朱色の風
コルヴス
朱色の風
1
光のない地底世界。北方に位置するは二区、通称ユニオン・ユースティティア。その南部に常闇の中でも目立つ朱色の建物が鎮座している。それはユニオンの端からでもはっきり見えるほど大きく、目を引く。それだけの存在感を放っているのだから、その真っ赤な建物を知らないユニオンの民はいないであろう。
軽々しく立ち入ることを許さぬ厳格な空気を感じさせる立派な建物は、ユニオンになくてはならない重要な意味を持っていた。
地底で立派な建物といえば区役所が上がる。ではその赤い建物が区役所なのかというと、そうでは無い。ユニオンは他の区と違い、一番立派な建物が区役所ではないという少し変わった特徴を持っていた。ちなみに、区役所はその隣の、民家と大差ない程ショボい直方体だ。
役所の存在感を無くすほど大きな建物の正面口に、背丈を遥か超える朱色の門がある。それをくぐると、立派な玄関が巨大な魔物のように口を開けて待っている。覚悟あるもののみ中に入れと言わんばかりの威圧感だ。勇気を持って顔をぐいっと上に向けるとその社の正体が分かるだろう。
『治安維持部隊 本部』
大きな木の看板にはそう書かれていた。
治安維持部隊。それはユニオンの土地と民を外敵から守るための自治組織。もともと有志が勝手に集い結成した荒くれ集団だったが、数年前に区長が替わり、同時に隊長が替わったことで正式にユニオンの公認組織となった。もっとも、区長も隊長も同一人物なのだから“公認組織となった”というよりは“役所を乗っ取った”が正しいのだが。
正門から見える一番大きな建物が本部だ。その二階、階段上がって左の廊下の奥にある部屋からコーヒーの香りが漂う。部隊の隊長であるKはまだ眠たい脳を無理矢理起こしながら仕事モードに入っていた。
Kは建物の圧迫感とは正反対にヘラヘラした笑みを絶やさない。リーダーと言うよりはむしろトリックスターと言う方が的を射ている、というのが誰もが抱く第一印象だ。長めの金髪から覗く水色の目隠しと、左頬に入った縦三本のペイントが口元に視線を誘導する。だから余計にいやに口角が上がっているのが目につくのだ。何を考えているのか分かったものじゃない。
コンコンコンと三回ノックがあり、少年が隊長室に入ってきた。少年は黄緑色の髪を後ろで雑に結わえている。表情は固く、一切変化しないために年齢や性格を推量ることが難しい。それが、部隊の情報管理を任されている、ティルだ。
ティルはドアを閉め、ビシッと完璧な敬礼をした。そしてKの座っている机に今日一日の隊長のスケジュール表を置いてそれを諳んじた。
Kはティルの言葉を右から左に聞き流しながら紙に顔を向ける。と、頭から机にたれた影が収束し、黒い物体が立体的に浮き上がった。塊は水のような流動性を持っていたが、釘の形に変化すると急に硬くなった。釘は意志を持ったかのように宿主の元を離れて紙を貫く。そして持ち上げた紙ごと壁のコルクボードに突き刺さった。
遠くからでも分かるほどみっちり、分刻みで詰まった予定を見たKの口元はヒクヒクと痙攣していた。
「……この精密さにはいつも驚かされますよ、ほんっとうに」
「ありがとうございます!」
褒められたと解釈して礼を言っているにも関わらず、敬礼する少年にこれといった表情はない。
Kは勘違いして感謝の言葉を述べるティルに乾いた笑いを浮かべた。
「ティル、表情から気持ちを汲めるようになりなさい」
「努力します」
指導されていても依然として表情は変わらない。
ティルには感情がない。不運にも数年前に事故に遭い、神に奪われてしまったのだ。一度神に盗られたものを取り返す術は今のところ存在しない。
そのため仕方のないことであるが、人を弄るのが好きなKにとっては、ティルのことをいくら弄っても何も反応されないのが面白くなかった。近くにおいて貰った紙をわざわざKから離れたコルクボードに貼り付けたのだって嫌がらせだ。コルクボードにはったときは手元に持っていき、机に置かれたときはコルクに貼る。けれど、一度たりとも嫌な顔も、苦笑すらされたことがない。
Kはコーヒーを置き、釘と同じように影でできた手を仕舞って椅子から浮き上がる。眠たそうに中身のないズボンの裾を引きずりながら飛行し、文字でびっしり埋まった紙の前に止まった。怠そうに首を振り、腕の代わりに紙をとめていた釘を右手の骨の形に変える。
ひらり落ちた紙をキャッチし顔の前に浮かべて、ようやくスケジュールに目を通した。
ふと気になったことがあったのか、影で今度は左手の骨格を作り出し、親指で眼帯をちょっとめくった。目を使わなくても権力を使えば物が見えるが、色は肉眼でないと分からない。
色を確認したKは嫌な予感が当たったと舌を出した。後半の予定に不吉な赤いマーカーが引かれていた。
〈一班カサン 確認〉
「そうですか……」
眼帯の下からティルの顔をチラリと見やる。彼が予定を書き間違えるわけがない。つまりこれは今日絶対にやらなければならないタスクだ。唇をとがらせ頬を膨らませるが、ふてくされる隊長にねぎらいの言葉一つすら無い。Kはこれ以上ティルを弄る気も湧かないと言わんばかりの浮かない顔で、ふらふらと部屋から出て行った。
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