第369話悪夢編・偽その58

 私は智奈ちゃんにメールを送った後、近くにある自分の家へと向かって歩いていた。

 といっても瀬柿神社近く……冬峰家の隣にあるアパートではない。そこから数キロ離れた場所にあるさらに古びたアパートに向かって歩いていた。

 私がこの街で暮らすための資金はほぼ全て父から託されたお金で養っていた。その額は正直自分でも引くくらいに桁が段違いだった。ただの一学生が持つべき金額じゃないよね。そう思うくらいには。

 けれどそれを利用しない理由もない。私はこの街全体を行き来できるように、各地の賃貸や施設を借りることとした。基本は冬峰家の隣にあるアパートで過ごすことが多いけどね。多く借りていたおかげで音夜にDVDを送る時にも役に立った。

 我ながら特殊な生活を送っているなー、なんて考えていたら例の目的地へと辿り着いた。

 いくらお金があるからとはいえ、複数の賃貸を借りるとなるとある程度の妥協は必要となるね。だから基本的に借りている家はどれも古びたところで、お世辞にも綺麗な家とは言えなかった。

 なんならこのアパートは特に酷い。外観はボロボロで、敷地内も雑草が生い茂って清掃もされていない。まるで人が住んでいるとは思えないような場所だった。少なくとも、私のような可愛い女の子が1人で暮らすような場所ではないよね。

 そんなボロボロのアパートにわざわざ向かったのは、とあるモノを回収することが目的だからだ。

 私の父、不安堂総司は神魔会のメンバーだ。けれど、その娘である私は別に神魔会のメンバーというわけではない。それでも神魔会の中でも立場が上な父の娘というだけで、私は彼らをうまく利用することが出来た。

 例えば、神魔会しか知り得ないような情報を教えてもらうこと。

 実際に来遊夜豪が怨霊となり、神社に祀られているという情報を知り得たのも神魔会のおかげだ。

 神魔会はそもそも、この世界における怪奇現象……いわば怪異について調べている組織だ。それが目的のためなら手段を選ばない。そんな活動ばかりしているから、怪異庁に目をつけられるんだよ。ま、そんなこと私の知ったことじゃないけどね。

 何が言いたいかって言うとだよ。神魔会はこの世界のことを知らないんだ。いや、もっと言うと怪異庁もそう。父も、私も。誰1人としてこの世界の全てを知らない。知らないことだらけなんだよ。

 そんな何にも知らない世界には、何があっても不思議じゃない。私が知らないだけであって、知っている人からすれば当然のように知っていることだってある。

 それは情報だけでなく、モノだってそうだ。

 よくアニメやフィクションの世界で、ありそうでありえない道具が出てくることがあるよね? それを見るたびに、そんなものあるわけない……そう思うでしょう。それはアニメやフィクションだからそう思うんだよ。

 でもそんなあり得ないような道具ですら、この世に存在しているとしたら? 私が知らないだけで、知っている人からすれば当然のように使いこなしているかもしれない。

 例えば、こんなモノを知っているかな?

 この世には魔除けの香水なんてモノが存在する。さらにはその逆で、そういった類の存在を誘き出す香水も存在するんだ。簡単にざっくりと言っちゃうと、幽霊を誘き出す香水とでも言えるね。

 普通に考えてそんなモノ存在するはずないだろうと思うよね。でもそれがあるんだよ。この世界にはちゃんと意味のある道具が存在しているんだ。

 前置きが長くなっちゃったけど、要はそういった道具を私は取りに来たんだ。

 何のために? そりゃあもちろん、使うためだよ。

 部屋にはテーブル1つ置いてあるだけ。ベッドもなければ冷蔵庫洗濯機もない。ただ部屋の真ん中に小さなテーブルがあるだけだ。

 その寂しげなテーブルの上に徐に置いてあるピルケース。その中に入っているモノは、どこからどう見ても市販で売っている薬にしか見えなかった。

 まあその感想は大体合ってるよ。これは薬だ。それ自体に間違いはない。

 けれど薬って聞けば大体何を想像するかな? パッと思い浮かぶのは頭痛薬だったり、解熱剤とかだよね。まあもしかしたら人によっては危ない薬を想像したりもするのかもしれないけど……私はそっち方面には疎いからなんとも言えないね。

 薬の数はたったの3錠。でもこれだけあれば十分だ。確か聞くところによると……1錠で約1ヶ月効果が出るらしい。それだけ効果が出れば私の目的は達成されると思う。


「こんな薬で記憶が、ねぇ」


 思わず口にしていた。それは自分でも未だに実感が湧かないというか……半信半疑だったからだ。

 この薬を飲むと、記憶障害を引き起こす。それがこの薬の効能だった。

 誰が何のために、誰のために作った薬なのかはさっぱりわからないけど、それもきっと意味のあることだったんだろうね。

 きっとどこかの誰かが、何かを成し遂げるためにこの薬を作ったに違いない。それを私たちは知らないだけで、知っている人は当たり前のようにこの薬を使うんだ。

 半信半疑と言ったけど、この薬の効果が間違いない事実は証明されている。それは神魔会の過去の事例を見せてもらった時に理解している。

 ただ、実際に自分が誰かに使おうとしている……そう考えると本当に機能するのかどうかが不安になってくる。これで機能しなければ、また計画を練り直す必要があるからね。そんな面倒なことはごめんだよ。


「さて、と。あとは……」


 薬とは別にもう1つ必要なモノがあった。

 先ほどのテーブルの上にはピルケースだけが置いてあったので、他には何もない。けれど、その下にはまだとあるモノが存在していた。金属で出来た首輪。そしてそれを固定する際に必要な鍵。それらが乱雑に置いてあった。

 これはあまりに単純明解な道具だ。この首輪には内部マイクが内蔵されており、外からの音声を遠距離から聞き取ることが出来るんだ。まあ言ってしまえば、盗聴器の首輪版といったところかな。

 こんなモノを使うぐらいなら、素直に盗聴器を使えばいいとは思う。けれど、この首輪をはめられた人間が記憶喪失となり、外し方もわからない状況だったとすれば……。


「さーて。お薬の時間だよ。怨霊さん♪」


 私はピルケースと首輪を鞄にしまい、この古びたアパートから立ち去った。残されたのはただ1つ置いてある寂しげなテーブルのみだった。

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