第21話 卑屈な亀裂
シナリオライターという職業は、どの段階で「なれた!」と公言できるものなのだろう? もし商業作品にデビュー出来たときであれば、前回の段階で私はシナリオライターになれたことになる。
このシリーズの主題が『シナリオライターになるまで』なので、実質本編はもう終っている。あとは副題の『シナリオセンター大阪校思い出語り』を消化しておきたいと思うので、ここから先は私とシナセン大阪校との関係がどのように顛末になったのかについて語ろう。
シナリオセンターに入校したのはシナリオのノウハウを学ぶためではあるが、最も肝要なのはシナリオライターになることであった。そうなると、シナリオライターとして初めて仕事を受注した2020年末の時点で、私にとってのシナセンの価値は半分以上失われたことになる。
しかしながら私は初仕事を終えるまではシナセンから絶対に離れたくないと思っていた。なぜならいまだ自分の実力に関して疑念というか不安を抱いていたので、思わぬところで躓いて失敗するかもしれない。基本的なテクニックを忘れたり謝るかもしれないというのっぺりとした不安がノミの心臓に張り付いて、私の臆病さをさらに後押ししていたからだ。シナセンで他人の講評を聞いているだけでも、自らに対する啓発程度には使える。
しかしながらシナリオの仕事に慣れていくにつれ、その講評を聞きに行くためにわざわざ大阪まで足を運ぶのが次第に億劫になっていった。前述したが、私の家からシナセン大阪校まではドアトゥードアで3時間程度かかる。午前10時に家を出たら、講義後のお茶の時間と合わせて家に帰れるのは午後7時を回るのだ。一日仕事であるが、その疲れは翌日まで足を引っ張る。研修科の頃は楽しく授業のノートをまとめたりしていたが、今となっては他人の講評であろうと自分の講評であろうと、走り書きしたメモをそのままファイリングして終わりだ。もうそんなことに時間を使うぐらいなら、少しでも早く原稿を上げるべきであり、それ以外の時間はじっくり休む! と私の心境は変化していった。
お茶の時間も苦痛になっていった。4000円も交通費を払って、1日以上仕事のスケジュールを空けてシナセンに臨んでいるのだから、ほんの少しでも気づきや価値ある情報が得られれば良いと考えていたのだが……無、なのだ。クラスメイトの好きなドラマ、その感想、最近話題の映画を観たか、暮らしぶりはどうなのか……まったく有意義なものがなかった。いやそれは当たり前で、そんなの求めるなよと読者から叱られそうだが、上記のことは全て、Twitterで事足りるのだ。流行を抑えたかったら、話題の映画やドラマを知りたかったら、日常生活の苦労や嬉しかったことのあれこれは最早手のひらの端末を覗き込めばそれで完結する。貴重な時間と生活費を融通してまで、喫茶店のイスに1,2時間も拘束されてあえて聞くほどのものでもない。
どうせ人と会うならば、業界の交流会などに参加して、業界の動向、趨勢、案件の情報、怪しい取引先やトラブルの対処法を教えてもらったり、異業種の方の話を聞いたり、最悪、先輩の武勇伝などを聞いているほうがよっぽど今後の為になった。
「人との付き合いをそんな打算的に捉えるなよ」とお叱りを受けるかもしれない。だがそういった思惑を一切排して今後もお付き合いを続けたいと思えるかというと、全くそうは思えなかった。まず話が合わない。以前お話しした通り、私は"サブカル寄り"で、他のクラスメイトはドラマや映画などの"王道寄り"なのだ。私の知っている話題は彼らは知らず、彼らの知っていることを私は知らなかった。話を合わせようと努力はしていたが、そのうちなぜ努力しなければならないのかも分からなくなっていった。
それじゃあお茶の時間に参加しなけりゃいいじゃんっていうことになるが、そうなるとそうなるで、また高い交通費を支払ってシナセンに通う意義も薄れていくのである。はっきりいって、もう通信科で十分だと思うようになっていた。
そして、これは私が天狗になっていたからかもしれないが、クラスメイトとの間に埋めがたい距離が出来てしまったかのように感じるようになった。クラスメイトは好評の際にも、お茶の際にも、度々シナリオ論を交わす。やれあのキャラクターの性格がどうとか、構成がどうとか、ライターとしての心構えうんぬんとか……「うっせえわ」と思うようになっていったのだ。
『オリジナルで面白いものを書けなくてはライターとして大成しない』とシナセンでは言われているが、いざライターを始めてみると、条件や制約にがんじがらめで、いかにプロットから外れず、プロットよりも面白いもの、期待以上のものを書くのかが勝負になっていく。だからこそ"シナリオセンターで書くオリジナル作品ぐらいは、あらゆる制約をとっぱらって、自分の書きたいものをありのまま書く"ということを楽しみたいと思うのだ。それを横から、「シャレードが利いていない」だの「テーマを拡大解釈しすぎ」だの「展開が飛びすぎ」だの言われるのも、言うのも、苦痛になっていった。もっと自由でいいと思うのに、その物語の言いたいこと、確信、その人の人生、哲学が物語の中で内包されていて、それこそ価値があるものであるはずなのに、シナリオセンターでは、作家集団では、内包されている中身よりも、それを包んでいるだけでしかない小賢しいテクニックや見た目の麗しさを重視しているような気がしてならない。分かっている。見た目の悪い野菜は売れない。商品の棚にすら並べられない。シナリオだって読んでもらうためにはまず売れる必要がある。だけど、売ることを、賞などをとることを優先して、肝心の中身に関してはスカスカになっていないかという疑念が拭えはしなかった。シナリオセンターでは平凡でも面白い物語が好まれ、雑味のある尖った物語は敬遠される傾向にあるが、自分にしかない価値以外にクリエイターは他に何を売ればいいのだろうか? ……仕事では客の求めているものをちゃんと書く。だからせめて仕事以外では、自分の書きたいことをありのまま書きたい。そう変化した私の姿勢と、「これからもめげずにコンクールの受賞を目指していく!」というクラスメイトとは、もう向いている先が違っていた。少なくとも今までは、歩いている方角は同じだったのに……
次第に私はその圧倒的に場に馴染めない感や、苛立ちが段々と高まっていった。初仕事を終えてウン十万の収入と合わせて、数か月は遊んで暮らしても差し支えのない貯えはあったのだが、初めてつかんだお客さんは複数ラインを抱えているわけではなかったので、引き続き仕事を頼んでくれたとしても半年は待たなければならない状況だった。もちろんそんなに待ってはいられないので、私はやっとのことで作れた実績を手にして、方々に営業を仕掛けていった。そして運よく一つの制作会社様が私を贔屓にしてくださるようになり、切れなくシナリオの仕事は入るようになった。でも、生活費を賄うにはまだ足りない……私はシナリオの仕事をこなしつつ、営業活動にも手を回さねばならなかった。1,2か月先の売り上げの見込みすらハッキリとは立たない状況だった。毎日が必死だった。
それなのに周りのクラスメイトなどは「次のコンクールどうする? 出す?」といった呑気な会話を目の前で交わしているのを見て……
(もっとガツガツしろよ……!?)
と思わず口を突いて出そうになった。私は慌ててお茶の席を発って、一人街中を歩いて頭を冷やした。
分かっている。俺はおかしい。そしてバカじゃない。あの人たちにはあの人たちの生活がある。フルタイムで働き、家族がいて、その上で時間をやりくりしてシナリオを書いている。休日に同好の士とお茶を楽しんでいる。至極全うな人たちだ。何も悪いことなんてない。
だけどこうも思う。(あの人たちは本当にシナリオライターになる気はあるのか?)と。コンクール? なにを悠長なことを言っているんだ? 年に二回ほど応募して、自分の好きなものを書いて、いつか自分の才能が見いだされると本気で信じているんだろうか? そして一度受賞したら、次から次へと仕事が来ると思っているのだろうか? そんな、ガラスの靴を落としたら王子様が現れてありのままの私を愛してくれるみたいな、そして王子様に見初められて末永く幸せに暮らしましたみたいな、そんなおとぎ話みたいなサクセスストーリーを信じているのか?
違う。あの人たちはもう、お腹いっぱいの状態なのだ。私とは違う。私は一刻も早くシナリオライターになりたかった。今までのツラい記憶がよみがえる。シナリオライターになるために突き進んでいった苦労。自分に自信が持てず、かといってシナリオライターになると言えず、かといって家業を継ぐとも言えず、親に対して申し訳ないという気持ちで日々過ごし、好きな子にも好きといえず、「安心して。俺が支えてあげるから。だから一生になろう?」とも言えず、その内に分かれて、自暴自棄になって、何もかも捨てて大阪へと出て、そしてシナリオライターになる、夢を追うしかないと腹をくくった後は、職人の仕事で手の皮がモロモロと剥けようと、目に汗どころか漆とテレピン油が染みこんで痛みに悶えようと、高所から落下しようと、あまりの寒さに表面の凍った湖面の氷をかき分けつつ漁船に乗り込んで職場の島を目指そうと、漆職人の仕事が無くなってから一時期日雇い労働に身をやつし、うだるように蒸し暑い倉庫の中で一日数百箱のビールを素手で担ぎ上げて運ぼうと、宝焼酎ハイボールのために数千個のレモンの皮を煮詰めようと、眠気を我慢して介護施設で夜勤で働き、10分毎にトイレに起きてくる認知症のお爺さんにつき合わされようと、認知症のお婆さんが目の前で脱糞してそれを後始末している最中に「あんんたのおかげで漏らしてしまったじゃない」と訳の分からないことを言われようと、入浴を手伝っていたお爺さんの心臓が急に止まって必死にマッサージを行おうと、それでも家に帰えるとわずかに休んでシナリオを書いたり、ゲームを作ってきた、シナリオライターになりたい、自分という存在を確立したい、一刻も早く救われたい! という思い一心で取り組んでいきた私と、悠長にお茶しながら次のコンクールでいいやと思っている人たちとは、あまりにも違っていたのだった。
私は『作家集団』という言葉の響きに非常に魅力を感じていた。だって、本当に作家やプロのシナリオライターが学んでいると思ったのだ。しかし蓋を開けてみれば、みんなまだ夢見るアマチュアだった。
もし私が、まだ仕事を始めたばかりとはいえシナリオライターとして仕事をして生計を立てている者がいたなら、その人からありとあらゆるノウハウを盗もうとしただろう。一年先だなんて到底待てない……一か月でも、一日でも早くシナリオライターになるにはどうすればいいか? どのような心構えでいればいいか、と。
私ならこう答えるだろう「賞なんて取る必要はない。名誉は後からついてくる。ある程度書けるなら、あとは実践してみてはどうですか? 習うより慣れろ、です。今は非常にいい時代です。ゲームはソシャゲバブルが終焉を迎えつつあるとはいえ、おかげで数々のシナリオ制作会社が立ち、ゲーム会社のシナリオ職として直接雇用されなければシナリオを書かせてもらえなかった10年前、20年前とは違って、とても参入障壁が低くなりました。YouTubeやNetflixなどの動画配信サイト、ウェブマンガの流行で、動画だろうとドラマだろうとマンガだろうと、シナリオを求めている人は星の数ほどいます。買いたたかれるぐらいの値段でもよければ、クラウドワークスやランサーズなどのクラウドソーシングサイトを利用すればいいでしょう。それで一度実績を作ってしまえば、あとは仕事を繋げていって、徐々に実入りのいい仕事を請けるようにしていってください。そうすれば副業程度には稼げるようになりますし、あなたはシナリオライターってなのって十分だと思います。だって、そのシナリオでもう既にお客さんも、取引先も、喜ばせてあげれているのですから。小さな火種から少しずつ火を熾していくように、まずは小さなことから始めてください。大きな目標を掲げすぎて、いつまでも目標が叶わなくなってしまって、潰れてしまったり、諦めていないふりしてただ時間を消化させてはダメです。善は急げ、まずは行動してみてください」と……
そういう風に教えてくれる人がいたなら、もっと早くデビュー出来ていただろう。腐って人生を楽しめない時を少しでも短くする時ができたのだ。
でも、シナリオライターとして少しでも書く楽しみ、読んでもらえる喜び、それを生活の糧とする幸福よりも、安全圏を離れたくない、賞を取るという名誉の方が良いという人たちが大多数はなのだ。
シナリオセンターの受講生の内、10人に一人もプロになれない由縁だと思った。
別にシナリオセンターだけが悪いわけじゃない。シナセンに入る前に入学を検討していた専門学校では、20人に一人もプロには慣れなかった。リスクを冒さないことは賢い。むしろシナセンではリスクを冒すなという戒めすらある。私の身だって、来年は分からない。それでもプロになれずに諦めるよりは、リスクを冒してでも本業を辞めてプロの世界に飛び込んでよかったと思っている。結局、本当に才能のある人以外は、10人中9人はプロになることを一生諦めなくてはならない。
そして、本当に才能のある人がその頭角を現してきた。私の一年程後輩の、研修科でも一緒だった、非常に巧緻な物語を綴る方である。私は自分が客観視できない分、独自の物語や発想、世界観を展開するのが得意だったが、その方は逆に流行に沿い、現実的で写実的な話を展開するのを得意とされていた。私はその方と才能を足して2で割りたいとすら思うほど、その人の持つポテンシャルに嫉妬していた。
あの、本当にプロのシナリオライターを目指しているかどうか分からないクラスメイトの中にいて、その人はやはり一つ抜きんでた成果を残した。それはある民放の主催するシナリオコンクールで、応募総数が1000に届こうとする超ド級のメジャータイトルである。そのコンクールでその人は、(確か)優秀賞にあたる栄誉に輝いたのだった。
(……おめでとう)
共に机を並べた人が報われる様は素直に嬉しく思った。『オリジナルで面白いものを書ける人がシナリオライターとしても大成する』というシナセンの教え通りいけば、その人はこれからも躍進を続けていくだろう。翻って私はオリジナル作品で何の賞も取っていない。言い換えれば、シナセン的には『大成する見込みの薄い人』となる。でもいいのだ。そもそもドラマや映画を滅多に観ない私だから、その手のコンクールに応募しなくても。その代わりに名誉は得られなくとも、普段から与えられる仕事を精一杯こなしつつ、どこかで自分らしさを出していこう。そう思うようにしていた。
しかし……
(今日、俺の処女作の発売日だったんだけどな……)
受賞者を取り囲み祝いの言葉やコンクールのことを尋ねるクラスメイトたちを眺めて、私はそう思った。一応、グループLINEでは発売日等は伝えてあるので、誰も知らないわけではないだろう。
分かっている。私の手掛けたものは成人男性向けのゲームである。ここに居る人は恐らく誰も購入したりしないだろう。それが当然だし、そうして欲しいと思っているわけでもない。それでも……
(実際商品になって世に出る作品よりも、民放の賞か……)
それにこの人たちは、"そのような賞を取るために日々頑張っている"のだ。それでも……最優秀賞ではない、確実に映像化されてお客さんを喜ばせることが出来るかどうか分からない作品の方が、実際にリリースされる私の処女作のことなど忘れるぐらい素晴らしい出来事で、私の処女作などあの人たちにとってはどうでもよいことだったのだ。
(……帰るか)
卑屈になっていたのだと思う。嫉妬していたのだと思う。チヤホヤして欲しかったのかもしれない。同じように夢を叶えた私に対して。
でも、そんな感情が表に出るのは本当にダサいと思ったから、私は講義が終わるとサッと教室を出て行った。人から遠ざかるのには慣れていた。
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