第338話悪魔編・偽その27

 私は頭のネジが外れたおかしな人間だ。

 きっとそれは生まれた時からずっとそうだったのだろう。当然生まれた時の記憶など一切ない。物心ついた時にはすでにあの施設にいたのだから。

 それでも私はきっとそうだと強く思う。それならば色々と納得がいく。私が本来の家族に捨てられた理由も。私が施設の人間を嫌っていたことも。私自身がおかしいから。だから私は人とは違う。この世界で、普通に生きることを許されない人間。それが私。

 最初はそんなことすらわからなかった。ただあの施設から抜け出したい。どんな手を使ってでも抜け出したい。それしか頭になかった。

 だから私は彼を利用した。この私に好意を抱いている男。彼を利用して生きる。それが幼いながらに残酷な判断をした私だった。


「――――」

 

 富士見夫妻に引き取られた私は、無事に家族というものを手に入れた。名前も富士見姫蓮となり、これでようやく私は普通の生活が送れる。それが心から嬉しかった。そしてこんな私を受け入れてくれたお父さんとお母さんには感謝しても仕切れない。

 地獄だったあの場所から救い出してくれた2人。私はこの2人だけはなんとしてでも守り抜く。そう決めていた。例えそれが私の命と引き換えでもいい。両親だけは、絶対に守る。それが私の中で決められたルールの1つだった。


「――――」


 それからというもの、私の生活は順調……とは言い難いものだったと思う。小学校にも通うようになったけど、コミュニケーション能力なんてほぼ無いに等しかった。当然友達なんて出来ることもなく、ただ淡々とした生活が続いていた。

 そして中学生にもなったけど、その生活に変化はなかった。この頃だったかな。私の中で1つの回答が出せた。私自身の頭のネジが外れているのは、環境のせいではなかった。生まれた時からずっとそうだったんだ。

 問題は、私自身にあった。そう気づいたんだ。


「――――」


 だけど、そんな私にも大きな変化が訪れようとしていた。

 それは高校生になった頃。今まで避けられていた私に声をかけてきた人物がいた。彼女の名前は根井九天理。後に私の親友となる人物だった。天理が声をかけてきてくれたことで、私の生活にようやく変化が訪れた。とうとう、私にも友達が出来たのだ。

 だけどいいことばかりではなかった。天理に釣られて入った将棋部では、私の嫌いなタイプである人間がいた。挙げ句の果てにはその男のせいで、天理と一時的に絶縁する仲になってしまったのだから。

 この時私は知った。友達を失った時の悲しみを。きっとこれも、私に与えられた罰。普通に過ごすことを許さない神さまの悪戯。どうあがいても、私は普通に過ごすことは出来ないんだと。


「――――」


 こうして私は再び1人となった。だけどそんな私にも後輩が出来た。生田智奈。彼女も私にとってかけがえのない友人になった。

 智奈も私と同じように、あまり友達はいないようだった。それでいておとなしく内気な子だった。だからかお互いぶつかり合うこともなく、いい塩梅で過ごすことができた。この子とならうまくやっていける。私の中でようやく希望を見出せそうにいた。

 けれど、本当にそうなのかな? 智奈はきっと今も苦しんでいる。

 彼女は恋心を抱いている人物がいる。その気持ちに変化はない。私はそう思う。だけど智奈はそれを必死に隠している。その理由はわかっている。誰にも迷惑をかけないためだ。

 そしてその原因の中には……きっと私も入っている。智奈が生霊を生み出すきっかけを作ったのは私なのだから。もしかしたら……心の奥底では、私のことを恨んでいたって不思議じゃない。

 果たしてそれで、私と智奈の関係は良好だと本当に言えるのだろうか? そんなモヤモヤがずっと心に残っていた。


「――――」


 そして、神さまは私に死ねと言ってきた。

 死んだと思っていた男が生きていた。彼は私の両親を拘束し、私に自殺を命じてきた。おかしなことを命ずる人物だ。だけどそれも当然だ。彼は私のことを恨んでいる。どんなことをしても不思議じゃない。

 とうとうこの日が来てしまったか、という気持ちが正直な感想だった。

 私は他人の命を利用して生きながらえた人間。そんな人間がまともで普通な生活なんて送れるはずがなかった。どのみちいずれはこんなふうに惨めで悲しい人生の終わりを迎えると思っていた。それがこの日になる。ただそれだけのことだった。


「――――」


 先ほどから視線を感じる。誰かに見られている。


「誰?」


 影が6つ。その影は小さなものが5つ。1つだけ少し大きかった。


「ねえ、あなたは本当に死にたいの?」


 少女の声がする。今にも消えてしまいそうな、儚くも小さな声だった。


「私が死んで両親が助かるなら、喜んでこの身を投げ出す」


 そう、それでいい。それが私の出した答え。と、いうより最初からそのつもりだった。私は両親のことを絶対に守る。そう決めていたんだから、私の選択に間違いはない。


「どうして?」


 少女は問いかける。


「私が死ねば両親は助かる。だったらこの選択肢しかない。それに私は多くの命を犠牲にして生きた人間。その罰を背負った人間。いつからはこうなる運命だったの」


 影はゆらめいている。ただそれらを見ていると、不思議と心が痛んでくる。


「そうだね。ならそうする。だって、それが最善だと思うから」


 影から小さな手が浮かび上がる。その手には1本のナイフがあった。

 そうだ。私はこれらの道具を使って死のうとした。だけど、死ななかった。あれだけ覚悟を決めてビルから飛び降りたのに、私の命が飛び散ることはなかった。


「何度も死のうとした。死ねばお父さんお母さんが助かると思ったから。だから、死にたかった」


 もちろんなんの理由もなく死にたいだなんて思ってはいない。生きれるのであれば当然生きていたい。ただ死ななければ両親は助からない。だから死にたかった。いや、死ななければならなかった。


「何度も死のうとしたよね? ビルから飛び降りたり、ナイフで手を切ったり、首を吊ろうとしたり……でも、電車に轢かれようとはしなかったよね?」


 少女の言う通りだ。私は何度も死のうとした。そうしなければ……ならなかったから。


「それは……さすがに怖かった……それにみんなに迷惑をかける」


 当然自殺の方法として電車に轢かれることだって考えた。だけど……もしもそれでも死ななかったら? 電車に轢かれて死なない私の体はどうなる? 意思は? そもそもそんな状態を周りに見られてしまったら?

 そんな思考が脳によぎり、避けてしまっていた。結果としてやらなくて正解だったと思う。


「そんな時でも周りのことを考えるんだ」


 少女は少しだけ笑い声をだした。


「死にたくても死ねない。このままじゃお父さんとお母さんは助けられない。なんとしてでも私に取り憑いている幽霊を除霊しないと。そう、考えた時に……あの人に出会ったんだ」


 私が死にたくても死なない理由。それは私に取り憑いている幽霊のせいだと聞いた。それが本当かどうかは別として、あの時はそれを信じるしかなかった。

 そして私は出会った。私に取り憑く幽霊を除霊出来るであろう人物に。


「本当に……本当に嬉しかったよね。やっと解決することができるって。あの人に出会えなければ……私の人生は……なんの意味もなく終了していたんだから」


 ただ死ぬしかなかった私の人生。それを変えてくれたのは間違いなく彼だ。彼に出会わなければ、少女の言う通り私の人生はなんの意味もなく終わっていた。


「死ぬはずだった私の人生を継続させてくれたのもあの人だった。あの人なら……私と一緒にいてくれる。一緒にいられる」

 

 私は死にたかった。死のうとしていた。死ぬべきだった。だけどそれを彼は拒んだ。私を助け、死ななくてもいい世界にしてくれた。そんな彼となら……彼となら一緒に――。


「だけど……私のせいで……彼のことも傷つけているとしたら?」


 やはり私は、私の人生を疑うことしかできない。


「今はまだ大丈夫でも、私のせいで彼が傷ついてしまったら? いや、もうすでにしている。私のせいで彼は何度も危険な目にあってるし、心も体も傷ついている。私のせいで……あの時みんなを犠牲にして生きてきた私のせいで!」


 どれだけうまくいこうが、きっとそれはいつか失われる。普通じゃない私に与えられた人生なんて、そんなものなんだ。


「だから……やっぱり私は、この世界にいちゃいけない。死ぬべき人間なんだ」


 それが私の出した答え。やはり私は死ぬべきだ。この世界にいてはならない。幽霊と同じ。私はそう在るべき存在なんだ。


「何言ってるんだ! キレンは、生きろよ!」


 すると突然、影の方から少女とは別の声がした。どこかで聞いたような……ハキハキととした少年の声だ。


「そうだよ。キレンちゃん。死にたいだなんて……いっちゃダメだよ」


 また別の声だ。今度はおとなしめな少女の声だ。妙に耳に残る声だ。


「キレンはさ、今幸せなんだからそれでいいんじゃない? わざわざ捨てる必要もないでしょー」


 今度は明るい口調の声がした。私よりも少し年上ぐらいの少女……これもどこかで聞いたことがある。


「キレンちゃん。あなたは今を生きる人間。だから生きて。私たちの分まで」


 1番大きな影から声がした。大人びた静かな声だった。何度も何度も聞いた声。脳に焼き付いていた。


「キレン。みんなのことを覚えていられるのは、今を生きる人間だけだ。それが……俺たち生きている人間に出来ることなんじゃないのか?」


 影から真っ白なスカーフが見える。私があげたスカーフ。あれは茶色だったけど、きっと綺麗に洗って使っているのだろう。だからあんなにも綺麗なんだ。


「あなたは死ぬ必要なんてない。死んでしまったら、大切な人と一緒にいられないでしょ?」


 影から姿が見える。それは幼い私。透き通った瞳で私を見つめる私。

 ああ、そうだった。これは悪夢なんだ。私の心を苦しめるための悪夢。だからこんなにも気が滅入ってしまっていたんだ。

 だけど、風香さん。これはあなたの誤算だったようね。

 どうやら私の心の中には、心強い味方がいたみたい。


「さあ、あなたの居場所はここじゃない。ほら、お迎えが来てるよ」


「え……?」


 幼い私はその小さな指で背後を刺した。思わずそちらに目を向けた。

 その先には光が輝いていた。その中心。そこに……いるはずのない人間が、いた。


「どうして……」


 私は死ぬべき人間だ。そうすれば誰も傷つかない。平和になる。そう思っていた。

 だけど。それでも彼は。


「どうしてあなたはいつも、いつも……私を助けてくれるの……?」


 今にも泣き出してしまいそうなぐらいの声をあげる。しかし彼は答えない。ただ黙って私の手を取った。

 そうして私は悪夢ゆめから醒める。大切な人が待つ世界へと戻るために。

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