第386話悪魔編・偽その75

 富士見は風香先輩の攻撃に押され、その場に倒れ込んだ。

 そんな風香先輩を、俺は睨みつける。


「へぇ。いいね。いいよその目。魁斗君からそんな目で見られると、私興奮しちゃうなぁ」


 その場で体をぶるっと震わせる風香先輩。


「これ以上富士見を傷つけるというのなら……俺だって容赦はしない」


 ああ――俺は今までなんでこんなことに気づかなかったのだろうか。

 確かに俺は風香先輩を諦め切れずにいた。それは俺にとって、風香先輩とは面白くて変な先輩だったから。俺の好みの人間だったから。そんな人を、悪魔になんてさせたくなかった。例えそれが本人のやりたいことだとしても。

 それでも俺は彼女の話を聞いて、その意思を聞きたかった。お互いの気持ちをぶつけ合えば、きっと分かり合える。そんな希望を持っていた。

 けれど、時にはそれが通用しない相手もいる。

 そして風香先輩はその通用しない相手だった。

 彼女が悪魔になるということ。それはつまり――富士見をこの先永遠に傷つけることを示す。

 それを良しとするか。否、そんなわけがない。

 俺は富士見のそばにいたい。それも、俺が殺されてしまえばそんな願いは叶うことはない。

 風香先輩が……自身の願いを叶えようとする以上、俺だけでなく富士見の安全も保障されない。

 それだけはなんとしても防がなくてはならないんだ。


「怪奇谷……君」


 目の前では傷一つない少女が倒れ込んでいる。

 その体には一切の傷はない。けれど、その心にはいくつもの傷があるはずだ。例え不死身でも防げない無数の傷が。


「俺は……富士見姫蓮が好きなんだ。これから先、例え一緒にいることが許されなかったとしても……それでも……それでも俺は……」


 俺には悪魔との契約……そのデメリットが課せられている。その時点で俺は富士見と共に過ごすことはできない。

 ただしそれはあくまで恋人以上の関係になれば、の話だ。今まで通り、友達で居続ければ何も問題はない。

 そう、友達でいれば……何も、問題は、ないんだ。


「ただ富士見の笑顔が見れれば……それでいい。もしもあなたの計画がその支障になるというのなら……俺は容赦なくあなたを止める」


 そうだ。これは俺が選んだ道だ。何一つとして後悔はしていない。

 俺はただ、富士見の笑顔さえ取り戻せればそれでいいんだ。

 そのために、目の前の敵を排除する。悪魔になろうとする少女を。


「うんうん、それでいいよ。それなら私も遠慮なく殺してあげれるからね」


 風香先輩は手を大きく叩いている。俺の選択に大いに感心しているんだ。


「……もう一度だけ聞きます。風香先輩、悪魔化を辞める気は?」


 自分でもうんざりするぐらいだ。あれだけ言っておいて、未だに風香先輩を諦め切れずにいる。だからかこんな言葉をつい漏らしていた。


「しつこいね。ないよ。大体さ、魁斗君わかってるの? もしも私がこの場で何か気が変わってさ、やっぱり悪魔化を辞めようと思ったとするよ? それで? 君たちは許したとしても……?」


 風香先輩の言葉は核心を突く。

 それは以前、俺も考えたことだ。そんな絶対に避けられない問題。それを後回しにすることなんて出来ない。必ず、立ち塞がる問題なのだから。


「君は私を元の生活に戻そうとしているみたいだけど……それはもう絶対に叶わないことなんだよ。いい? 君は禁触者きんしょくしゃという言葉を知っているかな? 簡単に言えばこの世界の禁忌に触れた者……悪魔になろうとした人間なんて過去に例があるかどうかは私は知らないけど、少なくともそんな禁忌を犯そうとした人間は間違いなく禁触者になってしまう」


 この世界の禁忌に触れた者。

 確かに悪魔なんて存在は、この世界に存在することを許されていない。そんな存在になろうとすること自体、禁忌とも言えるだろう。


「禁触者っていうのはね……状況次第だけど、多くの者が殺されているんだ。それも怪異庁にね。いい? 神魔会じゃなくて怪異庁だよ。あの怪異を正式に管理する組織が、直々に禁触者を撲滅しようと動いているんだ」


 風香先輩はどこか、羨ましそうに表情を歪める。


「私は少なくとも禁触者に分類されるだろうね。ほら、魁斗君。どうするの? 私が悪魔化を辞めたとして、君は私のことを世界から守ってくれるの??」


 このことが俺や富士見以外に知られていないならどうにかなったかもしれない。

 けれど、そんなに都合の良い展開ではなかった。

 このことを知っている人物。それはかつての敵だった音夜斎賀。俺の父である怪奇谷東吾。そして同じ除霊師である礼譲さん、陽司さん。そして占い師こと北の神さま。

 音夜と占い師に関しては問題ないかもしれないけど、問題があるとすれば父さんたちだ。

 父さんたちは怪異庁の専門家。父さんはまだしも、礼譲さんや陽司さんがこのことを黙っておくとは思えない。

 どれだけ俺たちが信頼を得たとしても、風香先輩には一生このレッテルが付きまとう。

 

『悪魔になろうとした人間』


 俺は、何も言えない。


「いいんだよそれで。私は悪魔化を辞める気なんてないからね。安心して殺されてね。ま、どうせ悪魔になった時点で……私の命は狙われ続けることになるんだし、気にする必要はないよ」


 彼女が悪魔になれば、それを退治出来るのは同じ悪魔か、専門家であるエクソシストのみ。

 現代にはエクソシストはたったの3人しかいないらしい。そのうちの1人は彼女の父親である不安堂総司。

 風香先輩は、実の父に命を狙われる立場となるのか――。


「俺は……もしもあなたが悪魔化を辞めるというのなら、俺は……風香先輩の味方で居続ける」


「ダメだよ。そんな主人公みたいなセリフ、簡単に言っちゃダメだよ。君は何もわかってない。わかってないんだよ」


 それは本心だ。風香先輩がなんらかの事情で気が変わり、悪魔化を辞めてくれるのであれば話は早い。

 その先の問題も……いずれ直面しなければならない問題だ。避けるわけにはいかない。


「それでも……俺は味方でいたい。父さんや他の人たちはなんとか説得して……それで、それで……!!」


 ダメだ。自分でも理解出来るぐらいに言葉が出てこない。それから先のことなんて、これっぽっちも考えちゃいなかった。


「魁斗君。私と君は敵対しているんだ。私は君を殺そうとし、君は私をただ止める。ただそれだけのことなんだよ。他に考える必要はない。私はただ、君のことを殺せればそれで十分なんだから」


 風香先輩の髪の毛が……凶器の形に変化したソレが、一斉に俺の方へ向いた。


「もう、これ以上の問答は不要だよ。さようなら、魁斗君。君と過ごせた時間、とても楽しかったよ」


 風香先輩は、本当に名残惜しそうに告げた。

 そしてそれと同時に、彼女から放たれた凶器は――。

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