第353話悪魔編・偽その42

 私はしばらく時間を空けた後、父が待つ書斎へと向かった。


「風香です」


 あまり大きな音を立てないように、小さくノックをした。


「ああ、入れ」


 父の返答があったので、私はゆっくりとドアを開けた。

 書斎には多くの書籍や資料が並べられてあった。その端にあるデスク。そこに父は座っていた。

 私は無言で父に近づく。なんとも話しかけにくい雰囲気だ。きっと神魔会のメンバーからもそう思われているんじゃないかな。父からはそんな雰囲気しかしなかった。


「さて、風香。私が悪魔祓いに向かっていた街、来遊市のことを知っているか?」


 あまりに唐突な質問だった。どんな話題かと思えば、街について……って。


「来遊市……ですか? 確か幽霊が出やすい街だったような」


 別に地理に詳しいわけでもないし、そんな街の名前一つ一つ覚えているわけでもない。

 それでもこの街の名前は専門家たちに多く知られている。それも当然のことだ。来遊市はどういうわけか幽霊が現れやすい街なのだから。


「そうだ。私はこの街で面白い少年と出会った。彼のことを風香に話しておきたくてな」


 どういうことだろう? 何故悪魔祓いをしに向かった街で少年と出会ったのだろうか? もしかしてその少年が悪魔を召喚した張本人なのかな?


「その少年はな、悪魔を召喚した者ではない。ただの一般人だ。特殊能力は宿していたが、基本的には我々と関わることのない一般人だ」


 一般人。悪魔とは関わりのないただの一般人。そんな少年が何故父と関わったのだろう。悪魔を召喚した張本人でもない。

 では彼は何者なのか。

 それを私に伝える意味とはなんなのか。

 そんな疑問が私の中で渦巻いていた。


「その少年はな、悪魔を助けようとした。召喚者でもなければ弱みを握られたわけでもない。ただ助けたいから助けようとした。そんな馬鹿げた少年だったのだよ」


 悪魔を助けようとした。

 それって……どういうこと?

 悪魔っていうのは人間の敵。そんな存在を助けようとするなんて、頭がイカれているとしか考えられない。

 どうして……? どうしてそんな意味不明なことができるの?


「私はその少年に邪魔をされてしまってな。実は悪魔を祓うことには失敗している。このことは内密にしてほしいのだがな」


 そんな……ありえない! あの父が悪魔祓いを失敗するなんて。

 それ以前に……その少年が一体何者なのか気になって仕方がない。

 父の邪魔をし、人類の敵である悪魔を助けようとした人物。

 そんな頭のおかしい人間がこの世界に存在している。それはまるで……私と同じ。私のように、生まれるべき存在を間違えてしまった人なのでは……。


「そこでだ。風香。来遊市に行ってみる気はないか?」


「えっ……?」


 あまりに突然の提案だった。想像もしていなかったので、つい情けない声が出てしまった。


「私はその少年の今後が気になる。しかし当然私にはエクソシストとしての仕事がある。そこでだ。除霊師、霊媒師、霊能力者としての力を磨くために風香を修行に向かわせたいのだ。そうすれば風香にとっても良い経験になる。そしてそのついでにだ。その少年のことを私に教えて欲しいのだ」


 考えもしないことだった。確かに私は専門家として修行をしている身。霊媒師と霊能力者としての力はほぼ身につけているぐらいには。

 そして来遊市は幽霊が出やすい街。そんな街に行けば、さまざまな経験が積めるとは思う。何も間違ったことは言っていない。

 だけど父の目的はそれが1番ではない。

 真の目的は、例の少年について。悪魔を助けようとした頭のおかしい人間。

 いわばその少年の監視とも言える。私に与えられた役割はそういうことだった。


「し、しかし……その街にはすでに専門家がいるのでは?」


 基本的には1つの街に所属できる専門家はそれぞれ1人と決まっている。来遊市ともなれば専門家がいないはずかない。


「それならその専門家に弟子入りすればいい。今の風香なら……除霊師の元に弟子入りすれば良いのではないか?」


 確かに私の除霊師としての力はまだ未熟だ。弟子入りであればすんなりと受け入れてはもらえそうな気もする。


「ただし不安堂という名前を使ってはまずいだろう。街に所属している専門家はほとんど怪異庁の連中なのだからな。なに、心配することはない。偽名を用意することぐらい容易いことだ」


 怪異庁というのは、ほぼ全ての専門家たちが所属している組織のようなもの。表向きでは公務員ということになっているらしい。

 言ってしまえば怪異庁は公式、神魔会は非公式といった感じ。2つの組織が分かり合えることはないんだ。


「それは……」


 それでも私にとっては不思議で仕方なかった。どうして私なんだろうって。私はただ父にとって都合の良いように使われるだけの存在なのだろうか?

 いや……違う。父は私を使おうとしているわけではない。何故だかわからない。けれど私にはそう思えた。

 父はただ、私を来遊市に向かわせたい。そしてその少年に会わせたい。そんな願望を持っているように思えた。


「もちろん風香が嫌なら別にそれでも良い。だが……」


 父は私の目をまっすぐと見つめた。


「今のままで、お前は人生を楽しめているのか??」


 たった一言。その言葉が私の胸に刻み込まれた。

 私の人生。やりたいこともできずに我慢してきた人生。人とは違う私。生まれるべき存在を間違えた私。

 私は人生を楽しめているのか。いや、わかってる。そんなこととっくにわかっていた。

 楽しいはずがない。わかってる。そんなこと、とっくにわかってる。私の人生に楽しさのかけらなんてものは1つもなかった。やりたくてもやれない。許されないことだからって。そんな欲望が私の心を締め付けた。

 だけど……もしも。もしもその少年が……頭のおかしい少年なら。もしかしたら、私のことを理解してくれるかもしれない。悪魔を助けようとした人間なら、もしかしたらきっと――。

 


「……」


「風香」


 父は静かに返答を待つ。

 そして私が出した答え。

 それは、誰もがわかりきっていたことかもしれない。


「お父様。その少年の……名前は、なんというのですか?」


 ああ――早く彼に会いたい。きっと、きっと。私のことを理解してくれるよね?

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