第331話悪魔編・偽その20

 罪悪感。結局、私が感じていた気持ちの正体はそれだった。

 私は自分でも理解しているぐらいには腐っている人間だと思っている。そんな私でも、結局のところ人間らしい気持ちがあったということだ。誰かを犠牲にして生き残った私。あの時犠牲になった人たちに対して罪悪感を得ていた。ただそれだけのことだったんだ。

 だけど……それでも私はこの男を、好きになることはできない。

 罪悪感があろうが、助けてくれようが、私の気持ちに変化はない。

 それは、どうしてなのだろうか?

 私はどうして、この男を好きになれないのだろうか?

 そんな気持ちが心の中で渦巻いていた。


「そういや……富士見を見つけたことアイツに報告しねぇと」


 音夜は携帯を取り出すと、誰かに電話をかけ始めた。その相手が誰なのか、すぐに想像がついた。


「チッ……出ないか。こんな時に何やってやがるあの野郎は」


「怪奇谷君……電話に出ないの?」


 思わず問いかけていた。


「そのようだ。俺かあの男。どっちかが富士見を見つけたら連絡する手筈になっていたからな。まさか充電が切れたとかいうオチじゃねぇだろうな……?」


 しかし……あの怪奇谷君が音夜と共闘するなんて。きっと音夜は怪奇谷君にも同じように説明をしたはずだ。現にこうして協力しているということは、怪奇谷君は音夜を受け入れたということになる。

 あれだけ敵視していた音夜を受けれ入れてまで、私を助けようとしていたんだ。そのことを想像するだけで胸の奥がキュッと苦しくなる。


「とにかく富士見は一度家に帰った方がいい。この女の側にいる限り……無事ではすまないと思え」


 音夜は倒れ込む風香さんを睨みつける。


「風香さんを……どうするつもり? このまま放っておくの?」


「さあな。ただ少なくとも俺がこの女を抑える。だからその間に富士見は両親にこのことを伝えろ。そうすりゃきっと専門家でどうにか――」


 音夜はそのまま言葉を告げようとした。しかしそれは突如として遮れた。別に何か邪魔が入ったわけではない。彼が自ら言葉を紡ぐのをやめたのだ。

 その理由は私にも理解できた。なぜなら突然、倒れている風香さんの髪の毛が……その1本1本が形を変化させながらウネウネと動き始めたからだ。


「富士見。とにかく今すぐこの場から離れろ! そして両親に伝えろ!! そうすれば後は専門家がどうにかしてくれる。それまで俺が持ち堪える。だから……だからさっさと逃げろ!!」


 風香さんの意思なのか、それがなんなのかはわからない。だけどきっと彼女の目覚めは近い。それだけは理解出来た。

 彼女の狙いは私。そして怪奇谷君。であればこの場にいるのは危険だ。一刻も早く逃げる必要がある。


「…………」


「何をしている! 早く逃げろ!」


「わかってる。わかってるけど……」


 あとはこの男に引き継げばいい。そうすれば私は安全に逃げ切ることが出来るのだから。

 私はこの男が嫌いだ。嫌いなんだ。だから犠牲にしても構わない。それでいい。そうやって私は生きてきた。だからいつもと同じように、彼を犠牲にして私は生きる。それが今までの私。

 そう、それでいい。それで……いいはずなのに。


「またあの時のように……誰かを犠牲にして、生きろっていうの?」


 それではあの時と変わらない。何も変わらないじゃないか。嫌いなものを犠牲にして、生きる。そんなことをして生きながらえても……ただただ苦しいだけ。そんなこと、とっくに理解していたはずだ。

 また、同じことを繰り返せと言うのか?


「違う。違うんだよ」


 だけど、それを彼は。


「これが……これが


 全力で、否定した。


「やっと……やっと富士見の力になれる。それだけで俺の気持ちは十分満たされてんだよ! どれだけ嫌われようが……なんだろうが……ただ俺は富士見を救えればなんだっていい。だから俺に構わず行け!!」


 それが彼の心からの叫び。本心であり、彼の願いだった。


「そして俺たちはもう二度と会うことはない。それでいいんだ。だから……だからせめて最後だけでいい。俺の……俺の願いを叶えさせてくれ!!」


 必死な想いが私の心に刺さる。どれだけ彼は……私のことを――


「富士見の側に立つ人間は……俺じゃない。だからせめて、最後のこの一瞬だけでいい。夢を、見させてくれ」


 ああ、そうなんだ。そういうことなんだ。

 私は、この男が嫌いだ。その想いが覆ることはない。どんなに綺麗事を並べようと、どれだけ良いことをしようとも、その気持ちに変化は訪れない。

 どうして彼を好きになれないのか。ううん、違う。わかった。わかっていた。私は嫌いな彼を無理矢理好きになろうとしているわけじゃないんだ。

 だって私は――私はもうとっくに――


「ありがとう。さようなら。


 私は最後、かつての彼を思い浮かべてこの場を立ち去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る