第381話悪魔編・偽その70
誰も予想しない言葉。
そんな言葉を告げたからか、世界は、空気は凍ってしまった。
あまりにも想像できない言葉だったのだろう。風香先輩はおろか、隣にいる富士見でさえ目を丸くしている。
コイツは一体、何を言っているんだろう?
そう、思っていそうだ。そんなことがわかってしまうぐらいに周りの人たちの空気を感じ取ることが出来た。
「は、ははは」
しかしその空気に耐えきれなくなったのか、思わず口を開く風香先輩。
「なに、を……何をバカなこと言ってるんだい? 君は。やっぱりもう壊れちゃってるのかな?」
まるで信じられない。そう言いたそうに目を泳がせている。彼女からしても、全く想定していない言葉だったのだろう。
「壊れてますよ。それでも断言できる。あなたはイカれてない。正常な思考を持った人間だ」
「ふ……」
風香先輩はズカズカと俺の元に歩み寄ると、思いっきり胸ぐらを掴んできた。そして血相を変え、今まで見たこともないような怒りの表情を露わにしていた。
「ふざけないで!!!! 私がイカれてない? 正常な思考を持った人間? そんなわけないでしょ!? 私はね……私は生まれた時からずっと人を殺したいって思ってたんだよ? 魁斗君だって私の過去を見てきたんでしょ? だったらわかるはずだよ!? 私が何を想い、何を考え、どんな人生を送ってきたか……どれほど退屈でつまらない日々を送ってきたかを!! 君なら……君なら理解してくれるって……そう、信じてたのに……どうして、そんなことを言うの!?」
彼女の想いが俺に激しく伝わる。その感情は表情だけでなく、彼女の真っ白な髪の毛にも反映されているのか、髪がウネウネと蠢いていた。
「そ、そうよ……怪奇谷君。い、いくらなんでもそれはどうかしてる。あなたがどれだけ風香さんを助けたいと思っていたとしても……それはさすがに
隣で富士見が本当に言いにくそうに告げた。本当に告げるべきか迷ったんだろう。だからかあまりにも小さな声で呟くように告げていた。
「ふじみーの言う通りだぜ。どうして人を殺そうとするヤツがまともだって言えるんだよアンタは」
当然ヘッドホンも俺に同意はしない。もちろん誰の同意も得ようとは思っていない。
ただ、俺がそう感じたから。ただ思ったことを、ありのまま告げるだけ。
「その通りだよ。人を殺そうと思うなんてどうかしてるし、頭がおかしいとしか言えないよな。その考え方に関しては俺も納得出来ないし、認めることは出来ない」
「じゃあ、何? 私のどこが正常だっていうの?」
「あなたは人を殺したいと思った。それはずっと昔から抱いている感情だ。じゃあ質問です。どうしてあなたはそのやりたかったことを――やらなかったんですか?」
それこそ意味がわからない。まるで俺の言葉一つ一つに理解が追いついていない。そんな表情を感じる。
「なんでって……私は人間として生まれた。人間である限り人は殺してはいけない。だからそのルールを守って――」
「そこだよ。どうしてあなたは人間のルールなんてものを守ったんだ?」
「は――?」
まるで、壊れた機械のようにその場で立ち尽くす風香先輩。
何か聞いてはいけない。知るべきでないことを、聞かされてしまう。彼女はそれに恐怖を抱いたのか、一歩……確実に一歩、俺の元から後退した。
「やりたいことがあるんならそれをさっさとやってしまえばよかったんだ。それなのにあなたはルールだなんだって言って実行しなかった。それはあなたの中で、人間として当たり前だと思う正常な心があったからだ。やっちゃいけないことはやってはいけない。そんな当たり前のことをただ守っただけ。ほら? めちゃくちゃ普通の人間じゃないですか?」
当然人を殺すことはいけないことだ。そんな考えを抱いた時点でおしまいなのかもしれない。
けれど彼女はそれがいけないことだとわかっていた。だからやらなかった。自制したんだ。自身の動きを止めた。
普通であるために。普通であろうとした。
そう思おうとする心。それは彼女が普通でありたいと願わない限り、とっくに破られているはずだから。
「そんなの……ただのこじつけだよ。現に私はこうしてみんなを犠牲にして、利用して、傷つけた! そうしてまで悪魔になることを選んだ!! そして君を殺そうとしてるんだよ? そんな人間が普通なはずないでしょ!?」
風香先輩は俺の言葉を受け入れたくないのか、必死に叫びを上げる。彼女がこんなに感情の籠った声を荒げるなんて……俺は初めて見た。
「確かにそうだ。あなたはいくつも許されないことをした。冬峰、地縛霊、動物霊、剛、智奈、恵子、姉ちゃん、父さん……音夜。そして富士見。あなたはいくつもの人や幽霊を利用してきた。それは決して許されないことだし、俺だって未だに心の整理は出来ちゃいないさ」
当たり前だ。いわば俺が関わってきた幽霊事件はほとんどが、風香先輩に仕組まれたようなものだったのだから。
「多くの者を利用してきたあなたの記憶を見た。だからこそわかるんだよ。あなたは悪魔になった時、心底嬉しかっただろうな。だけどそれと同時に……こうも思ったはずだ。『なんだかんだで楽しかった日々とお別れするのは寂しい』ってな」
もちろんそんなことはただの想像だ。彼女の過去を追体験した時には、そんな感情は流れてこなかった。
それでもなんとなくわかってしまう。
そうでなければ説明がつかない。
「どうして父さんを攻撃しようと思った時、一瞬躊躇ったんだ? どうして冬峰の最期に立ち会えなくて残念だったんだ? どうして智奈に最後のチャンスを与えようとしたんだ?」
「やめて」
「それって全部、あなたがなんだかんだで今までの生活を気に入っていたからなんじゃないんですか?」
「やめてよ」
いいや、俺はやめない。彼女の心を暴く。そうすればきっと、まだ風香先輩はやり直せる。そう、信じて。
「あなたは結局、ただ仲間が欲しかっただけなんじゃないんですか?」
「――」
風香先輩の視線は逸れていく。俺を見ずに、どこか遠くを見つめている。
そんな気づきもしなかったことに……いや、気づかないようにしていたことに、ようやく気づいてしまった。それが信じられないのか、ただ一点を、星空を見つめている。
「……だとしたら、なんなの? 私がもしも友達が欲しかっただけだとして……それでも私がみんなを傷つけるようなことをしたのは事実。そればかりは言い逃れが出来ない。それでも君は私がまだ普通だと言いたいの?」
風香先輩は、再び俺の元に近づく。しかし今度は胸ぐらではなく、肩を掴んで嘆くように言葉を告げた。
「私は……私は異常じゃなくちゃいけないの。そういう星の元に生まれた人間なの、私は。人を殺したいだなんて感情は普通の人間が抱いちゃいけない感情。だから私は異常だ。異常な人間でなくてはならない。イカれてなくちゃいけないんだって。そんなふうにずっと生きてきた。それを今更……今更普通の人間だなんて言えるわけないでしょ!? 私はイカれてるの!! それでいいでしょ! さっさと認めてよ。それでいい。後少ししたらどうせ君は死ぬんだから。最後ぐらい……私の理想通りの言葉を言ってよ……!」
異常であることを求めた。異常な考えを抱いた時点で、そうある必要があった。
だから彼女は自身がイカれていると、思い込んでしまった。
実際にはイカれているのかもしれない。それは当然だ。そんな想いはずっとしまっておけばいいものを、達成できる方法が見つかってしまったから。見つけてしまったから。彼女に希望を与えてしまったから。
それを、実現しようとしてしまった。だから彼女はイカれている。そう誰しもが思う。
「ねぇ、魁斗君。ここまで言っても……それでもまだ君は私が、普通の……正常な思考を持つ人間だって言える?」
もはやそれは彼女にとって祈りのようなものだった。
俺に対する願い。こうであって欲しいという想い。
そうまでして自身を異常だと決めつけて欲しいのか。
そこまでくると確かに異常かもしれないな。
けれど……どう彼女が願おうが、俺の考えは変わらない。
「俺は……あなたとは違う。あなたは正常な人間で、俺はイカれた人間だ」
その理由はあまりにも明確なものだった。
「あなたは人を殺したいと思った時、それをしなかった。その理由は……やってはいけないことだと理解していたから。その心が答えだ」
風香先輩の瞳には、涙すら浮かんでいた。
「そしてそれ以上に……決定的に違うと断言できることがある」
俺は自分でも理解していた。多分、富士見もヘッドホンも感じていることかもしれない。おそらく気づいていないのは、風香先輩だけだろう。
俺は、俺はきっと――。
「もしも俺が、人を殺したいと願っていたのだとしたら。
俺はただやりたいことをやるだけの人間。
それが正義とか悪とか関係ない。
ただ、やりたいからやる。
そこに正常な心なんてない。
だからさ、きっとこれはそうだ。
風香先輩や富士見たちとは違って、きっと他の誰よりも俺は――怪奇谷魁斗という人間が1番イカれた異常なヤツなんだってことを。
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