第350話悪魔編・偽その39

 俺は富士見姫蓮が好きだ。

 そんな気持ち、ずっと前からとっくに理解していた。だけど理解しないようにしていた。してはいけなかった。

 俺は悪魔を助けた。たったそれだけのこと。たったそれだけのことなのに……それで俺以外の人が苦しんだ。そんなこと、想像もつかなかった。

 富士見、それから智奈。俺は2人の想いに応えることは出来ない。それがどれだけ心苦しいことでも、受け入れるしかなかった。

 悪魔を助けた代償。それが俺に与えられた罰なのだから。


「……」


 富士見は目を赤くしている。涙を拭ったその瞳で、じっと俺を見つめていた。


「ごめん。私……普段泣かないから……あんまり慣れなくて……」


 何度も何度も涙を拭う富士見。確かに普段の彼女は強がって泣かないようにしている節があった。冬峰の時もそうだったし……。

 どうにかしてあげたい。ふとそう思って、俺はポケットにあるものを忍ばせていたことを思い出す。


「ほら、これで大丈夫だろ」


 ポケットに忍ばせていたハンカチ。それで富士見の涙を拭った。


「えっ……? あっ、ちょ、ちょっと急にやめてよ……」


 富士見は頬をほんのり赤らめると、俺からハンカチを奪い取ってしまった。


「いや……さっきのお返しというか……」


「そ、それでいきなり人の顔に触れるなんて……び、びっくりしちゃうでしょ」


 なんというか……今までの威勢のいい態度はどうしてしまったものか。


「……ってこれ! 私のハンカチじゃない!」


 俺が忍ばせていたハンカチ。それは以前富士見から借りた(奪った)ハンカチだった。


「ああ。洗って返すって言っただろ? だからいつでも返せるように常に持ち歩いて……」


「へぇ……」


 ん? なんだ? 富士見の表情が段々と緩くなっていく。


「な、なんだよ」


「いや別にぃ。ただ私のハンカチを常日頃持ち歩いていたなんてねぇー。それほど私のことが好きだったんだなぁと思って。ははは、そんなに私に会いたかった?」


「ああ」


「ッ!!??」


 ババっと距離を取る富士見。


「か、怪奇谷君。あ、あなた本当に私のこと好きなの?」


「だから言ってんだろ。俺も富士見と同じだって。そう理解しあったんならもう隠す必要もないだろ」


「と、とはいえよ! 少しは隠したらどうなの!? そんなに堂々とす、す、好きとか言われると……それはそれで困るというか……」


 頬を赤くしながらも叫ぶ富士見。いつもと違う雰囲気で、これはこれで困惑するな。


「おいアンタら。一応言っとくがアタシがいることも忘れるなよ」


「うわぁ!? 急に喋るなよ!!」


 さっきからずっと黙っていたヘッドホンが急に声を出した。


「ふん。アタシのことなんて放っておいて勝手にラブコメしてな。アンタがそれで幸せならな」


「お、おいおい拗ねんなって。別にラブコメしてるわけじゃないからさ」


 しかし……俺と富士見の関係を知って、ヘッドホンは何を感じたのだろうか?

 何故この2人はお互い好き合っているのに付き合わないのか? きっとそんな疑問を抱くはずだ。

 そしてその原因が、リリスじぶんだとは思いもしないだろう。


「ほほう。どうやら無事にラブコメ出来るようになったようだな」


「だからラブコメしてるわけじゃないって……ん? 今のは……」


「ほい後ろだ」


 ピョンと背中を突かれた。なんだ、と思い振り返ると……そこには小さな小さな女の子。いや、少女のような見た目をした占い師こと北の神さまがいた。


「う、占い師……なんでここに?」


「なんで? 自分の住まいに帰ってくることに何の疑問があるというのかね?」


 住まい……? 一瞬理解できなかったが、それはすぐに解決した。

 今俺たちがいる場所は瀬柿神社。つまりは北の神さまが祀られている神社だ。言い方を変えれば、神さまの家とも言えるだろう。


「その声……あなたが私を助けてくれた神さま、でいいのかしら?」


「ふふ。まあそういうことだ。お主も無事に辿り着けてよかったぞ」


 どういうことだ? 占い師と富士見は知り合いだったのか? しかし一体いつ富士見とコンタクトを取ったのだろうか?


「神さま。もしかして私がここに来ることを最初から知っていたんじゃ……」


「いやぁどうだろう? 占えば当たっただろうけどな」


 占い師は目を逸らした。もしも富士見がここに来ることを占い師は知っていたのだとしたら、俺に対して彼女は無事だ、と伝えられる。

 しかし仮にそうだとするとわからないことがある。それをなぜ隠す必要があったのか、ということだ。ハッキリと富士見とは会えるから大丈夫だと伝えなかったのはなぜなのだろうか?


「まあよいではないか。お主らは互いに互いのことを思い合っている。相思相愛というやつだな。それがわかっただけでも良きことよ」


 いや……まさかとは思うが、俺たち2人の関係性を考えて伝えなかったのか……?


「さて、と。安堂風香はこの場から立ち去り、おそらく場芳賀高校へと向かったはずだ」


 占い師の口から聞き慣れた言葉が聞こえた。それは俺たちの通う高校の名だった。


「場芳賀高……? なんでそんなとこに?」


「おや、お主ならとっくに理解しているものだと思っていたのだがな。こんな話を聞いたことがないか? この街来遊市の中心部はどこなのかということを」


 来遊市の中心部。確かにそれは聞いたことがある。それこそが俺たちの通う高校、場芳賀高が来遊市の中心部だった。


「この街の中心部。そこでヤツは完全な悪魔へと変化する。後はただ時が経つのを待つだけだからな。質や量に関係なしで、霊力の流れ的には1番効率のいい場所だろうよ」


 来遊市に存在する4つの神社ではなく、中心部で最終的な変化をする。そのために風香先輩は場芳賀高に向かったのか。


「お主たちには安堂風香を止めてほしい。そのためにわしに出来る最後の手伝いをさせてもらおう」


 占い師はその場で両手を挙げ、目を閉じた。まるで何か力を吸収しているような……いや、元の力を取り戻していくような感覚を覚えた。


「最後の手伝い、って……なんですか?」


 富士見が問いかける。


「お主らに安堂風香という人間の全てを教えてやる。ヤツがどんな想いで、気持ちで、感情を抱きながら人生を歩んできたのかを……お主らは知る必要がある」


 結局、風香先輩と対話をすることは出来なかった。俺たちは彼女のことを何も知らない。知らなすぎるんだ。


「風香先輩の全て……」


「初めに言っておくが、決して気持ちのいいものではない。お主らが拒否すれば当然やめてもいいが……どうする?」


 誰も知らない風香先輩の全て。それを俺たちは知る必要がある。知らなければならない。そうでなければ、あの人と会話をすることすら出来ないのだから。


「大丈夫です。全部……教えてください」


「……」


 富士見は無言で俺の手を握ってきた。彼女の白くて柔らかい掌から温もりを感じる。


「ふふ、いいだろう。本来の神の力を少し使って、安堂風香の過去を直接脳内に送り込む。お主らは安堂風香の人生を追体験するような感覚に陥るはずだ」


 これでようやく、風香先輩の全てが明らかになる。


「待て神。アタシからも一つ質問だ」


 すると、ヘッドホンが唐突に占い師へと問いかけた。


「ほう。なんだ? 言ってみろ」


「今回の戦い……誰が勝つ?」


 誰が勝つ。俺たちは別に勝負をしているわけではない。だけど仮に勝負と捉えるなら、俺たち対風香先輩ということになる。


「ふっ、いいだろう。占い師として最後の占いをしてやろう」

 

 どちらかが勝ち、どちらかが負ける。

 俺たちが風香先輩に殺されるか、風香先輩の悪魔化を防ぐか。その2択だろう。


「……」


 占い師は一瞬黙り込み、俺たち……いや、ヘッドホンの方に視線を向け、ニヤリと笑った。


「悪魔が勝つ、と占いに出た」


 聞きたくない回答だった。悪魔が勝つ。つまりは風香先輩の勝利を示していた。俺たちは殺されてしまう。そんな絶望的な占いの結果だった。


「そうか……アンタ、今回は特に気を引き締めておけよ。まじで最後になるかもしれないんだからな!」


「う……お前、なんでそんな縁起でもないことを……」


「ふふ。まあそう言うな。わしの占いは当たるが、必ずしもそうなるとは限らない。お主ならわしの占いの結果を変えられるかもしれんぞ」


 言っていることが矛盾している。しかしそんなことは前にも言っていた気がする。


「まあもっとも、その占いを変えるかどうかはお主ら次第だがな」


「……??」


 発言の意味はわからないが、占い師は笑っていた。何か……別の未来でも見えたのかもしれない。


「さて、これでわしの仕事は最後だ」


 占い師は俺たちに向けて手のひらをかざした。その瞬間、何かが頭の中に入ってくる感覚があった。

 安堂風香。彼女がどんな想いで生きていたのか。どんな人生を歩んでいたのか。その全ての情報が、俺たちの中へと入ってきた。


「全てはお主らにかかっている。任せたぞ、未来ある若者たちよ」


 意識が遠のく。俺たちはとある少女の人生を傍観する者となる。

 悪魔になろうとしたたった1人の少女。その人生の全てが今明らかになろうとしていた。

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