第377話悪魔編・偽その66

 安堂風香という少女。それはどこにでもいるような少女ではなく、どこにでもいないような変わった少女だった。

 突然俺たちの前に姿を現し、いつもニコニコと笑った表情を見せて、楽しそうな人生を歩んでいる。そう勝手に捉えてしまっていた。

 けれど彼女が抱える問題は、他の誰にも解決出来ることのない問題だった。

 それは彼女自身が諦める以外に、残された道はなかった。それが普通に生きるための選択。人として、当たり前の生活を送るための選択だった。

 彼女の物語は始まってすらいなかった。やりたいこともできずに、ただただつまらない人生を送る。そう――まるでかつての俺のように。

 そんな彼女を止める勇気が、覚悟が。

 果たして俺には、あるのだろうか?


「何ボケーっとした顔してるのよ」


 そんなことを深く考えていると、突然頬に指が突き刺さった。それは隣を歩く富士見が原因だった。


「どうせあなたのことだから、俺なんかが風香さんを止める資格あるのか……とかそんなくだらないことを考えてるんでしょう?」


 う……図星だ。なんだってこうも富士見はやたらと勘がいいんだ。


「そんなに深く考える必要はない。私たちはただ、あの人を止める。止めないとあなたは殺され、私はただあの人の道具になる。そんなこと、誰も……いや、風香さん以外は誰も望んでいない。だから、止める。止めなくちゃならないの」


 その通りだ。俺は風香先輩にとって、大切な人間らしい。そんな人間を1番初めに殺す。それが彼女の願望。

 そしてもう1人の大切な人間。富士見を自分のものにし、何度でも殺す感覚を味わう。そんなバカみたいにふざけた願望を抱いている。

 そんなくだらないこと、絶対にやめさせなければならない。だから止める必要があるんだ。止めないと、俺は殺され……富士見は一生――。


「ああ、そうだよな。止めないとな。あの人を……」


 もちろんそれは心から理解していることだ。当然殺されるとわかっていて、嬉しい気持ちにはならないし、死ぬつもりもはなからない。

 けれど。それでも。俺は――。


「アンタしっかりしろよな。今回の作戦のキモはアンタの力、ゴーストドレインなんだからさ。アンタがそんな調子じゃ失敗するかもしれないだろ?」


 ヘッドホンの言う通りだ。今回風香先輩を止めるためのキーマン。それは間違いなく俺だった。

 というのも、風香先輩はまだ完全な悪魔に切り替わったわけではなく、正確には変化の途中だった。

 つまり、彼女にはまだ半分ぐらい怨霊……ロカと呼ばれた音夜に取り憑いた怨霊がいる。彼女を吸収することが出来れば、風香先輩は再び人間に戻ることが出来る……と仮定している。

 こればかりは実際にどうなるかはわからない。占い師や、風香先輩自身も同じだ。結果がどうなるのかは……やってみなければわからなかった。

 けれど理論上それが可能ならば、彼女を完全な悪魔に変化させることを防げるはずだ。

 そのためにゴーストドレインがいる。俺が宿すこの力が。


「ああ。確かにな。俺がしっかりしないとな」


「…………」


 わかってはいる。わかってはいるんだ。それでもどうにも気乗りしない。風香先輩の過去を勝手に追体験し、彼女のことを勝手に知ったような気がして……それでもまだ俺は、彼女の全てを知らないような気がして――。


「はぁ〜っ! ったく仕方ねぇな! このアタシが面白い話をしてやるからよく聞いておけよ」


「なんだ急にでかい声を出すな!」


 突然ヘッドホンが大きな声を出すから思わず体がビクリと反応してしまった。


「アンタが好き好んで飲んでいるエナジードリンク。その名はGエナジー。アレが発売されたのは今から10年前の出来事で、製造会社はかの有名なグレイト社だな。当時のグレイト社社長はこう言った。『世の中にはグレイトッなエナジードリンクが少なすぎるぅ!!』ってな。そこから着目を得て、自社の頭文字であるGを付けたエナジードリンクを開発することを決めて……」


「ちょ、ちょっと待て!! なんで急にGエナジーの解説なんて始めるんだ!? っていうかそもそもお前そんな知識一体いつどこで……」


「なるほど……それは確かに一理あるわね。勉強になったわ、ヘッドホンさん」


「富士見は富士見で何を納得してるんだよ……」


「まあつまりだ。アレを飲むことでアンタはグレイトな人間になれるというわけだ。よかったな」


「どこか棒読みなんだが大丈夫か?」


「ふ、ふふ」


 隣を歩く富士見がふと笑い出した。


「な、なんだよ」


「いえ……なんていうか。これからとんでもないことが起こるはずなのに……あなた達はいつも通りなんだなって思うと……なんだか気が楽になったというか」


 富士見の表情はどことなく穏やかなものだった。先ほどまでの緊張した表情は完全に崩れている。


「ああ。アタシたちはいつも通りだ。ただいつものように事件を解決する。それがアタシと……アンタのいつも通りの日常だろ?」


 ヘッドホンもそれをわかっていたのか。だからわざとあんなふざけたことを……。


「ふっ……まあ、それもそうだな」


 確かにその通りだ。あまり深く考えても仕方ない。どのみち俺たちに残された道は1つしかない。

 結果がどうあれ、彼女が何を考えようが、俺たちはただ止めるしかないんだ。


「なんだその顔は。急にカッコつけんなよ」


「別にそういうつもりじゃ……」


「そうね。怪奇谷君は急にドヤ顔する時もあれば、シスコンの顔になる時もある。良くも悪くも多種多様な表情を持つ人物と言えるわね。そしてその表情をよく観察してみると、意外にも色々気づく点があり……」


「……しっかしふじみー。コイツのことよく見てんだな。今だからわかるけど、好きな人間の顔だからこそそんなによく気づけたんだな」


「……!!!!」


 いやそれはさすがにないんじゃ……と告げようとしたが、富士見があからさまにそっぽを向いているし、よーくみると耳が赤くなっている。ああ、これはまあつまり。


「なぁ富士見」


「何かしら?」


「俺の顔見てくれよ」


「ッ!! ば、馬鹿じゃないの? これから決戦を迎えるのよ? そんな時になんであなたのふざけた顔を見なくちゃならないのよ……」


 そんなあからさまに反応する富士見を見て、心から愛おしいと感じた。それと同時に、俺はこれから先富士見と共にこうやって笑い合うことが出来ないのかもしれないという恐怖も感じた。

 風香先輩。あなたのこと、俺はまだ全て理解したわけじゃない。

 けれど、これだけは言える。

 あなたが何をどう考えて、何をやろうと思っていたとしても。

 それで富士見が悲しむのであれば、俺はそれを全力で否定する。

 俺は富士見の笑顔を見るためならば、どんなことでも出来る。

 そう。俺もあなたと同じだ。俺がただやりたいことをやる。だから、俺は――。


「ふふ。さあアンタたち。もうすぐ着くぞ」


 目の前には見知った場所。俺たちが通う場芳賀高校の校門。周囲に人は誰もいない。

 きっとここに、彼女はいる。


「行こう、富士見。風香先輩を止めよう」


 俺は手を差し伸べた。


「……ええ。必ず」


 富士見は深呼吸すると、その白くて柔らかい手で握り返してきた。

 この温もりを守るためにも、俺はあなたを止める。

 そうして俺たちは、彼女の物語へと入り込む。彼女を止めるために。俺たちの物語を進めるために。

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