第388話悪魔編・偽その77

 それは一瞬の出来事だった。

 風香先輩を抱きしめる形で押さえつける富士見。そんな富士見が一瞬のうちに弾き飛ばされた。文字通り弾き飛ばされたのだ。

 俺も後一歩で風香先輩に触れるところまで来ていた。だからか富士見と同じく、数メートル先まで吹き飛ばされてしまった。

 何が起きた? そんな疑問だけが脳内を駆け巡った。

 目の前には先ほどと同じ姿のままである風香先輩。その姿形は何一つとして変わっていない。

 変わっていることがあるとすれば、彼女の体を纏うオーラのようなもの……つまりは霊力が濃くなっているような気がした。


「私の夢を……こんなところで……終わらせるわけにはいかないんだよ」


 風香先輩は力強く俺たちを睨んだ。それと同時に彼女が纏う霊力はさらに強まっていく。


「君たちの言う通りだよ。私は悪魔になって人を殺したいし、やっと出来た友達と一緒にいられなくなることも残念だと思ってる。でもね……私はおかしな人間だから。後者じゃなくて前者しか選べない。それは私が生まれた時から決まっていること。これはね……もう決定事項なんだ」


 さも当然のように告げる。

 ジリジリとその力を強めていく。


「例えどれだけ君たちが私のことを想おうが……私の願いを変えることは出来ない。これも……私がやりたいことの一つなんだから。絶対に……邪魔はさせない!」


 風香先輩の意思は固い。俺たちが何を言おうが、どんな行動をしようが、変わらない。

 風香先輩は、悪魔となって人を殺す。

 ただその目的のために、彼女は存在していた。


「それは……俺も同じだ」


 俺は自身の手のひらに目を向けた。そこに宿る力。ゴーストドレイン。その力を持ってして、彼女を止める必要がある。


「俺の目的はあなたを止めること。ただそれだけのことでそれ以上のことはない。だから……絶対に邪魔させてもらう」


 さっきからずっと、体が重い。幽霊に取り憑かれているような感覚とは違う。けれどどこか似たような感覚だ。

 そんな感覚を覚えているせいか、焦点が合わない。こんな調子じゃ風香先輩を捕まえることなんてできない。

 けれど……どういうわけか、俺は無意識のうちに右手を広げて、風香先輩に向けていた。


「終わりだよ。魁斗君。君はここでころ――」


 風香先輩の髪の毛、それらが再び凶器の形となる。

 一斉に襲いかかってくる。そう思っていたのだが、何故かそんなことは起こらず、彼女はまるで金縛りにあったかのようにその場で固まってしまった。


「お願い……この人を……」


 どこからか声がする。脳に直接響く声。しかしその声はハッキリと耳に残った。どこか幼い少女のような声だが、何故かその声の主を少女だとは思えなかった。


「怪奇谷君。この声は……」


 声は富士見にも届いていた。つまりは俺個人に取り憑いた幽霊などではなく、どこか別の場所から声をかけている存在がいるということになる。


「あなたたちならこの人を止めれる……だからお願い。この人を止めてあげて。もうこれ以上……苦しい思いを……させないで……」


 俺は無言で富士見を見つめた。富士見は体が思うように動かないのか、その場で倒れたままだ。


「なに……を。やめ、てよ。まだ私の中に……もう、いい。もういいでしょ! 私は……私は悪魔に、なるんだ!!」


「よくない……あなたは……本当にやりたいことは……人を殺すことなんかよりもやりたいのは……」


 声の主はその覇気がどんどん失われていく。もう、限界が近いのだろう。

 それでも話すことをやめない。最期の瞬間まで、彼女は語り続けた。


「ただ、友達と……一緒に……楽しく、笑って過ごしたいんだ」


「やめて!!!!!! 私は!! そんなこと、何一つ望んでなんかいないんだよっ!!!!」


 引きちぎれそうな声。風香先輩の声で、全てかき消された。もう彼女を止める者は存在しない。

 けれど、その一瞬の隙が俺たちに味方した。


「ありがとうな、名無しの怨霊」


 ふと、そんなことを告げていた。

 それと同時に、俺の右手に異常が起きていた。

 風香先輩の周りを纏う霊力。それらをまるで掃除機のように吸収していったのだ。それは止まることなく、彼女の体から霊力を次第に奪い始めた。

 俺の持つ特殊能力、ゴーストドレイン。幽霊を吸収する能力であり、厳密に言うと霊力を吸収する力とも言えるらしい。

 その発動条件。それは対象に触れること。この場合で言うと、風香先輩に直接触れることで彼女の霊力を吸収出来る。

 一見すれば簡単な条件に感じる。けれどそれは彼女に触れることが出来ればの話だ。触れられなければ力を使うことができない。

 だというのに、俺は今彼女に触れることなくその力を使い始めた。まるで掃除機のように、俺の右手に霊力が吸収され続けている。


「なに……これ!! なんで、なんでっ!! こんな力……聞いてないよ!?」


 風香先輩は状況が把握できていないのか、懸念の表情を浮かべている。

 全く同意見だ。俺すら理解していない。この力の原理というものをそもそも把握出来ていなかったのか? それとも何か……別の要因があるのか……?

 ただ感じていることとすれば、さっきからずっと妙に体が重いということ。

 まるで命そのものが吸い取られているような感覚。

 こんな感覚。味わったことない。ない、はずだ。

 だというのに。どうしてだろうか?

 俺はこの感覚を知っている気がするし、知っているという事実に恐怖した。

 決して気付いてはいけない。そんな気がしてしまって。


「怪奇谷君!! 風香さんの髪が!」


 しかしそんな思考とは裏腹に、目の前ではさらなる変化が訪れていた。

 風香先輩の髪の毛。それは真っ白に染まっていたのだが、徐々に黒く戻りつつあった。さらには凶器の形も、次々と元に戻り始めていた。


「ああ! どうやら占い師の言った通りだ。今なら風香先輩を元の人間に戻せる!」


 確定情報ではなかったが、これでハッキリとした。

 このままいけば、風香先輩を元の人間に戻せる。


「やだ……嫌だ! 嫌だぁ!! 私は……悪魔になるんだ! なんで、なんで!! ここまで頑張ったのに……どうして神さまは……世界は私の味方をしてくれないのぉ!!!!」


 もはやそれは、泣き喚く子供のようだった。側から見れば、まるで俺たちが悪役で、風香先輩がいじめられているようにも見えてしまうだろう。

 でも、それでいい。

 俺たちは風香先輩を助けようとしているのではない。

 彼女の希望を奪おうとしている。だから悪役でもなんでもいい。

 これで彼女を人間に戻せるのなら、どんな役回りでも受けてたとう。


「さあ……終わりにしましょう、風香先輩!!」


 彼女の髪の毛はすでに真っ黒に染まっていた。いつも見ていた普段と変わらない髪。

 人間に戻っていく。それは彼女が望まない形。

 これから先のこと、それは告げた通り何も考えていない。

 きっと世界は彼女を許さない。

 それでも俺たちはそばにいる。例え世界が許さなかったとしても。

 俺たちにとって、風香先輩はただ1人の先輩なんだから。


 空気というもの。いや。世界が、変わった気がした。

 その中心に、彼女はただ1人。

 世界は、その存在を許すことはない。

 俺は何故だか、そう思ってしまったのだ。

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