6

 招かれて入った部屋の中は、面談室と言うにふさわしい質素なものだった。小さな部屋の真ん中にテーブルと二つの椅子、それと背の低い棚がある。そしてどちらの椅子からも見える位置に小窓がひとつある程度。

 Kは部屋の奥の椅子に座ろうとするそぶりを見せたが椅子を引かず、足を一時的に消してから机と椅子の間に滑り込んで腰を下ろした。そして、普通の人間ではあり得ない座り方に目を白黒させているカサンに手前の椅子を勧める。

「おそらく何が何だか分かっていないでしょうから、貴方の置かれた立場についてまとめましょう。まあ言われたところで受け入れられないと思いますが……生活していくうちに分かると思います」

 Kが引き出しから二、三枚紙を出して机の上に広げると、資料を手元に寄せながら隊長の言葉に耳を傾けた。消えると言うことにまだ実感はない。けれど、班長をはじめとする周りの人の態度から、自分の存在が薄れていっていることには言われてみれば納得がいった。

 何度か自分のことを忘れられていたことにモヤモヤしたときは、一班は百人程度居るのだから一人二人名前を覚えていないくらい普通のことだ、と思っていた。

 Kがふと顔を窓の外に向けた。つられてカサンも外を見る。暗い中でたくさんの星が瞬いている。

「ご存じの通り、この地底世界には天井があります。各区一本の巨木が空を支えており、空には大きな魔晶が数百個あります。それが星だと言うことは言うまでもありません。これから話すのはその更に上、天井の上にもうひとつある世界のことです。死神はその世界を地上、対してこちらの世界を地底、と言っていました」

「地上、地底……?」

 カサンはこの話がどこかに書いていないかと紙を両手に一枚ずつ持って目を通したが、地上なんて言葉はどこにもない。ようやく隊長の雑談だと確認すると、紙を置いて目隠しの辺りを見つめ、話を聞く姿勢になった。

「要するに私達が空と思っていた物は実は地上の地面だったと言うことになりますねぇ。私人の足の下で生きてると知った時はショックでしたよ……おや、話が逸れました。私は言いたいのはですね、つまり、この上にも世界があり、そこにも人が住んでいるということです。驚くべきことは、地上に住んでいる人はここ地底に住んでいる人と同一人物であると言うことです。ですからつまり、上にも貴方がいると言うことになります。ここまでご理解頂けましたでしょうか」

「えっと……どこまでが物語ですか」

「空想の話はとっくに終わっていますよ」

 もう一度窓から外を見上げた。現在星刻五時。空にも地面にも蛍のような小さな光がチカチカ瞬いて世界を薄暗く照らしている。昼真っ只中の美しい見慣れた世界だ。

「この上にもうひとつ世界があって、そこにも僕がいる……」

 星を見つめながら隊長の言葉を繰り返して飲み込もうとするが、なかなかしっくりきてくれなかった。

「地上は存在しますよ、証拠がゼンとティルです。あの二人地上に行ったことがあるので、聞けば地上の話を教えてくれますよ。貴方の脳で理解できるかどうかは……ふふ、分かりませんけどねぇ。それとですね、先程同じ人が上にいると言いましたが、それは厳密に言うと未成年だけです」

「えっと……?」

 Kの話は声音を変えないまま脱線しその度真面目な顔して弄ってくるので調子が狂う。慣れている副隊長や班長などはいいが、カサンのようにKと話すことに不慣れな人はいつも気疲れする。

「貴方のような未成年は地底と地上、二つの世界に一人ずつ存在していて、全く同じ外見の人をドッペルゲンガーと呼んでいます。この仕組みは神が作った物らしいですよ。

 神は自分の作ったシステムに則り、成人である十五歳間近の少年少女を選別します。優劣を勝手に決め、劣っている方を消去してもう片方に取り込ませることで成人の数を減らすんですね。例えば私が未成年の時に、神は地上側のドッペルゲンガーを不要と判断し消しました。そして、消したドッペルゲンガーを私に取り込ませた。あれから七年経った今、私のドッペルゲンガーは地上にも地底にも存在しません。優位であった私一人だけがこの世界に生きることを許されたんですね」

 Kは自分が残ったことを誇りに思っているようなことを言うが、セリフとは裏腹に頬杖をついて口を尖らせていた。

「つまり、僕は劣等な方と言うことですか? どうしてですか」

 少年はあからさまに落ち込んでしまった。当然「お前は劣っている」と言われたら傷つくに決まっている。

「知りません」

 Kは弁解することもせず思ったままをストレートに答える。なにかしら理由がほしかったカサンはぽかんと口を開けて止まってしまった。

「そんな顔されても、私は神様ではないので分かりませんよ」

「僕何か悪いことをしたんでしょうか。それとも権力が上手くないからダメなんですか」

 俯いてぼそぼそと肩をすくめて質問を投げ続ける。なにか悪い事をしたならそれを直せば隊長のよく分からない脅しから逃げられるかもしれないし、と逃げようとするが、Kは何もアドバイスしてくれなかった。否、出来なかった。

「仰ることは分かりますよ、神様とかいう独裁者が勝手に選別対象を選んでいるんですから。でも私が知る限り貴方に非はありません」

 神様が消えろと言ったから消える、そんな理不尽なことがあってたまるか。せめて何か納得できる理由があれば良いのに隊長は冷たく言い放つだけで励ましてくれさえしない。

 KもKで、何度も同じ質問をするカサンに同じ答えを返さなければならず、だんだん受け答えが雑になっていた。

「おかしいじゃないですかそんなの」

「ええ。そうですねぇ。もういいですか、説明を続けますよ。先程言ったとおり神は人を消すときに他の人に影響がないように記憶、存在、功績、その他、その人がいたという証拠全てを消します。もしかしたら私には兄が居たかも知れませんし、貴方には姉が居たかも知れません。しかし神が証拠を綺麗さっぱり消してしまったので知るよしもないですね。ですから貴方もこれからだんだんと地底から消されていきます。おそらく最初に消えるのは人々の記憶の中の貴方でしょう。そして私物と貴方自身が曖昧になり、半年後の成人の日には全てが消えてしまいます」

 カサンは言われたことを小さな頭で整理するのに必死で相づちすら打てなかった。僕は、消える。僕が生きた十五年はなかったことにされる。友人も、家族も、僕のことを綺麗さっぱり忘れてしまう。俯いたままその言葉を反芻する。

 まだ実感がなかったのかもしれないし、少しだけ理解したのかもしれない。どちらにせよ、カサンの脳には「なぜ僕が」という疑問でいっぱいだった。

「何故ですか」

 何度聞いたところで帰ってくる答えは「私に聞かないでください」「私神ではないので」「知りませんよ」という冷たいものだった。

「……次行きますよ。今日から貴方が配属される四班は各班から人員を選抜し作った特殊な部隊です。要するに貴方と同じ境遇の人が集められてできた部屋です。ですから、四班の皆さんは全員半年以内に……」

 消えてしまう。そう口にすることはなく、口を閉ざしてしまった。不思議に思ったカサンが顔を上げると、代わりにKの口元が悔しそうに折れ曲がっている。

「隊長……」

 消えることについて淡々と説明していたのは、もしかしたら、そうしないと声が震えてしまうからかもしれない、と今更気がついた。預かった命がひとつずつ知らぬ間に神に奪われていく。覚えていることさえ叶わず、大切な人たちを取り返す術も見つからない。

 カサンはKを質問攻めにしたことを後悔した。自分のことばかりで人の気持ちまで考えが至らなかった。Kは他人のことなどどうでもいいのだろうと思っていたが、むしろ真逆なのだと気が付かなかった。

 ふと入隊したときのことを思い出す。心臓に手を当て、隊長に命を預けると誓ったあの日を。社会の事なんて何にも分からない餓鬼なのに、一人前の人間のように真剣に応えてくれた。何人もそうやって誓いを交わしてきたのだろう。目を見て、向き合って、一つ一つ丁寧に命を腕に抱えていく。

 そうしてできた宝物が少しずつ奪われて、消えていく。辛いのはKも同じだった。

「……特殊な環境ですからかかるストレスが大きいとは思いますが、ずっと一班にいるよりはずっと居心地が良いでしょう。そうであることを願って設立したのが四班ですからね。さて、治安維持部隊の組織図について説明します。まあ分かっていると思いますけどね」


 Kはようやく本題に入れたと息をつき、背もたれに寄りかかった。メカニズムはほとんど知られていないが、未成年の半分が消えることは雑学の中では有名な話なのだと奥歯を噛みしめて言った。

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