そして筋肉の厚みなど、全ての構成要素を実測値に従って書き換えた。数10に分けたパートの結合もスムーズで、変形シミュレーションも細かく組み込まれている。周辺の主立った血管も、高志が驚くほど正確にモデリングされている。

 しかし、マッピング画像を張り付けただけではリアルさが足りないのだ。

 弓子は高志の横から画面をのぞき込んでつぶやいた。

「でも、これが本物の画像なんですよね……」

 高志がうなずく。

「本物であることは間違いない。だが、らしく見えない。生きてない、っていうか……。納得がいかないんだ……」

「それって、直すべきなんですか? 逆にリアリティを損なうことになりません?」

「これが映画なら、躊躇なく見た目で修正するけど……。でも、僕らが撮影した心臓は、死んだ後の、しかもいったん冷凍した臓器だ。本物だからと言って、生きている時の姿そのままだとはいえない。マッピングだって普通に張り付けただけで、技術的には初歩だ。言ってみればリトルリーグの直球かな。同じ直球でも、僕はメジャー級の威力にしたい。だからといって、修正を加えることで、本物から離れていく恐れもあるし……」

 弓子には分かっていた。もし全ての臓器に対してマッピングの手順を追加するなら、作業量は予定を遥かに超える。それでも、自然に答えていた。

「納得できるまで直しましょう」

 高志は振り返って、弓子を見た。ゆっくりと微笑む。

「ありがとう……。今夜一晩方法を考えるから、君は自由にしてればいい」

 弓子は、にっこりと笑う。

「ありがとうございます。でも、どうやって修正するつもりなんです?」

 高志の答えは早かった。すでに頭の中で、方法を組み立て始めているのだ。

「本来光が当たらない内臓だからシェーディングはしないつもりだったけど、それじゃこれが限界だ。この程度の精度の臓器を組み合わせても、自信を持って再生したとは言えない。だから、これから皮膚の再現に使ったパラメータ・コントロールを応用する。皮膚はそれ以上に手をかけて完璧なものにする。ここのマシンにこれほどのパワーがなければ高望みで終わる冒険だ」

 作業量が膨大に増えることは確定した。だが、里奈の精度も上がる。

 弓子はうなずいた。

「やります」

「内臓については、全ての臓器に共通して使える方法を考えて、できるだけ自動化したい」

「時間、かかります?」

「これがただの請け負い仕事なら、1時間で片づけられる。〝腕〟を再生した時のプラグインを流用すればいい。だが、皮膚と内蔵を全く同じ方法で処理することには無理がある。これは里奈さんを再現する重要なポイントだ。今まで時間をかけてきたモデリングも、マッピングやシェーディングで手を抜けば台無しだ。今後の作業の方向を決めることにもなるから、じっくり進めたい。満足できる結果が出るまで、プログラムを組み直そうと思う」

 弓子は反射的に口を開いていた。

「手伝わせてください」

 高志は弓子を見た。

「最近、あまり休んでないのに?」

「手伝いたいんです。里奈さんは、他人じゃありません。あなたがプログラムする間、素材を作っていきます」

 正直な気持ちだった。

 仮想人体モデルのワイヤーフレームを里奈に置き換えていく作業に、最初は喜びはなかった。いつ終わるのかも見当がつかず、気が遠くなるばかりだ。だが、筋肉の1つ1つ、骨の1本1本を置き換えるたびに、それは微妙に姿を変えた。個性を持たない単なる形が、里奈の息づかいを宿し始めるのを実感した。ちょうど、解剖が進むにつれて里奈が精彩を欠いていったのと逆だ。

 細分化の末に、コンピュータの仮想空間で再生された里奈の断片。それは単に、デジタルデータの集合に過ぎない。なのにそのデータを積み上げていくにつれて、形が命の輝きを取り戻し始めるのだ。

 モニタ上のワイヤーフレームに確認用の色を付けても、それは単調な塗り絵のような画面で、リアリティなど微塵もない。どれほどモデリングが正確でも、デパートに並ぶマネキンほどの現実感さえ持てるはずがなかった。なのにその形が里奈に近づいていくたびに、なぜか弓子の目には生きた人間のように見えていく。

 十字架に張り付けにされたキリストのように、両腕を広げて直立する裸身。暗黒の宇宙を漂うように、液晶の二次元空間に浮かぶグレーの里奈……。

 心の重荷を分かち合える姉が、蘇りつつある。弓子は、里奈をよりリアルにできるなら何でもする気になっていた。

 ただひたすら美しい、完璧な女――。

 究極の形が、現実の何を写し、どんな影響を与えるのか――〝生きたデータ〟がこの世に生まれる瞬間を、弓子は見届けたかった。

 高志はしばらく弓子の目を見つめた。

「だけど、今日はもう終わる時間だ」

「あなたは続けるんでしょう?」

「そのつもりだが……」

「それなら、あと何時間かお付き合いします」

 高志はかすかに微笑み、そして命じた。

「残りのMacも起動して。さらに2種類のモデリングデータにマッピングを施す」

 弓子は高志の意図を理解した。

 3台のマシンに違う臓器を表示させ、結果を見比べたいのだ。3種の臓器に適用できる共通のシステムが創り出せれば、普遍的に適用できる可能性が高い。

 弓子はMacの電源を入れながら、次の指示を仰いだ。

「臓器はどれにしますか?」

「骨は必要ないとして……。上腕二頭筋と肝臓かな」

「脳は?」

「そうだな……分かった。肝臓の代わりに大脳だ」

「皮膚とか眼球は……?」

「後だ。体表はより高度な方法でマッピングする。眼球は、さらにその数倍の手間を覚悟している。体内の再現が終わってから考えよう。まずは、内臓の処理だ」

「分かりました」

 そう答えた弓子は、指示された臓器のワイヤーフレームをサーバーから呼び出していく。高志は心臓が表示されたモニタを見つめながら、ときおりキーボードを操作する。いかにして効率的な修正システムを組み上げるか、意識は瞬時に集中していた。

 弓子に対する指示はそれ以上なかった。プログラムに没頭し始めた高志は、何も言わずに部屋を去った。自室のMacに向かうのだ。

 だが弓子は、要求に応えていた。MAYAのプラグインを駆使して上腕二頭筋と大脳のマッピングデータを計算する。高志が心臓の画像を制作した際の手順を繰り返す。そして、自分なりの〝奇跡の数字〟を導き出した。

 実際にマッピングを施すのは始めてだったが、概要は解説書から学び、教材の演習では理解できている。弓子には、高志が一度見せただけの作業が何を目的とし、どんな操作を経て、何を作りだすのかを正確に理解した。理解し、他のデータに応用することができた。

 およそ10分後、内線を取った。

「映像の準備、出来ました」

『準備?』

「マッピング、終わりました」

 わずかな沈黙。

『データを共有フォルダに』

 弓子はすでにデータの移動を始めている。これも、印刷会社での普通の手順だ。

「入りました」

『もう? ちょっと待ってね……』

 高志はMAYAでデータを開いているようだ。

『2つともできてるんだ……。たった一度見せただけで……?』

「間違ってます?」

『いいや……きれいだ』

「勉強しましたから」

 そして高志の笑い声が聞こえた。

『君のスピードに追いつけない。こいつをアルベド・マップに変換するプログラムを組めばいいんだけど……』

 弓子も微笑んだ。

「次は何をしますか?」

『今度こそ、休みなさい。2日間だ』

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