第15話 研修科の思い出箇条書き

 このシリーズのタイトルの副題が『シナリオセンター大阪校思い出語り』となっていながら、全然シナセンのことに関して語っていないので、箇条書きにして列挙していく。実は14話の時点で研修科から最終過程である『作家集団』に進級することとなるので、その間の出来事……2018年2月~2019年9月頃までと思ってほしい。

 ちなみにその間、どのように私が過ごしたか想像の足掛かりとなるよう、研修科のシステムを説明する。研修科には30の課題の提出が求められる。一つの課題につきペラ20枚のシナリオを提出しなくてはならない。ペラとは20文字×10行で200文字詰めの原稿用紙のことである。ペラ一枚は映像化すると約30秒になるといわれている。つまりペラ20枚は約10分であり、どのような課題も10分の尺の映像作品を想定して物語をまとめなくてはならない。そのような短い尺の話をそれなりのクオリティーで書こうと思うと、行き当たりばったりでは書けない。『箱書き』などのテクニックを用いて書く。するとどうしても一日では書ききれない。シナリオを依頼する人の中には、「文字を書くなんて誰でもできるのにどうしてそんなにお金を取るんだ?」と言う人もいるらしいが、シナリオを書いている時間なんて全体の1,2割ぐらいなもので、構成や下調べ、良い着想を得るまでの生みの苦労に比べれば何でもない。ゆえに、書くぐらいしか時間を与えてくれないような納期ギリギリな依頼は品質を保障することは出来ないとここで言及しておく。閑話休題。ともかく、課題に沿う題材を選んで、考えて、構成をして、書き出して、推敲する……この一連の流れは相当に負担なので、一週間に一作書くだけでも苦痛である。私は約一年半で研修科を終えた。2,3週間に一度のペースだ。なぜゆっくりめのペースでこなしたかというと、例えば【結婚式】という課題なら、映画『卒業』(結婚式会場で花嫁を連れ去るラストシーンで有名な映画)を観るなど、課題についての理解と考察、知識を深めるのが肝心だと思ったからだ。ゆえに、一年半で進級するのは他の生徒のペースと比べると少し遅めという認識でいてもらいたい。


 ここからが、研修科の思い出の中でも特筆する必要はない、でもちょっと思い出に残っている印象深いエピソード集となる。


・2018年2月頃

 研修科初の授業、一番古株の人の作品がべた褒めされるので、忖度していると思い込む。でも一番下手な人の講評はボロクソに言われていたので、その疑念は消える。


・同、2月

 新入生飲み回に本日の主役的な感じで招待される。記憶が曖昧だが、漠然と楽しかったことだけ覚えている。昨今はコロナの関係で開かれなくなったので、今となっては貴重な体験となった。ちょっと青春時代取り戻した感がして悪くなかった。


・同、3月頃

 その一番古株の人から、「作品を理解してもらおうというのを放棄している」みたいなことを言われる。笑顔で意見を聞きながら、こめかみに青筋を立てていた。


・同、5月頃

 その古株の人がNHKの賞を取って、そのうえ研修科を終える。その後は作家集団に進級せずに、オプションのクラスに移籍すると宣言する。「もうこれ以上シナセンで学ぶことはないってか、すかしやがって」と思いつつも、コンスタントに卒のない話を書いてくるし、最後の課題もなかなか良かったので、いつかこの人を見返すぐらいの実力と実績をつけることが私の目標となり、結果、良い作用をもたらしてくれたように思える。


・同、4月

 他の人の作品で題材として扱われた淡路島の伊弉諾神社に興味が出て、淡路島一周旅行を画策する。大阪から明石まで自転車で赴き、渡し船で淡路島に渡り、島の北側から時計回りに一周した。2泊3日で、初日はテント泊だった。島の南端にたどり着いた時、どうせ無職だからと、「このまま鳴門海峡渡って四国まで足伸ばしたいな」と思っていたら、淡路島と鳴門を結ぶタコフェリーが2009年ごろの民主党政権時に高速道路を値下げしたせいで廃線になったことを知り、「やっぱあいつらろくなことしなかったな」と、ぼやきつつ元の島一周に気持ちを切り替える。結局、この旅で取材したはその後の課題に活かされることはなかった。


・同、4月

 どうせ無職なのだから仕事していたら出来ない長期の旅行をしようと、沖縄旅行を計画。ピーチ航空が片道2000円のキャンペーンに乗っかる。一泊800円の雑魚寝宿で8泊ほどして、ダイビング・美ら海水族館・自転車で本島半周・シュノーケリング・座間味島でキャンプ・ビーチでウミガメ探し・首里城とひめゆりの塔見学を含めて全行程の旅費が10万ほどで収まった。沖縄には『洗骨』という珍しい葬儀の風習があると聞いたので、調査して課題【葬式】に活かそうと思ったが、グロテスクな内容に話になりそうだったので避けた。今はなき首里城を訪れることが出来て今となってはグッジョブな旅行となった。


・同、4月

 一期後輩で新たに入ってきた面々が超個性的だった。シナリオセンターでは(研修科は特に)ファンタジーを書いてくるのを敬遠される。ただでさえ短い尺が世界観の説明だけで大きく取られるし、何が起こっても「ファンタジーだから」で言い訳されてはライターとしての成長に繋がらないからだ。

 新たに入ってきた人の一人はファンタジーばかり書いて、酷評を受けて(面白くもなかったし)、3本書いてから「私には合わないので違う学校を探します」と言って去っていった。

 もう一人の個性的な人は、こてこての関西のおばちゃんだったのだが、作る話が支離滅裂で、その後ずっと直ることはなかった。シナリオライターになるのに才能は要らないという意見は今でも変わらないが、、最低限のセンスは必要なんだなとまざまざと感じさせられた人だった。


・同、春

 先輩であってもセンスのない人はいて、その人が課題【弁護士】にて発表した作品が特にヤバかった。当時私は運動する以外は家に閉じこもって、一日5,6時間は映画・ドラマ・アニメを観て頭に叩き込んでおり、『やけに弁の立つ弁護士が学校でほえる』というドラマにも目を通していた。そしてそのセンスのない人が発表した作品が、そのドラマと丸かぶりの内容だったので、腹が立ってそのことを指摘した。話の筋から登場人物、セリフまでほぼ同じだったので、天文学的確率で被らない限りはパクったことは明白だった。「パクってもバレないと思ったのか?」と舐められたことにも腹が立ったが、何よりもその人は定年退職後にわざわざ大学の文学部なところに入り直して、更にシナリオが好きだからとシナリオセンターにも入学したのに、魔が差してそのような不正をしたことが悲しくて仕方がなかった。もう二度とそんなことしないでほしくないと思って指摘したのだが、結果、その人は研修科を終えると同時に「これからは趣味として続けていく」と宣言して、作家集団には進級しなかった。私が指摘したせいでハートブレイクさせてしまったのなら、残酷なことをしてしまったなと今さらながら反省しているし、もし私の文筆業が今後上手くいかなくなっても、こういう性格なので人の恨みをそれなりに買ってしまったのだろうから、その報いは甘んじて受けようと覚悟は決めている。まぁそれでも私は書くのを辞めないだろうが。


・同、夏

 二期後輩が入る。その内のお一方は作品に若干のクセはありつつも、負けん気が強くて回を重ねるごとに面白い作品を発表してくれた。ウマが合ったので個人的に何度か電話したり、賞に出す作品に意見し合ったり、飲みに行ったりした。最近、子宝に恵まれたというご報告を受けた。おめでとう。


・同、春~初夏

 大阪のシェアハウスで無職の男がシナリオの勉強に集中したいからといってずっと籠っているのは不健全だと思い、どうせなら節約しつつ痩せようと、週に2,3度、往復10キロ先にある尼崎の八百屋に食材調達をしに赴いていた。電車の高架下に軒を構えるような激安の八百屋で、レモンやニンジンが袋に詰め放題100円だった。だけどその分すぐに痛んだ。この期間はレモンウォーターばかり飲んでいた。運動しても食事制限していなかったので、貧乏人の救世主である米を食べ過ぎて、かえって太った。


・同、初夏

 暑くなり出したころ、シナリオセンターから徒歩15分ぐらいのところに住んでいたので、部屋着に使っていた和柄の半袖短パンのまま講義に出たら、『侍』という妙なあだ名がついてしまう。


・同、夏~

 実家の家業を手伝った頃に出来たコネで、地元滋賀県の琵琶湖に浮かぶ竹生島の国宝・観音堂の改修工事第二期に呼んでいただけたため、大阪のシェアハウスを引き払って実家に帰る。往復1時間半の車通勤+琵琶湖の北端から漁船で島に渡るという日常。湖は海と比べて浮力が低いので、漁船の底は浅く広い。ゆえに風に煽られやすく、風が少しでも強く吹けば島から出られなくなってしまい、約5,6回は島のボロ小屋で10人弱の職人たちと寝食を共にした。電気は島唯一の小型発電機に頼っているので、夜9時にはそれが止められ、完全に停電となる。そんな中でも課題制作のために一人ノートパソコンカタカタさせていた。同じ部屋だった人、迷惑だったろう。改めてゴメンなさい。


・同、8月

 滋賀県長浜市の実家からシナリオセンター大阪校までの超遠距離通学が始まった。ドアトゥードアで片道2時間半かかるため、授業が午後一時半に始まるとはいえ、家を午前10時半までに出なくては間に合わないぐらいだった。往復4000円も交通費がかかるので、駐車場代を節約するために天気の良い日はたまに歩いて駅に向かった。駅までは歩いて40分かかるので、余計に早く家を出なくてはならなくなった。

 シナセンで講義を受けるだけでも一日仕事なので、体力的にも金銭的にも毎週通っていたらもたないということで、実家に帰ってからは隔週で通うことになった。学習が遅れることが懸念されたが、よく考えたら直接講義を受けて得られることよりも、実際に作品を書いたり、そのために色々調べ物をしたり、ノートをまとめたりするだけでも同等以上の成果が得られると分かったので、余裕で隔週通学生活を楽しんだ。

 ちなみにシナリオセンターでは超遠距離だと授業料を一部免除してくれるサービスがある。私もその適用を受けようとしたら、超遠距離とはいえないとのことで却下された。どうやら福井県や広島から通っている人がいて、その人には適用されているらしい。そこまでして通う人がいるのに脱帽した。


・同、クリスマス

 シナリオセンターにはクリスマス会なるものがあるのだが、初めて訪れた時は一人でフワッと参加したのであまりにボッチ感が漂い、耐えられなくなったので、その年は誰か誘おうとクラスメイトに声をかけた。以前に書いた同期のフェミニン女子は、出し物に参加するためその同志と出席するとのことで断られた。唯一OKしてくれたのが、芸術肌でとてもセンスのある作品を作る、大学は哲学科を専攻していた当時動画編集の仕事をしていた20代の青年だった。彼もドラマ等よりもアニメに興味があるらしく、私と趣向が重なることも多かったので、クリスマス会の後も比較的仲良くさせてもらった。脚本家としての才能の光る彼だった。最終的には仕事とシナセンをこなしながら専修学校で3DCGも学んでいて、その成果を活かして東京のアニメ会社に就職してシナリオセンターを離れた。今でも時折連絡を取っているし、後述する私のゲーム開発で力を貸してくれたりもした。あまりの努力家っぷりに、今でも彼のことはリスペクトしている。

 しかしながら彼に色々無礼なことをしてしまい、今でも謝りたいことがある。例えば、先生があまりにも才能ある彼をべた褒めするので、私は酒の席で「先生と〇〇君はデキてるんかと思いましたわ~」などと失礼極まりないことを言ってしまった事などだ。いつか東京に行ったときにまとめて謝ろう。


・同、冬

 研修科でいくつか会心作を出したのだが、私の場合は特に『職業物』の課題が好調で、その内の一つ、課題【教師】『図書館先生と』という作品を発表した時は、自身の学校に行けなかった体験が上手いこと落とし込めたし、クラスメイトからの講評も、「こんな教師がいてもいいと思う」「社会問題に深く切り込んでいる」「作者の作風がよく出ているし、人間の心理が描けている」と褒めてもらえた。(悪い箇所も少なからずあったのだが)

 この作品をいつか世に出すのが、今の私の最大の目標になっている。


・2018年秋~2019年春

 シナリオセンターは脚本家の学校といいながらも、講義が始まる頃に人が集まり、終わればサーっと散っていくので、前述の通りもっと学校の雰囲気を満喫したかった私は、卒業が近くなり出したころに焦って何かとクラスメイトを巻き込みはじめる。

 例えばコンクールの作品作りに向けて意見の交換会をしないかと、放課後に集まって語り合う会を企画した。毎回喫茶店とか行ったらお金がかかるので、センターの近所にある河合塾が経営している大人の自習室的なところを利用した。そのグループは規模を増していって、先生とスマホを持っていない人以外はクラスメイト全員が参加するようなLINEグループを作ったり、たまにLINE通話で作業しながらダラダラ話したりして、それなりに青春っぽい雰囲気を味わった。そのグループ名は『シナセンHR』という名称を付けたのだが、HRには『ホームルーム』という意味と、当時は元号が変わろうとしていた頃だったので、『平成(H)、令和(R)』をかけてHRと名付けたのは今でも秘密だ。私が作家集団に移っても、この関係はしばらく続いた。


以上、私の研修科の思い出(話せる内容のもの)でした。

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