第390話悪魔編・偽その79

 俺は今、悪夢でも見ているのか?

 そう思うほどに目の前で起こっている状況に理解が追いつかなかった。

 銀髪の髪を靡かせる女。彼女の名前はリリス。かつてこの街、来遊市に突然現れた悪魔だ。

 悪魔とは本来であれば、召喚に応じて魔界から堕とされるらしい。

 けれど彼女は違った。ある時突然この現実世界へと堕とされたのだという。その理由も原因も不明だった。

 ただリリスは、せっかくこの現実世界に来たのなら楽しんでやろうと考えた。ある程度楽しんだらエクソシストに倒されることを想定して。

 そう。この悪魔は、悪魔だというのに人間に害を与えなかった。むしろ迷惑をかけないように、勝手に倒されるつもりだったんだ。

 俺はそんな彼女と出会った。まるで運命の出会いかのように、俺にとっては忘れられない出会いとなった。

 だからだろうか。勝手に消えようとする彼女が許せなかった。だから俺は勝手に彼女を助けることにした。

 それが俺のやりたいことだったから。

 悪魔とか関係ない。

 ただ俺は、リリスを助けたいから助ける。それだけのことだった。

 そんな彼女は紆余曲折あり、付喪神へと変化した。それが常に俺の首元にいたヘッドホンの正体。

 ヘッドホンは悪魔だったころの記憶を忘れており、俺は彼女がその記憶を思い出せないようにしていた。万が一記憶が戻り、悪魔として覚醒してしまったら意味がないからだ。彼女はそれを望んでいない。

 ヘッドホンは、悪魔リリスの記憶を忘れている。

 それが当たり前の事実であり、当然の事項だった。


「よぉ。アンタはよく頑張ったよ。だからそこで大人しくしてな」


 だというのに、なぜ銀髪の髪を靡かせる女は、さも当然のように存在しているのだろうか?


「な……なん、なん……で? なんで、おまえ……その、姿に……? いや、まさか……ヘッドホンが壊れたから……? い、いや……そんな」


 確かにヘッドホンは壊された。とはいえ、それが原因で悪魔の記憶が戻るなんてことあるのか?

 それにヘッドホンが壊れたとしても、付喪神としての彼女はまだ健在だった。であれば壊れたことは原因じゃない。

 だとすれば……何が? 何が原因で彼女は再び悪魔へと戻ってしまったんだ?

 いや、違う。そんなことじゃない。

 今気にするのはそこじゃない!

 彼女が悪魔の姿に戻ったということは……誰も望んでいない展開が訪れてしまう。俺が富士見以外の人間に決して話さなかった……そうまでして守り抜こうとした存在が……いなくなってしまうのを恐れていた。


「何ボケたツラしてんだ。アタシの顔を見るのは数ヶ月ぶりだからな。案外こんな顔だったな〜なんて思ってんじゃね〜の?」


 リリスはかつて浮かべた笑顔を余すことなく見せてきた。その表情に迷いはない。まるで、すべてわかっていたかのように。


「……どういうこと? あなたは……どこからどう見ても悪魔……だよね? なんで? 理解ができないよ。それにその声……」


 リリスの正面に立つ少女。彼女もまたつい先ほどリリスと同じ種族に変化したばかりだ。

 そんな彼女はリリスをジッと観察した後、少し離れた場所に落ちている壊れたヘッドホンに目を向けた。


「さっきの付喪神と同じ声……ってことはあの付喪神は悪魔だったってこと? いや、そんなこと……ありえない。なんだって悪魔が付喪神なんかに……普通に考えたらそんなこと……い、いや……待って。ちょっと待ってよ。ま、まさか……」


 悪魔になった彼女は自身の中にある知識だけで結論を急ぐ。そしてその回答は――。


「悪魔との契約。それなら納得がいく。ちょっと……それってさ。つまり……つまり魁斗君は悪魔と契約して……その悪魔を付喪神に変えたって、こと!?」


「へぇ。さすがそれなりに知識はあるんだな。そこだけはアタシもお前を認めてやるよ」


 リリスは腕を組みながら、そして見下すように正面の悪魔を見た。


「は、ははっ。何それ……魁斗君……君、悪魔を助けるどころか、契約までしていたんだね……は、はは。もう笑うしかないよ。うん、理解したよ。魁斗君と姫蓮ちゃんの言う通りだったよ。ここにいる中で誰よりも頭がおかしいのは魁斗君だってことが。だって普通、人類の敵である悪魔を助けるために契約なんてするわけがないからね」


「ああ。認めたくはないがそれに関してはアタシも同意だ。悪魔なんか助けようとするやつが……普通なわけないんだよ」


 それはもう……言われ慣れた。


「それにしても……」


 悪魔の少女は、どこか悔しそうにリリスを睨んだ。


「まさか……まさかワタシの1番欲しいモノが……すぐそばにあったなんて。あなたさえ……あなたさえいれば、ワタシはこんな計画なんて練る必要全くなかったんだから!! ロカちゃんを使うこともなかったし、智奈ちゃんや紅羽ちゃんを利用する必要もなかった。ぜーんぶやる必要のなかったことなんだよ。あなたさえ最初からワタシの元にいてくれればね」


「それはなんだ? つまりアタシと契約して、自身を悪魔にしてもらうつもりだったと? そうすれば他の人間や幽霊を利用することはなかったと?」


 悪魔の少女は無言でうなづいた。

 確かに彼女からすれば、悪魔であるリリスの存在さえ知っていれば喉から手が出るほど欲しかっただろう。

 自身が悪魔になりたいというのであれば、悪魔と契約して願いを叶える。それが1番手っ取り早い方法だからだ。

 しかしそれには一つの弊害があった。

 悪魔と契約するということは、悪魔をまず召喚する必要がある。

 悪魔を召喚するには、人を殺さなければならない。

 人を殺す行為は、人間である彼女には許されていない行為なので、行うことができない。

 では、もしも最初から悪魔自体が存在していたのだとしたら? それは彼女にとって、1番欲しかった存在なのかもしれない。


「ははっ。確かにな。アタシと契約すれば手っ取り早く悪魔になれただろうな。そんな前例は知らんが、確かになれると思うぞ」


 リリスはまるでバカにしているかのように、小さく笑った。


「だとしても、所詮は出来損ないの偽者の悪魔になるだけだろうな」


 悪魔の少女の眉がぴくりと動いた。


「確かに人間は悪魔になれる。けどな、なれるからといって、完全に同一の存在になれるわけじゃないんだよ。所詮は偽者。お前はアタシのような本物の悪魔には、一生なれっこないんだよ」


 確かに理屈は理解できる。彼女は元人間であり、本物の悪魔になったとは言えないかもしれない。

 けど、それが一体なんなんだって話になる。


「それが……それが何か問題でもあるのかな? ワタシは偽物だろうが悪魔になった。それだけは事実。例えあなたがどう言おうが、ワタシは悪魔になった! それだけで十分! 人間のルールが適応されない存在になれた。それだけで十分なんだよ!!」


 結局、彼女が気にしているのはそれだけだった。

 肩書は悪魔じゃなくてもいいんだ。人間のルールが適応されない存在であれば、なんでもいい。例えそれが偽者の悪魔だろうがなんだろうが。

 人間じゃなくなれば、それでいいと思っている。それが元人間だった少女の考えだった。


「アタシはさっきお前が言った言葉。ハッキリと覚えてるぞ。『私は偽物でありたいとは思わない』ってな」


「……それが何? それは人間であった時のワタシの話で……」


「いいや。お前は悪魔になることで本物になれると言ったな? 違うんだよ。そもそもその姿自体がもう偽者なんだよ。わからないなら教えてやるよ。アタシは本物の悪魔だからな。お前は正真正銘偽者だ」


 銀髪の悪魔は言葉を続ける。


「やめて」


「結局な、お前の本当の姿ってやつはな――」


「やめて!! お願いだから本当にやめて!!!!」


 リリスは一瞬だけ口を閉じると、ニヤリと笑みを浮かべ再び口を開いた。


「人間、なんだよ」


 人間。それが俺たちの姿。彼女の……風香先輩の本当の姿なんだ。

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