第22話 依存からの脱却

 まあともかくシナセンに通うのが馬鹿らしいと思うようになり、心の天秤は一気に辞める方向に傾いた。今ならどうして、本当にプロとして活躍している人がほとんど同校に残っていないのかも分かる。

 しかしそれでもシナリオセンターに留まっておいた方がいい理由はいくつかあった。列挙していくと……


1、『定期的に新作を書ける』

 私はシナリオセンターに入校してから、おそらく60作以上のオリジナル作品と発表した。定期的に提出を求められるからだが、『締め切りと条件があるから作品は書ける』と言われているように、課題に沿って強制的に何かひねり出さないと、多大な労力を払ってまで愛しい我が子を出産したいとまでは思えない。普段から生活費のためにシナリオを書いているのに、自由な犠牲にしてまで物を書いていたくない。だけどシナセンと作家集団にいる限りは、3か月に2作は強制的に何か書いて提出しなくてはならない。それは今後、更なる自分の躍進に繋がるような重大な閃きが含まれるかもしれない。そのチャンスが失われるかもと思うと怖かった。


2、『新作を試せる』

 シナリオセンターでは入学当初、このように諭される。『思い切って失敗してください。プロになると失敗はできません』と。たしかにその通りで、普段の仕事では慎重を期して作品を作るのだから、思い切った冒険作など表に出すことはできない。しかしシナセンなら、ぼろクソに評価されることはあっても仕事に影響は出ないのである。『思い切って失敗できる場』、それを残しておくのは重要に思えた。


3、『ライターズバンク問題』

 私が初めて仕事を受注したライターズバンクは、シナリオセンターに所属していないと受けることが出来ない。現在ではシナリオ制作会社や、営業などを仕掛けることによってある程度仕事をいただけるようにはなったが、その手の仕事の手に入れ方には一つ罠があって、"実績と同系統の仕事しか受注できない"のだ。例えば私はエロゲが処女作であるが、その後受注できたものも概ねエッチいコンテンツであり、現在でも実績の7割以上はその手のジャンルで埋まっている。別にエロが嫌いというわけではないが、私は元々、『聖剣伝説』や『FFX』などの正統派RPGや、『逆転裁判』や『ダンガンロンパ』などの尖ったアドベンチャーゲームを作りたいと思っていたのだ。エロにジャンルが固定化されると、それ以外のジャンルに移りたくても移れなくなってしまう懸念がある。しかしライターズバンクではそのような経歴は真っ新に関係なく、どのようなジャンルでも自由に応募することができる。そして他のライターさんは利用することが出来ないので、私だけのコネともいえる。そのような強みを失うのは誠に惜しいことだった。


4、『カバかもん孤独死問題』

 これまでこのシリーズもとい恥文を全部に目を通した天文学的確率の稀有な方ならもう察していると思うが、私は地元にすら友達はいない。いや、いるにはいるが、用もないのに会いに行けるような交友関係を築いている人などいないし、家族以外に日常会話をすること自体珍しいことである。仕事はおおむねリモートワークなので、本当に一人で作業している。同期も先輩も同僚もいない。いるのはチャットやメールの文面上でのお客様のみである。

 だからこそ例え話が多少かみ合わなくても作家集団のお茶会に毎回参加はしていたのだ。あそこにいると楽しいかどうかはともかく、自分が何者であるかは確証を持てたし、何気ない日常的な愚痴程度なら言えて発散することは出来た。そういった場はシナセンを辞めると限りなく0になる。もしかしたら孤独のあまりストレスが溜まって死んでしまうかもしれない。


 以上がシナセンを離れることで被る、些細な方のデメリットである。そして最大のデメリットが……


(まだ、シナセンの極意を全部極めたわけではないしな……)


 シナセンでは、基礎科において100枚綴りのノートが隙間なく埋まるぐらい、作品の講評を受けると根掘り葉掘りシナリオの論理で論破されるぐらいノウハウを叩きこまれる。3年以上在籍していても、そのテクニックはいまだ完全に身につけれらてはいない。私であれば100点満点中、60点ぐらいだろうか。ようするに私はまだ未熟なのだ。


(未熟なままなのに、もうシナセンを抜けちゃって大丈夫なのかな……俺、やっていけるのかな?)


 というのっぺりとした不安が震えるノミの心臓にべったりと張り付いていた。

 それにこういう格言もある。私は宮本武蔵が好きで、有名な著書である『五輪の書』にはこういった記述があったことを覚えている。『一つの道に通ずれば他の道にもおのずと通ずるものである』翻せば、『中途半端で終わったら他のものもずっと中途半端』ということだ。つまり、シナセンの極意を身につけるまで、他の流派に流れてはいけないということではないのか?


(……いや)


 五輪の書を思い返してまた別の気づきを得た。五輪の書には、『土・水・火・風・空』の5つの書=巻物があり、それぞれ異なる教えが記載されている。


土=心構え

水=技法

火=実戦における戦法

空=極意


 といった具合だ。そして風の巻の教えは『他流派について』であった。その冒頭には確かにこういった書かれてあった。

 『一か所のところに留まってその道の全てを知った気になったのでは、井の中の蛙大海を知らずというものである。他の流派のことも広く知ってこそ本当にその道を知るというものである』

 その教えを思い出して、私は一気に心が動いた。


「よし、シナセンやめっか!」


 前々から気にしていたことだが、あくまでもシナセンは"ドラマと映画"の脚本学校である。私が知りたかった"ゲーム、アニメ、小説"に関しては補足的なことしか教えてもらえない。ゲームに至ってはノウハウすらない。他にも私は、企画力が弱いという難点があった。だから企画についても学びたい。アニメーションに関しては個人的にLinkledInにてAnimation Storyboarding などを受講するなど、絵コンテについてカメラワークからヒーローズジャーニーまで独自に学習した経験がある。つまりシナセンの中の教えの外にあるもので、その技法がすこぶる役に立つことがあることは既にいくつか仕事で立証している。おまけに最近、学歴コンプレックスを払しょくするために通信制大学に入学したばかりなのだ。時間がとにかく惜しい。先ほど、シナセンで身についた極意は100点満点中60点ぐらいだと述べたが、60点のものを100点まで引き上げるよりかは、他の0点のものを同じく60点まで引き上げる方が楽で実利が伴ってくるはずである。なにより、シナセンでこれ以上学んでも、一度習ったことの復習でしかないのだ。復讐は全然魅力的じゃない。新しいものを学ぶ方が楽しい。


 ということで、シナセンを辞めることに決めた。ライターズバンクは引き続き受けたいので、作家集団を辞めて通信制のオプションクラスに鞍替えし、そこで定期的に新作を書く。別にそこで書かなくても、別のスクールとか講座を受けてそこで新しいことに挑戦する。漫然と所属して、古巣に居続けて安心感を買う依存関係ではなく、より興味のある、自分に足りない、学びたいことを探し求めてまた旅を始める。それこそが自分の生きる道だと今でも確信を持っていえる。思えばシナセンに来たときもそうだった。もし家業に依存していたらシナリオライターになろうと思わなかったし、もし大阪で面白おかしく暮らす生活に執着していたならその暮らしを捨ててまでシナリオの勉強に集中するために実家に帰ることもなかった。怖いからと、不安だからとその場所に留まり続ければ、きっと自分らしさを失う。だから、シナセンに依存しないで新たな道に進む。


 そうして私は先生と事務局に、作家集団を辞める旨を伝えた。

 やめて最初の3日は不安だったが、それから今日までずっと晴れ晴れした気持ちが続いている。

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