18(終)
「ゼン、今日は仕事休みたい」
「どうした、急に」
翌朝、Kは机に突っ伏していた。正面ではゼンが椅子で隊長室の扉を塞ぎながら、足を組みプリンを食べている。
「昨日の夜帰りが遅かったでしょ。時間的にどうやら私は四班の子を送り出していたようだけど……案の定、何も……」
覚えてないんだよね。
目隠しを外し、目を左手で塞いだ。心が一番痛む時期の叫びは記憶に残らない。Kはきっと、何度も何度も「私を認めて」と懇願され、「どうして皆忘れるの」と泣かれている。そしてその全てを記憶から消されている。そう思うだけで心苦しい。
影を操って目を覆ったままゼンの持ったスプーンを奪う。ひとくち分のプリンがのったスプーンは数メートル離れたKの口に吸い込まれていった。
「……もうひとつ持ってくる」
「私はプリンが食べたいんじゃなくてゼンの物を奪いたいだけだって、ゼン、分かってるでしょ」
「勿論。だから言ってる」
Kがへの字に曲がった口に金属製のスプーンをくわえていると、ゼンは返せ、と言うと同時に小さな静電気を落とした。
「いッ!」
「ははっ」
カラン、と落ちたスプーンを取り返すために椅子から立ち上がり、Kの近くへ歩いて行く。舌を出して右頬をわざとらしく押さえる友人からスプーンを奪い返し、食べかけのプリンを添えて机に置いた。
「要らない」
「食え。君はよくやった」
「ゼンが食べたかったんでしょ」
部下に優しくされるのは隊長としてどうも落ち着かない。いつも人を励まし、笑わせているのは自分だから、同じ事をされるとむずがゆい。
「一人で全てを背負うな。壊れる」
「そんなことないよ。マニュアル通りにやってるだけだし」
「それが辛いんだろ」
四班の皆と交流する方法は他の人とは異なるため幹部には朱色の人々に関する規律を設けたが、結局忘れてしまうため要望を四班員に聞くことはしなかった。
知っている人とだけ話していると忘れられたと現実を見せてしまうことになるから極力話すな。名前を呼ぶと呼ばれなくなった時に自分の存在を失うから呼ぶな。ただし、相談されたときと誕生日前は必ず呼べ。透視ができず名札が読めない人は絶対に朱に近づくな。
そうやって規律を設け自身の行動を律したが、決して部下の意見を聞いて決めたわけではない。幹部が思い付いた地獄を、幹部の脳で考えうる最善策で避けただけだ。
「でも、隊長の義務だから……忘れちゃいけない。私は皆の命を預かっているんだから」
「覚えているのか」
「まさか」
Kはもう一口甘いスイーツを掬って飲み込んだ。
「名前すら覚えられないから、朝呼び出されたら資料を漁って、かすれた文字を解読して、手袋に名前を刻んでいくようにしてる。昨日もそうしていたはず。せめて私達だけでも覚えているって信じてもらわないと……本当は誰も覚えていないんだからさ」
取り出したKの手袋には何も書かれていなかった。こういうものですら、成人を迎えると同時に消えてしまう。
「ああなんで、どうして、こんなのおかしいだろ!」
「ああ」
Kは拳を机に叩きつけた。皿が跳ねてスプーンが机に落ちる。両目から零れた涙が真っ白な四班の名簿に落ちて広がった。
「私はまた救えなかった!」
Kの背中をさすってやる。若い二十二の背中に二二三の命は重すぎる。分かっていても、ゼンは全て背負うと決めた隊長の覚悟を踏みにじって気にするなとは言えなかった。
「……アーデアさんが言う『神殺し』ってやつに協力しようか」
「死神と手を組むのか」
「冗談だよ」
袖で両目を拭うと、はは、といつも通り笑う。プリンを口に流し込み、まだ赤い目を布で覆う。
いつも通りの一日がはじまる。
「おはようございます、朝礼を始めますよ」
風が金髪を撫でた。
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