3
一階に降りてすぐ正面にある一班の事務所をそうっと覗き、音を出さずにドアを引いて部屋に滑り込む。
中は広く机がいくつか並べてあり、壁にはユニオン全域の地図や大まかなタスクリストなどが貼られていた。窓からは訓練所があり、外で権力の練習をしている隊員の姿が見える。Kはゆっくり部屋を見渡し、隊長が突然やってきたことに気がついた数人に漆黒の手でしぃ、と合図をした。そして裾や袖を引っかけないようにゆっくり壁際を移動し、集中して書類に向かっている赤髪の後ろにスタンバイする。
「こぉんにちはぁー。ふふっ、こんにちはセドリック班長」
山のような資料のラストスパートにさしかかり周りの情報をシャットアウトしていたセドリックの耳元で突然怪しくささやく。
「うわああいつからいたのKちゃん!」
セドリックは仰天して女とは思えぬ野太い声で悲鳴を上げ書類を宙にぶん投げた。そして彼女の悲鳴に驚愕した隊員が数名、期待通りびっくりして肩を震わせる。Kは目の前を泳ぐ紙を影で摘まみながらふふふ、と楽しそうに笑った。
「して、カサンは元気ですか」
リックといっしょに書類を拾い上げながら、彼女にしか聞こえないように声を潜めて本題に入る。リックは一瞬何のことか分からない、と首をかしげた。
「……あ、ああ、カサンならあそこにいるわよ」
数秒後思い出したようにそっと指さした先の訓練所では、乾きかけの草のような淡い緑髪の少年が、一回り体格の良い黒髪の先輩に回復の権力の使い方を教わっていた。
わざとナイフで指を切った先輩の傷口を見つめ、稲穂のような綺麗な金色の目を細め傷が治るようにと祈る。紫色のかすかな光が胸に当てた右手から切った指に流れ込み、小さな傷が塞がっていった。先輩が自分の目をさして何かを言い、もう一度小刀で左手の人差し指を軽く切る。カサンは目を開いてもう一度右手を胸に当てる。今度は何も起こらなかった。必死に右手を握りしめるが、やはり何も起こらなかった。
「……」
リックは全員把握しているはずの班員の事が一瞬とはいえ思い出せなかったことに驚いていた。それよりもショックを受けていたのは隊長だ。
彼が感じていた悪い予感は的中した。言葉を失って呆然とその場に静止している。
練習場を見つめ急に黙り込んだ隊長と班長を見た班員は、少し離れたところで二人と目線の先とを不安そうに見てはひそひそと二人にしか分からない原因を探っていた。
「リック、カサンは一班から転属させます。今日中に転属届を書いてティルまで。残業はしないように。ではお願いしまぁす」
「今何時だと思ってんのよ!」
仮面を道化師のものに付け替えたようにいひひ、と笑う浮遊生物と急に大きな声を上げる班長を周りの数人が一斉に見た。
「予定表を見てください、ティルが精一杯頑張って作ってくれたんですよ」
「どの口が! 四時間前の予定よKちゃんが来るのは!」
もう少しで全部終わらせて定時帰りできそうだったのに、と文句をたれるリックにKは再度「よろしくお願いしまーす」と加えて窓から飛び去ってしまう。
「あんの隊長!」
「……班長、何かお手伝いましょうか」
撃沈したセドリックに水色のポニーテールが声をかけた。まだ成人していない、つい二年前に部隊に入ったばかりの遊びたい盛りだ。
「ありがとう、でも大丈夫よ。あんた達はさっさと帰りなさい」
「……わかりました。頑張ってくださいセドリック班長」
「はぁい。そうだタリアード、あんたカサンと仲いいわよね」
「? はい、同期ですから」
よかった、とリックは優しく笑って少女に「仕事が終わったら来るように伝えて」と机の引き出しから二人分の飴を出して渡した。少女は目を輝かせてひとつを口に放り込み、ぺこりと頭を下げるとまっすぐカサンという少年の元に駆けて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます