17
約束の時間が近づいてきたので朱色の館に戻り裏門へ向かった。Kは先に来て待っていたようで、半年前と同じように黒い足で立って大きく手を振った。Kは大事な時には必ず隊員と足並み揃えて歩くのだ。
カサンは隊長に駆け寄り、額に右手をあてて敬礼した。心地よい風がお揃いの隊服を撫でる。
「南の方角、白い光が見えますか」
裏門から先は下り坂になっていて世界が遠くまで見える。Kはカサンの横に並んで立ち、前を指さした。
「ええと……ルカの天井に開いた穴のことですか」
「そうです。私達の敵である死神が六〇〇年前に穿った、二つの世界をつなぐ通路です。地上への入口でもあり、地底への入口でもあります」
消え始めた星と同じくらい小さく、本当にかすかに光が差し込んでいるのが見える。こんなに離れていても見える光だ。あの穴の下はとても明るいのだろう。
「あの穴の上にはこことは全く違う世界があります……というのは半年前言いましたね。地上には信じられないほど強い光を放つ星があり、蒼い天井が広がり、どこまでも続く水の平原がある。そうゼンとティルが教えてくれました」
「副隊長とティル?」
「ゼンは地上で生まれ育ったんですよ」
地上に行ったことがあるとは聞いていたが、異邦人だということは初耳だった。確かに二人とも少し人と違うところがあるが、とても別世界の人間とは思えない、至って普通の人間だ。
「地上で……」
「ええ。ですから、地底に来て分からないことだらけだと笑っていました。……ねえカサン、貴方にお願いをしても良いでしょうか。太陽を見てきてください。その星は、たったひとつで一日の半分、地上世界の全てを照らしてくれるのだそうです。明るい貴方にはぴったりな任務だと思いますよ」
まるでカサンのことを知っているような口ぶりだ。そんなことは無いはずなのに、例外など無く全員が忘れているはずなのに、隊長はカサン自身のことをためらうことなく話した。
「どれくらい明るいんですか、あの魔石よりも明るいでしょうか」
真上でひときわ明るく光る点を指さす。隊長は笑い飛ばしてあんなの比じゃないですよ、と言った。
「直接見たら目が潰れるそうです」
「隊長、それは目を潰せということでしょうか」
「っは、頑張って耐えてください」
隊長の訳の分からない雑談にはだいたい意味が無いし、言われたことを実行する必要も無い。こうやって部下と交流することが何よりも楽しいようだから、カサンも緊張せず楽しむことにした。
天井の穴の先を想像すると少しだけわくわくした。知らないことを知るのは嫌いじゃない。知っていることを忘れていくより、断然心躍る。
「隊長、僕はもうここにはいられないんですよね」
悲しいわけじゃない、この場所で十五年間生きた達成感でいっぱいだった。見下ろす世界から星の光が消えていって、代わりに家の窓に灯りがついた。ぽつらぽつらと見えるオレンジ色の灯りが、風に運ばれてやってくる夕飯の匂いが、地底の温かさを教えてくれた。
「……貴方とお別れをしなければならないのがとても心苦しいです。貴方は、私達とはお別れになりますが、四班の貴方の先輩計二二二人います。ゾロ目ですねわかりやすい。……その中で貴方が直接関わったのは二十名と少ないですが、その方達に向こうで会えるはずです。会えば必ず分かりますから、皆で私のことを褒め称えてください」
油断の隙も無く冗談を交える隊長の話にいちいちカチコチ固まることはなかった。
「言われなくても、隊長のことは皆大好きですよ」
「はははっ! ずいぶん慣れましたね!」
記憶には全く残っていないが、四班に配属されたときはカサンが一番の新人だったのは確かだ。きっとたくさん助けてもらったのだろうその人達に、やっとお礼を言うことができる。
「あの、隊長は僕のことを覚えていてくれますか」
最後まで残ったすがるように隣を見ると、隊長は目隠しをしたままでも分かるくらい優しい顔で答えた。
「ええ。貴方が私達のことを忘れない限り、私も貴方を忘れません。ですから貴方も忘れないでください、ここで過ごした日々を、恩人を。それは貴方の生きた証です」
「はい」
カサンはもう一度眼下の美しい世界を一望して、最後に右隣を見た。
「……隊長、四班を作ってくれてありがとうございます」
「うん、どういうことですか」
その口から、え、と言う声が聞こえそうだった。もう一度褒められたくて聞き直したのではなく、褒められる理由が本当に分からなかったのだ。
「だって、もし隊長がいなかったら僕、この半年間とても辛かったと思うんです。あの時隊長がこの腕章をくれなかったら、この色が家だと言ってくれなかったら、四班がなかったら僕ずっと独りだった」
Kは胸に拳を置くカサンに顔を向けて遠くの白い光を見上げた。つられてカサンも地上への入り口を見る。夜が近づき消えていく星の光に抗うように、地上はその明るさを増していった。
「ああ……そうですか、そうでしたか……」
胸の前で手を握る。
「その言葉に救われましたよ」
遠くで一日の終わりを告げる鐘が静かに鳴る。
Kはカサンと向かい合わせに立って少年の右胸に触れた。
「誕生日おめでとう、そして成人おめでとう。カサン、貴方の旅路に素敵な風が吹きますように」
カサンの右胸には小さな金色が輝いていた。一班の先輩がつけていた物、そしてティルの胸にもあった。このブローチは成人に与えられる一人前の証だ。
「っ……隊長……いままで、本当に、ありがとうございました!」
直立し立派に敬礼するカサンの正面で目隠しを外した。雨上がりのような澄んだ空色の瞳がまっすぐに少年を見つめる。
右手指を真っ直ぐ揃えて額にかざすふたつの姿は凛々しく、建物に負けないくらい立派であった。
最後の音が長く、一際強く響く。少年の体が白い光に包まれ、光の粒となり風に乗ってふわりと舞った。
Kは目の前の眩しい光に目を細める。
それが何を意味する物かわからなくとも、最後の光が天井へ吸い込まれていくまでずっとそのままでいた。
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