7

 Kは黒い指で机に並べた紙の束から一枚引き出し一番上に載せる。両手を広げたくらいのその紙には、黒いペンで入隊時に一度だけ見た組織図が描いてあった。一番上に枠が一つ、その下に一つ、更に下に三つ、更にその下にいくつか並んでいる。そして、一番上の枠から右下に線でつながれた小さな枠があった。

 Kはそれを上からなぞりながら入隊した時と同じ事務的な説明をした。

「部隊の隊長はご存じ、わたくしKです。そして副隊長がゼン。その二人の下に三人の班長、その下に小グループがつきます。まあこの辺は今は関係ないことなので省略しますね。貴方のこれからの職場は『直属特別活動部』通称四班です。位置は……ここ」

 指で隊長の文字から右下に出た線をたどる。直属特別活動部、と書かれた小さな黒枠をコツコツと叩いた。

「名前の通り私の直轄です。形式上リーダーは私となっていますが、指示出しは二割私、二割ゼン、六割ティルです。私もゼンも全体を見なければならず、とっても忙しいので、一つの班だけに集中はできないことをご了承ください。……本当に忙しいんですよ、明日はルカ・メルクリウスにりょ……出張ですし」

 旅行、と言おうとしていなかったか? Kはごほん、とわざとらしい咳払いをして話を続けた。

「ティルというのは四班に一番長く所属している、緑髪の変な話し方をする奴です。よく指示出しをしますが、彼は上司ではなく先輩としてみてください。班長は私ですからね。それと、ここは他の班と違って厳しい上下関係がありませんから、肩の力を抜いて周りの人になんでも聞いてください。皆親切な人ですよ」

 そこまですらすらと伝えると、真面目に話を聞くカサンの顔の前で左手を振る。なんでしょう、と顔を上げた瞬間支えを無くした手袋と袖がぼとりと机に落ちた。

「うわっ」

ガタッ、と椅子が音を立てる。

「あはは、良い反応ですね」

「申し訳ございません!」

 勢いで立ち上がったカサンは腰から直角に折れ曲がり深く頭を下げた。

 Kはケラケラと笑いながら机上に戻った影をもう一度かき集めた。影は意思を持った水のように袖に吸い込まれていき、骨の形になって元通りの腕ができあがった。

 指先まで作り終えると手袋を胸ポケットに仕舞って新しい紙を引き出し一番上に並べた。こちらには縦書きの文字が並んでいる。

「ほら座りなさい。今のは謝るところではないでしょう、気を張っていると私の行動にいちいち疲弊することになりますよ。さて次は規則についてです。四班はその特殊さ故に他の班と少々異なりますから、心して覚えてください」

 椅子に座り直してぎこちなく肩を回して緊張をほぐそうとするカサンを、Kはたいそう面白そうに見ている。ゼンやセドリックのようなKとよく話す人たちはKの扱いに慣れて友人のように接してくるので、こうしてガチガチに固まった人と話すのは新鮮で愉快だった。

「多いので重要なところだけ口頭で説明します。他は目を通しておいてください。一つ、転属には班長の許可が必要となります、これは他の班と同じですね。二つ、外出は自由です、門限も存在しません。いいですねえ、私だったら仕事サボって旅行に行きます。私だったら、ですよ。貴方はサボらないでくださいね? そして最後に、名札の着用が義務化されています。これ他の三班も規律に入っているんですが、班長くらいしか守っていないんですよ……貴方にも渡したはずです。棄てていませんよね?」

「も、持っています」

 カサンはありとあらゆるポケットを探り、最後に胸ポケットから小さな名札を取り出し左胸に止めた。

「持っているならつけてほしかったですねぇ……私何のために全員分作ったんでしょう」

「すみません」

「持っているだけで優秀ですよ」

 ふふっと笑って何でもないように規律の説明を進める。硬い指は紙をめくりその出だしを示した。

「次、業務と生活についてです。これも後で目を通してくださいね。四班では全員で同じ仕事をします。例えば……先日から橋の修理をしていましたから、しばらくは修復作業ですね。貴方の働きに期待しています。それと、名札の着用は義務づけられていますが私とゼンは基本的に名前を呼びません。同じく、班員もお互いの名を呼ぶことは基本的にありません。理由は自ずと分かることでしょう」

 喋りながら引き出しから白い紙袋を二つ取り出した。そして上部に指を刺し、人差し指を小刀の形に変えるとスッとスライドして袋の口を切る。指に戻った硬い黒で摘もうとして、はたと手を止めると胸ポケットに仕舞ってあった手袋をつけて中身を取り出した。オレンジ寄りの赤色をした腕章とネクタイだ。

 治安維持部隊では班や役職ごとに色が決まっている。隊長は水色、副隊長が藍色、一班が緑、二班が紫、三班が黄色。そして長は縁に金の刺繍がある。机の上の汚れのないそれにはないが、Kの腕には金色が光っていた。

「四班の腕章とネクタイです。色は朱色。意味は分かりますか?」

 おずおずと受け取り、真っ赤なそれを見ながらカサンは首をかしげた。

「血の色……ですか」

 それを聞いてKは面白そうに声を上げて笑う。変なことを言ったんだと首をすくめ、あわててカサンは別の答えを考えだしたが、Kはそれを制してすぐに正解を言った。

「私は部下に死んで来いなんて言う人に見えているんですかね。……あ、三班の方々には毎回言ってますね。だぁれも死にませんけどねぇ、私の回復完璧なので。違います、朱色は治安維持部隊の建物の色ですよ」

 意外な言葉の数々に戸惑うカサンに、Kは優しく微笑んで続けた。

「四班は外出自由ですし仕事をさぼって遊びに行くのも自由です。他の班に比べて四班は鬼畜な任務が多いですから、ご褒美と言ったところですね。逃げ出さず、サボらないでいただけるととってもありがたいですけどねぇ」

 そこでKは言葉を区切り、厳粛な顔でまっすぐカサンを見つめると言った。

「カサン、これだけは絶対に覚えておきなさい。朱色は貴方の家の場所を示す色です。いつでも、どんな事情があろうと、治安維持部はその制服とネクタイと腕章をした人の帰る場所です」

「家……」

 カサンはそっとその二つを手に取って見つめた。ユニオンで一番目立つ重い空気を纏った威厳の塊。中に入ると打って変わって明るく、家族と居るような安心感を得られる場所の色。二年間慣れ親しんだ、これからも命をかけて守っていきたい家の、活気のあるあか

 意を決したように緑色の腕章を外すと、朱色に付け替えてネクタイも新品の物に取り替えた。

「おや、似合ってますね」

 意外です、と言うように褒めるとカサンはようやく嬉しそうにニッと笑った。つられてKからも笑みがこぼれた。

「さて、説明は以上です。何か質問は」

「ありません」

「ではこの先何かあったらティルに聞いてください。私がいたら私に聞いても構いません。今日は寮の引っ越しをしてからその資料を読み込んでゆっくり休んでください……それと」

 立ち上がり、ドアを開けながらKは付け加えた。

「誕生日前日の夜は私を呼んでください」

 「貴方の成人を祝いますから」そう言っているようだったが、口元が「呼んでくれないと貴方が消えたことすら忘れてしまいますから」という言葉を隠しているようにも思えて唇をきつく結んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る