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Kは前半の予定を完璧に片付け、昼食を食べて後半戦に取り掛かろうとしていた。他人に気持ちを悟られないようにいつも通り軽快な口笛を吹きながら廊下を進む。そして、部屋に戻り後半の予定を確認して、先に終わらせても問題の無い課題を先に片付けてしまうことにした。
Kはティルが頑張って組んだスケジュールだろうが、文句を言われなければなんら問題は無いと思っている。
しかし、そうやって後ろへ後ろへとずらし見ないようにしていた赤いマーカーのついた予定も、他の仕事をすっかり片付けてしまうと流石にやらざるを得なくなる。
決してサボって良い仕事ではないことは分かっていた。しかし今日はどうしても一班に行きたくない。
がらんとした人気の無い廊下でふう、とため息をついた。
「わっ!」
人がいないと思っていたと思っていたのに、あろうことか前から額をちょん、と押され、軽く後ろによろめく。一瞬何が起こったのか分からなかったようで口先を丸く開けた。
「ゼン! どうしてここに」
「問題でも?」
顔を上げると背の高い黒髪の、顔に四本の大きな傷を持った青年が見下ろしていた。今日は腰まである髪を縛らず自然に垂らしている。彼はKが一番の信頼を寄せている部下のひとり、副隊長のゼンだ。Kは目だが、ゼンは鼻から下を包帯で覆っている。目は開かないため、表情の判別は困難を極める、はずだがゼンがびくりと身体を震わせたKのことを笑っているのは明らかだ。怪我さえなければ表情豊かだったのだろう。
数年前、酷い怪我を負い生死の境をさまよったゼンに手足を移植した。Kに手足がないのはそういう理由だ。Kのおかげで今のゼンがあるのでゼンはKに対して隊長、副隊長の域を超えた忠誠心を持っている。しかし、同時にKがそう望んだために古くからの友人のようにも接していた。
「それに、足はある。君が気が付かなかったんだろ」
「その足元々私の物だから」
「……君の体には消音性があるのか」
「そーゆこと」
Kは足がない、つまり足音がない。ゼンは「私は君と違って無音では行動できない」と言いたいのだ。気丈に振る舞っていたが、音に気がつかないほどKは思い詰めていたことに気づかされた。
それを茶化し誤魔化そうとするが、親友は見過ごしてはくれなかった。
「どうした」
「何が?」
ゼンがふん、とため息をつく。分かりきった余計なことは喋りたくないのだ、顔に残る神罰が痛むから。
こうなったら最後、どんな小さな事でも言わない限り離してくれない。「なんでもない」では解放してくれそうになかった。Kは何も言わず険しい顔をする副隊長に折れ、口を曲げて吐露する。
「あー……朱増えるかも」
「……」
朱、と聞くとゼンも難しい顔をした。部下の命を預かる身としてはこの赤いマーカーの引かれた予定が最も精神に悪い。全て片付いてしまえばなんてことはないはずなのに、いつまでも心に変な違和感を残していく。そして、その違和感は意識すれば罪悪感に発展し、急激な無力感が押し寄せてくる。
それは隊長のみに限った話ではない。現に、二人とも過去の赤いマーカーを片付けた後は決まって唇を噛んでいた。
Kは沈んだ友人を励まそうとしたのか、そんなことはつゆほども考えていないでただ弄りたかったのか、ぱっと顔を上げ眉をひそめるゼンに意地悪な顔を向ける。
「何悲しそうな顔してるの、まだ朱行きが決まったわけじゃないよ。それとも仕事交換してくれる?」
「阿呆、隊長の仕事だ」
ちゃっかり仕事を押しつけようとしたKの肩をポンと叩き、頑張れ、とつぶやくと自分の持ち場に戻って行った。
「意地悪」
Kは肩の力を抜き、ふっと息を吐くと口角をちょっと上げて階段を下っていった。
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