第10話 課題は恋文を書くように

シナリオセンター基礎科の授業の終わりには課題というものが出される。200文字一枚の原稿用紙……いわゆる『ペラ』に、当初は3枚、徐々に増えていき、最終的には20枚の物語を綴って毎週提出を求められる。(提出しないとダメというわけではない)

課題の種類は多岐に富んでいる。兄弟、出会い、回想、別れ――など、全12回の講義ごとに赴きの異なる課題が出される。


課題『ハンカチ』が出されていた時の頃、夜の大阪市高槻市駅前――

「兄ちゃん、もうそろそろバス出さんと駐禁とられるから降りてもらわんと!」

大型観光バスの運ちゃんに促されて私はバスを降りた。

「もうちょっと居させてくれてもいいのに……まぁ、座席だけは把握したし、なんとかなるか」

と一枚のハンカチを携えて適当な飯屋の席に着いた。

「ああ、〇〇様ですか? 私、××観光社の(カバかもん)と申します。この度は鳥取カニ食べ放題ツアーにご参加いただきありがとうございました。お疲れのところ急にお電話を失礼いたします。実は〇〇さまのお席にお忘れ物と思われるハンカチがございまして――」

と、バスの座席表と顧客リストをチェックしながら日帰りバス旅行のお客様に電話をかけた。当時、観光会社の添乗員をしていた私にとって、ツアーの終わりに忘れ物の処理を行うことは日常的なことだった。

電話中でもにこやかな笑顔を作りお客様に応対する。しかし電話を終えると……

「ったく。何度も"お忘れ物のございませんよう"って口酸っぱく注意してくのに、どういう神経してんねん」

と一人くだを巻きながら飯をカッ喰らう。しょうもない男と思われるだろうが、添乗員はとかくストレスが多い。忘れ物だって、今回はハンカチなんて他愛もないものだったが、財布や携帯電話を忘れられるとお客さんが取りに戻るのを現場で1,2時間待つこともあるし、お土産のカニをバスのトランクに預けたまま忘れたとか言われて、なぜか添乗員や旅行会社にクレームを入れてくる「??????」な出来事もある。

「……シナセンの課題、どうしよっかな~」

そんな独り言をつぶやきながら注意散漫で飯を食っていると、うっかりコップを倒してしまった。

「やばっ!!」

手元にハンカチがあった。思わず手を伸ばす。

「ってこれ、お客さんのハンカチやーん!?」

慌てて手を引っ込める。水がテーブルの端まで広がり、二次被害を起こそうとしている。私は服の袖で壁をつくり、堰き止めた。明日も朝5時に起きてツアーに向かわなければならないのにスーツを汚してしまったことに後悔する。

「添乗員って、マジ踏んだり蹴ったり……」

そのとき、ハッとした。シナリオを面白くする要素はいくつもあるが、その内の一つに"知らない世界を知れること"。そして課題『ハンカチ』の狙いは"小道具によって物語に意味のある展開や、セリフ無しでキャラクターの心情を表すこと"だ……添乗員の世界なんてあまり知られていないだろうし、この踏んだり蹴ったりの展開も『ハンカチ』があってこそだった。

「今あったことにひとひねりして脚本に落とし込んだれ♪」

『王様の耳はロバの耳』というか、とにかく腹に抱え込んだものは定期的に吐き出した方がいい。ストレス発散がてらにこの出来事を書くことで、その週の課題はどうにかなる目算がつき、私は厳しい仕事の最後にホッと胸を撫で下ろすことができた。


シナリオセンターにも同期はいるが、添乗員の仕事にも同期はいる。私の同期は年上のお姉さまだった。サバサバしていて小さくて、美人さんだけど独身のその人。女性経験のあまりない私だったが、とても親しみやすい人だったので、仕事の合間によく食事やお茶をした。

そんな彼女も添乗員のストレスフルな仕事に打ちのめされかけていた。ある酒の席である。

「添乗員の仕事したらもう他のどんな仕事もできるよね! ホンマお客さんの奴隷やわ。ウチらの落ち度でなくてもお客さんから電話入れられたら何でも対応させられて、クレーム入ったって上から絞られて、お給料も絞られて、仕事も減らされて、しばらく何もなくてやっと仕事が戻ったと思ったらまたクレームが入って……は~っ、これから観光オフシーズンに入るのに、これ以上仕事無かったら生活していかれへんわ~」

(ストレスたまっとんな~)と思いながら、時々頷きつつ聞いていた。

「……あんた。今月でこの仕事辞めるんやって?」

「……ごめん。言うてなかったな」

「なんで言うてくれへんかったん?」

(それは……)

なぜかこの人にはいいたくなかった。

「でも、仕方ないもんね。あんたはこの仕事を一生やってこうとは思わんのやろ? それやったら早よぉ新しい一歩を踏み出さんとなぁ。実家に帰るんか?」

「うん。夢のために時間を使いたいから、仕事セーブしながら実家に住まわせてもらうことにしてる。あと2,3年は我慢やな」

「そっか……ええやん。まだ若いんやし。いいことやと思うよ」

「……ゴメンな。仕事辞めるって言わへんで……もし引き留められて決心が鈍ったら嫌やったからなんや」

「ホントそれ! 引き留められるの怖くて誰にも相談できんよね? 同期のあんたぐらいやわ。こんなこと言えんのは」

お互い沈黙する。やがて同期が口を開いた。

「……寂しなるなぁ」

「せやな」

それでも大阪を離れて実家へと出戻る決断に後悔はなかった。踏み出したからにはシナリオライターになれる確率を少しでも高めたい。

(……書くか)

同期との飲みの後、イマイチ回らない頭で机へと向かった。休日にのんびり書けるタイミングを待っていたのでは課題すら手が回らない。この忙しい生活から脱却するためにも私は添乗員を辞めなくてはならない。たとえ、親しい人々と別れることになっても……

課題は『出会いと別れ』

胸にたまったこの何とも言えない気持ちを原稿用紙に叩きつけられないだろうか?

(……好き、だったのかな?)

もし、彼女に告白して、受け入れられて、大阪で楽しく暮らせたらどんなだっただろう?

(……恥ずかしくって書けねえな。そんな妄想満載ラブストーリー!)

決して出すことのないラブレターを書くことも出来ないぐらい、まだ私は未熟だった。


その月の終わりに、私は大阪を離れて実家の滋賀県へと戻っていった。

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