16
次の日から、カサンは逃げることなくずっと四班の皆と過ごした。タリアードには作り笑いをして初対面として話しかけ、その後来た新人にもいち早くここを居場所として認めて貰えるよう、積極的に話しかけた。
二十数名いる四班員のうちカサンの知らない人が半数以上で、その人達は誰にも気がつれることなく居なくなっているだろう。最初ははっきり覚えていたカサンの後輩の記憶も時間が経つにつれてだんだんと薄れていき、何人いるのかすらあやふやで分からない。カサンは人の顔と名前を覚えることをやめた。全ての人が初対面で、全てが新しい出会いになる。
以前ほど悲観的になることは無かった。心からの友達が誰一人いなくても朱色の腕章は仲間の証として輝いている。毎日新しい出会いがあって、たくさん話が出来ること。誰の記憶にも残っていない彼にとって四班という家は天国のようだった。
神の名を名乗る悪魔のせいで、カサンには友人も家族も居なければカサンのことを微かに知っている人すら居ない。それでも、隊長が四班の人達に与えた唯一無二の居場所があれば十分だった。
「消えてしまった後何も残らなくても、僕はきっとこの素晴らしい場所を覚えている。いつでもここに帰ってこれる」
自室の窓からユニオンの住民が放つ淡くて美しい光がいくつも見える。そこに自分の居場所がないと分かっていても、暖かい光を見る度にカサンは愛おしそうに目を細めた。
更に二ヶ月が経ち、カサンには自分から話しかけない限りほとんど誰も声をかけてくれなくなった。知り合いと呼べる人は一人もいない。目を逸らした瞬間忘れられるようになってしまった。
凹んだことは何度もあったが、一人ではなかったから明るく居続けることができた。
誕生日の数日前にやってきた新人の教育を任されたが、人助けが好きだったのだと気がつくことができたことはカサンの大きな自信となった。
「敬礼は左胸に手をそろえてやるんだよ。僕ら隊長のことを信じてるからね」
どういう原理かは分からないが、確かに隊長は全員のことを認識していた。
ついにこの日が来た。
セドリック班長に突然声をかけられて、隊長に弄られながら四班に配属された、あの怒涛の日々から丁度半年。明日がカサンの十五歳の誕生日だ。
けれど、その日を迎えることは出来ない。人生の晴れ舞台を祝福されることなく世界に別れを告げる。別の世界のもうひとりのカサンに取り込まれて、やがて消化される。カサンという存在ははじめからなかったかのように忘れられ、世界は何事もなかったように明日を迎える。
やりたいことはまだまだあるが、それは地上でやれば良いかな、と新しい世界を楽しみにしている自分がいる。
「隊長」
朝礼の前に隊長室の戸を叩き、サラサラと金髪を振り舞う男を訪ねた。万年筆を咥えて唸るKの髪は星の光を受けていつもより輝いて見えた。
「はい? おや、明日は君の誕生日ですか」
頷くと少し寂しそうにそうですか、と憂いてペンを置いた。
世界中の誰もが忘れてしまっても、四班の全員を覚えている人が居る。隊長はきっと、カサンという存在をずっと、治安維持部隊が無くなるその日まで認めているだろう。
「カサン、星刻八時、星が消える前に裏門に来てください。体調を崩してしまったら遅れても構いませんが、私待つのに飽きたら帰りますからね。それまでは好きなことをすると良いでしょう。私これから仕事なんですよぉ」
「はい!」
地底から離れる前にこの景色を目に焼き付けて、大切な人と別れて来なさい、ということだ。
まず、外を出歩くことにした。誕生日に家族で来たレストラン、一班に居たときにふざけて落ちた側溝、何の変哲も無いが何故か思い入れのある小さな石橋。十四年間愛してくれた親と大好きな弟の住む家の玄関の角に名札を置いて、あの時もがきながら走った街道をゆっくり散歩する。もう戻ってこない思い出をひとつひとつ振り返っては懐かしさに目を細めた。
ふいに若者達の声が聞こえた。振り返ると自分と同じ朱色の腕章をつけた一団が此方に歩いてくる。星刻五時だから、今から皆昼飯を囲むのだろう。今日からその中にカサンは居ないし、それに気がつくものは一人もいない。
ひとりが群れを抜けてやってきた。カサンに用事があるわけではなく、目指しているのは後ろのパン屋だ。チーズの入った惣菜パンがとても美味しくて、カサンはいつしか常連となっていた。
「ねえ、僕がおごってあげるよ。僕はもうお金使わないからさ」
近くに走ってきた後輩を引き止めて、パンを買うには少し多くて生活するには少なすぎる全財産を手渡した。彼女はコインを見て目を丸くしていたが、拒否される前に手を振って別れる。
どうせ僕が持っていたら使われずに消えていくだけだ。人に渡して喜んで貰える方がいい。
「わ……ありがとう」
少女はぺこりとお辞儀をして店に入り、少し経ってから出てきた。奮発して買った焼きたてのパンの匂いに嬉しそうに微笑み、大きな紙袋を抱えて一団の方へ戻っていった。
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