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 カサンは四班の皆と会う前に四班の寮に引っ越しをするように言われた。荷物をまとめ、別棟の一階にあった一班の寮から四班と幹部の寮がある四階に持って行かなければならない。

「今日は引っ越しで手一杯のはずですから顔合わせを行いません。明日の定時に直接四班に向かってください」

 重い物はKや手の空いた隊員が権力を使って窓から運んでくれたが、散乱した小物を整理するまでは待ってくれず、自分で階段を何往復もして運ばなければならなかった。

 荷物を運び終え、一息つく。

「四班の人たち、優しい人だったら良いなぁ」

 寮の四階は本館の二階と同じく、隊長クラスの怖い人たちが暮らしている。そんなところに一日中押し込められてはこの半年間上手くやっていける気がしなかった。仲良くならなければならない人が多すぎるし、仲良くなるハードルも高すぎる。

 ベッドに寝転んで目をつむったとき、ふと隊長のニヤけ顔が脳裏にチラついて跳ね起きた。

「やば、資料読まずに寝るところだった」

 冥刻三時。星は光を失い、闇が世界を包み込んでいた。まばらに見える光は民家の灯りであって星ではない。カサンは瞬く世界中の星も好きだが、ぼんやりと暖かい光の灯る冥刻も同じくらい好きだった。

 しかしそろそろ寝た方が良い時間だ。急いで書類の山から昼間貰った資料を引っ張り出す。資料の束の下から見慣れない分厚い本が出てきて目をぱちくりしたが、こんなことに構っていられる時間は無い。

 三時半。カサンは机に突っ伏していた。資料にはあまりに字が多すぎるし、学のないカサンには難読なものばかりだった。

 ユニオンの民はほとんど字が読めない。カサンは一班で教わったため簡単なものなら読めるが、学がある訳では無い。Kもユニオンで生まれ育ったひとりであるからそれを知らないはずがなかった。故に、この難しい文章は、ただの嫌がらせである。

 光を失っていた星が再び瞬き初め、早起きの鳥が朝の到来を告げた一時間後、カサンはいつの間にか潜り込んでいたベッドで目を覚ました。集合時間まであと五十分、それまでに身支度をして本館の二階の一番奥に行かなければならない。

 ここは四階、食堂は本棟一階、集合は二階の一番奥。

「初日から遅刻したら殺される!」

 Kはそんなことするような人では無いが、肉体的に殺されなくても弄られるのは確実だ。それに、第一印象が初日から遅刻した人というのがとても嫌だった。

 いつもの制服に真っ赤な腕章を着け、ネクタイをキュッと締めて襟を正す。それから階段を駆け下り、三階まで行ったところでメモ帳を部屋に置き忘れたことに気がついた。くるっと回り急いで階段を駆け上がり、机の上の箱を漁って小物類のぐちゃぐちゃした中からメモ帳を引っ張り出す。そしてもういちど、一階まで二段飛ばしで駆け下りる。

 寮の廊下に人はあまりいなかった。もう既に行ってしまった後なのだろう、いたとしてカサンと同じようにバタバタと忙しそうにしている人ばかりで、カサンは何度かぶつかりそうになった。

「わ、ごめんなさい!」

「さーせんっした!」

 本棟の一階の食堂で、食べ終えて席を立つ人が多い中朝ご飯をかきこみ、人混みをかき分けてダッシュで二階へ駆け上がろうとすると、後ろから走るなと咎められた。振り返らず平謝りして早歩きにする。間に合いそうだがあと五分で集合時間の二時だ。


 人のいない二階を奥まで急ぐ。間違っても反対の奥の隊長の部屋を開けないようにだけ気をつけて急いだ。突き当たり、階段の正面、チョコレート色の扉の隣にある「直轄特別活動部」の前に立ち、中から漏れる賑やかな声を聞きながら深呼吸する。ドアノブに手をかけて、手前に引く。

「本日付きで四班に配属となりますカサ……」

「ようこそ新人さん!」

「わぁ真面目、定時ぴったりだよ! でもまだ全員は揃ってないんだぁ。えへへ、よろしくね」

 ドアを開けてすぐに背筋を伸ばし右手を額にあてビシッと敬礼すると、同い年くらい、実際同い年だろう少年少女が朗らかに出迎えてくれた。数人がカサンに応えてへなちょこな敬礼を返す。

 友達のような班の雰囲気にこの敬礼は似合わないな、と戸惑いながら右手を下ろして「よろしくお願いします」とぎこちなくお辞儀をした。

 彼ら、カサンの自己紹介を遮ったのに一人として名乗らなかった。趣味はなんだとか、好きなタイプはどうだとか、そういういわばどうでも良いことを我先に教えてくれる。名札の名前とリンクしないと一瞬で忘れそうだ。

「おいで新人さん。ねえねえ、この子のロッカーって五番でいいんだよね」

「うん、そうだよぉ」

 背の高い男子が、ちょうど柱の陰から顔を出した緑髪の少年に聞く。少年は愉快な声音と合わない無表情で応えた。言葉と顔がちぐはぐで本当に彼が発した言葉なのか分からない。胸元の名札にはティル、とあった。なるほどこの人が四班の実質班長というわけだ。隊長が「変な話し方をする」と言ったのは口調のことではなくて表情の事だったらしい。

 一班に比べるとずいぶん小さい四班の敷地内を案内されて、ロッカーや道具の場所を覚えた。全て番号が振られているから、自分の番号を使うらしい。カサンは五番だから、全て五と描かれたものを使えば良いそうだ。

「他の番号には触らないでね、もしかしたら置き忘れたのかもって思っても。他の人の物だから。その代わり、自分の道具はきちんと管理すること」

「分かりました」

「俺達皆同僚だし同い年だからタメで良いよ」

「うん!」

 起きたときは不安でいたが、にこりと微笑んでカサンを受け入れてくれる先輩達のおかげで緊張はどんどん解れていった。

「あ、隊長」

 ちょうどカサンの真後ろを見て挨拶した女子がいた。振り向くと今まさに皆を驚かそうとしていたであろう金髪が一同を見下ろしていた。カサンを初めとする隊員のうち数名はいつからそこに、とぎょっとしてくだらない雑談を止め佇まいを正した。

「そんなに存在感ありますか、隊長のオーラですかねぇ……さて、朝礼を始めますよ。適当な席についてください」

 全員が近くの席に座った。すると、Kがわざわざ奥の方まで音もなく移動してひとりひとりに紙を配っていく。それから入り口の方に戻り全員を見渡して、昨日カサンに四班の説明をした時と同じように資料を読み上げていった。さっきまでのゆるい空気が急にひきしまり、ぴりぴりしているのを肌で感じていた。

「以上、本日もよろしくお願いします。解散」

 その言葉と共に全員が一斉に立ち上がり、左胸に手を当てる。カサンも慌てて皆の真似をして胸に拳を当てた。Kはそれに応えるように胸の中心に拳をあてて頷くと、部屋からふよふよと出ていった。

「驚いたよね、これは四班の伝統らしいよ、隊長が始めたんじゃないんだってさ。毎日朝礼の最後にやるんだよ。俺達が手を当てる場所は中心じゃなくて左胸。指は伸ばして揃える。意味は隊長の為にこの命を使う、かっこいいよね」

「かっこいいけど……左胸? なんで?」

 この世界で皆が行う礼は隊長や先程のカサンが行った、胸の中心に拳を当てる物だ。

「心臓がある場所ってそこでしょ」

 朝礼で隊長にカサンの指導役として任命された少年が誇らしげにそう笑った。

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