第337話悪魔編・偽その26
私は数日ぶりに外の空気を吸った。本来であれば久々の外の空気をたっぷりと味わいたいところだけど、今はそれどころじゃなかった。
走りながらも、背後を確認する。私が監禁されていた古民家はみるみる遠くなっていく。きっと今頃、あそこでは音夜が必死に風香さんを押さえているのだろう。
「…………」
結局、私はまた彼を犠牲にした。そうして生きながらえる。あの時と同じ。何も変わっていない。私は何も……変わっていなかった。
「今は……そんなこと考えている場合じゃない」
思考を振り払って私は足を早める。音夜がせっかく逃げる機会を作ってくれたのだ。無駄にするわけにはいかない。
そう、思っていたのに。
「やあ姫蓮ちゃん! 久しぶりだね!!」
思わず足が止まる。おかしい。聞こえるはずのない声がする。それもすぐ側から。
「あら、久しぶりでもないかぁ。数分ぶりって言うのが正しいかな? ま、そんなことどうでもいっかー!」
彼女の姿は見えない。だけどその悪魔のような声はハッキリと私の耳に届いていた。姿が見えないだけで、すぐそばにいる。それだけは間違いない。
「……音夜は、どうしたんです?」
彼女がここにいるということは、音夜を退いてきたということ。彼は……彼は無事なのだろうか?
「あれれ? 姫蓮ちゃん音夜のこと嫌いだったよね? そんな人間のこと心配するなんてどうかしちゃったのかな? かな?」
「音夜斎賀は無事なのかどうか。答えなさい」
いつものようにおちゃらけた話し方をする風香さんに対して、心底うんざりする。体が変化しようが、心は彼女のまま。それが私の感覚を狂わせる。
「もー。そんなに音夜が気になる? だったら戻ってみたらいいんじゃない? そしたらわかるよ」
「誰がそんな手に引っ掛かりますか。そうやって私をまたあの古民家に戻そうとしているだけでしょう?」
「むむ。さすが姫蓮ちゃんだねぇ。でもいいの? あのまま音夜を放って置いたら……大変なことになっちゃうかもよ?」
風香さんはまだ悪魔になっていない。だから人を殺すことはない。そのはずだけど……万が一彼女の気持ちに変化が訪れたとしたら……もしも音夜に対して致命傷を与えてしまっていたとしたら……。
「へぇ、ほんと姫蓮ちゃん変わったね。あの音夜のためにそこまで踏みとどまれるなんて」
「黙りなさい。私は……私はあなたなんかに捕まるわけにはいかないの」
私は再び足を早めた。当然音夜のことも心配だ。だけどここで戻ったら、音夜が与えてくれた機会を無駄にしてしまう。それはきっと彼も望まない。だから私は必死に逃げる。
「追って……こない?」
しかし途中、妙な感覚を覚えた。悪魔になりかけの風香さんであれば、私に追いつくことなんて簡単だろうに。
「姫蓮ちゃーん!!」
すると突然、背後から風香さんの大きな声がした。
「何を……」
思わず背後に目を向けた、そんな時だった。
私が走ってきた通り道。その途中にある交差点。横断歩道のど真ん中。そこに小さな小学生ぐらいの女の子が倒れ込んでいたのだ。ただ転んだだけなのか、足を押さえて痛そうにしている。それだけならまだよかった。
けれど、それだけではない。だから私はこうして必死に足を早めて、女の子の元に辿り着こうとしていたのだ。
バゴンと激しい衝突音が響く。何かが砕ける音がした。宙に舞った私の体は、数メートル先に吹き飛ばされた。地面に打ち付けられ、身体中から激しい痛みが伝わってくる。
「あ……ぁ」
声にならない声が出る。この感覚……似ている。あの時と……初めて自殺をしようとした時、建物から落ちても死ななかったあの時の感覚と。
空が青い。はは、なんでこんな感想を抱いているんだろう。
「いやぁ、やっぱり姫蓮ちゃんは優しいね」
すると、目線の先に見覚えのある制服……スカートの中が見えた。男子の目線だったらラッキーな状況かもしれないね。まあ、こんな状況でどこがラッキーなんだという話だけど。
「こ……こど、も……は」
「大丈夫大丈夫。誰も死んでないよ」
風香さんはしゃがんで私の顔を覗き込んだ。
「姫蓮ちゃんならこうするってわかってたからねぇ。さすが私の期待を裏切らないね」
彼女の真っ黒な瞳が私の目に映る。
「あーあー、すごい痛そう。でもすごいよね……これで死んでないなんて……ああ、姫蓮ちゃん……」
私の頬を撫でる風香さん。今すぐにでも払いのけたい。だけど体が言うことを聞かない。
「もう一度縛り付けておきたいのは山々なんだけど……それじゃあさっきの二の舞だからね。少し姫蓮ちゃんには苦しんでもらおうかな」
風香さんは私の頬を両手で掴み。じっと見つめてくる。そして徐々に彼女の唇が近づいてくる。何を……何をしようとしているのこの人は……!
「や……やめ、て……やめて」
「あぁ!! いい、いいよ! 姫蓮ちゃんの嫌がる顔! もっと見ていたいけどここは我慢我慢」
風香さんの頬は赤く染まる。またこの人はこんな異常な状況に興奮しているのだろう。
「だいじょーぶ。姫蓮ちゃんなら死にはしないよ。だって不死身なんだから。ただちょーっと苦しい夢を見るだけだよ。ふふ、だって悪魔のキスなんだから。悪夢を見てもなんら不思議じゃないでしょ?」
抵抗が出来ない。私はなされるがままに、風香さんに唇を奪われてしまった。
その瞬間だった。視界が一気に霞んでいく。何……これ。こんな……こんなことって……。
「おやすみなさい姫蓮ちゃん。いい
意識が遠のく。そうして私が見た青い空は、完全に消え去った。
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