5
しばらくKは雑談ばかりした。足音が二つ廊下を叩き、一班を去っていく。
カサンは一班にしか用事がなかったためその更に奥には立ち入ったことがなく、堂々と歩く隊長の後ろをおどおどとついて行った。
隣の二班の事務所を過ぎ、練習所を過ぎ、休憩所を通り過ぎる。二班からは、やや陰湿ではあるものの何やら楽しそうな声が聞こえていた。ここは敵を陥れたり弱体化させたりするのが得意な人が集まっているのだと、前を行く男は言った。
二班の敷地を素通りし三班の部屋の前を歩く。三班からは戦闘狂の集まりにふさわしい派手な音がした。
「相変わらずここは昼間から元気ですねえ」
「うわっ」
ガシャンと大きな音がして、怒号が廊下を突き抜けていった。隊長はガラスの割れる音にも動じる様子がない。
「おや、まだ割れる窓があったんですね」
「えっ」
治安維持部には三班までしかない。つまり二班の前を通り過ぎた時点で三班に配属されることが決まったはずなのだが、隊長はその三班すら素通りした。
「あの、どこに……」
「さて、貴方の配属先は通称四班です」
「よん?」
「リックから何も聞いていなかったんですか?」
少し振り向きながら廊下の奥へ歩いていく。
「班長は隊長について行けと仰いました」
「はぁ、ちゃんと仕事してくださいよ……」
Kはここでセドリックにも仕事を押しつけられたことに気がついた。「この件の説明はKちゃんの仕事よぉ」と言うセドリックの顔が想像できる。確かにそうだが、何も説明しないのは怠慢というものだ。覚えていたら叱っておこうと右手をギュッと握った。
廊下の一番奥にある三班の休憩所の正面には上のフロアへ続く階段があった。二階は重役の部屋や作戦会議室など、一般隊員は立ち入りがたい少し怖いエリアが密集している。
Kがこっちですよ、と階段を先導する。二階に行くということに怖じ気づいて足を止めたがKはどんどん先に行ってしまった。
「え、二階ですか」
「そうですが、どうかしましたか」
当たり前ですよ、何言ってるんですか早く来なさい。そんなセリフが聞こえて来そうで怖くなり、置いていかれないよう慌てて階段を登った。
「貴方が転属になった理由はもうおわかりで……はないですね、その様子では。恐らく班長は自分の口から言いたくなかったんでしょう」
カサンは上を行く背中に無言で頷いた。
班長からは特に詳しい話をされなかった。ただ「明日から他の班に移ることになったわ、頑張りなさいね」と転属届にサインをしろと言われただけだ。
そんな冷たい人ではなかったはずだ、と昨日は少しもやもやしながらベッドに入った。
「転属理由は……ゼンだったらこう言うでしょう。『君は消える』全く、ゼンは直球すぎる……」
「消える? どういうことですか?」
足を止めて首をかしげ、Kとの距離が離れたことに気がつくとまた慌てて階段を上った。
「おや、ピンと来てない? そうですか……では、神に消される人の物語はご存じですか」
「はい」
それは地底では有名で、残酷な御伽噺だ。
村の子供達は皆は親の手伝いや勉強などをしていたのに、ある子供だけはずっと遊んで過ごしていた。
その子は嫌なことを進んでやる他の子達を軽蔑していた。好きなことだけの日々は本当に幸せだ。
しかし数年経ったある日、その子は神様に「何もできない人はこの村にはいらないよ」と人々の記憶から消されてしまう。居場所が無くなったその子は泣きながら神に謝り、ようやく皆の役に立つことを始めた。
しかし、その子は許されることなく消えていなくなってしまうのだ。そして、その子がいない世界がいつも通り進んでいく。
だから遊んでばかりじゃダメだよ、ちゃんとなさいという教訓がある。子供目線では、この救いのない話は勉強や仕事をすることを強制するための脅し文句だ。大人には受け入れられるようだが、この話を好きになる子供は居なかった。
「要するに僕が仕事をせずサボっていたから出ていけと言うことですか、でも僕は毎日定時には来て、権力の練習をして、担当地域の……」
「貴方が真面目な方で嬉しいです」
「では隊長の妄想に付き合えと言うことですか」
絵本の話をしては話を逸らしなかなか本題に入らない隊長に腹を立て、言ってからはっと気がついて謝った。普段のカサンはあまり怒らない方だ。しかし隊長の冷たくてわざとらしい遠回りな物言いは、温和なカサンさえ苛立つほどだった。
Kは階段を上り終えると振り向いて言い放った。
「カサン? あの物語はフィクションではありませんよ」
「馬鹿馬鹿しい、班長は僕のこと忘れたりしません!」
あれが現実だというなら、僕は神から不要と言われて人に忘れられるゴミということか! とかぶせて噛み付く。すると、Kはカサンの気持ちなんて考えていないかのように笑った。
「私はリックが貴方のこと忘れているなんて一言も言ってませんよねぇ」
はっと顔を上げたカサンの目には涙が浮かんでいた。
「心当たりがあるんですね」
唇を震わせたのち小さく首を振った。横に振りたかったが、そちらには動かなかった。優しくて真面目で感性豊かな人が集められた一班の元班員はKが言葉を発するたび心に傷を負っていく。
Kはゆっくりと告げた。この世界には成人を迎えることができない子供が半分もいる。戦争や病で命を落とすのではない。神に選別され、世界から文字通り消されてしまうのだ。その肉体が消えるだけではない。その人に関する記憶やそれにまつわる物も共に消えてしまう。まるで「そんな人は元からこの世界に存在しなかった」と言うように綺麗さっぱり消え去ってしまう。
それ故に大量に人が消えているという事実を認識していてもそれほど深刻に考えている人はいない。例え仲の良い友人や家族が消えてしまっても、存在していたと言うことすら覚えていないのだから無理もない。
「貴方があの物語をフィクションだと思っているとは思いませんでした」
「常識なんですか」
「ええ」
「僕は消えるんですか」
「先程からそう言ってます」
一歩近づいて前歯をぎっと突き出し、敵に飛びかかろうとするように声を張り上げる。
「皆僕のこと忘れるんですか」
「残念ながら」
「隊長もですか、隊長は覚えててくれますよね、ねえ隊長は!」
「黙りなさい!」
ひゅっと息を飲んだ。
「それが隊長の責務です」
質問攻めにするカサンに、Kは拳を心臓に当てて声を大にして言った。約束や誓いを立てるとき、本気だということを示すときに多くの人がこの姿勢を取る。
「隊長の覚悟とは、全ての人を認めること、全ての命を背負うことにあります。入隊した瞬間から正式に隊から退く日まで、部下の命はひとり残らず全て私のものです。ですから、私は全て記憶し、護らなければならない!」
Kはセリフを右手を下ろして笑ってみせた。カサンは真剣な隊長に気圧され、階段の途中で半歩下がる。Kがカサンの後ろに黒い壁を作ったので転げ落ちることはなかった。
「……隊長、僕は要らない人なんですか」
不安そうに上を見上げる。どうか僕の居場所を下さい、と言うように、今にも泣きそうな目で。
「いいえ、不要な人などうちの隊にはひとりもいません。命の価値を決めるのは神ではなく人間ですから。……さあ早く階段を上がって来てください。四班について説明します」
Kは斜め右にある戸を開けて手招きした。
チョコレートのような赤茶の扉の上には「直属特別活動部」扉には「四班面談室」と書かれていた。
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