第329話悪魔編・偽その18

 ずっと、ずっとそうだった。私のことをお前と呼び続けた男がいた。私はそれが嫌だった。嫌だった。

 それでも……当時の私には。与えられた名はたった1つ、キレンという名だけ。だからちゃんとした名前を与えられていない私がお前と呼ばれるのにも納得するしかなかった。

 でも今は違う。今は……れっきとした名前がある。富士見姫蓮という大切な名前が。


「ふっ……鋭いな。ああ、その通りだ。俺はロカと交信し、過去の出来事を全て思い出した。そして、わかったんだよ。今ここで、誰かを恨んでも何も変わらない、進めないってな」


 私のことをお前と呼ぶ男。私はこの男のことが大嫌いだった。いや、違う。正確にはあの施設にいた人間全てが嫌いだった。

 私は全て覚えている。当時5歳だった私はあの時のことを鮮明に記憶している。

 リョウタ。エイコ。シイナ。マユミ。そして、サイト。共に過ごした家族と呼べない連中との毎日。それを私は忘れることは1度たりともなかった。


「だが俺は富士見のことを恨んでいたのも事実だ。その事実だけは無くなることはないだろう」


 当然だ。私がしたことは決して許されることではない。それはどれだけ綺麗事を並べようと、覆らない事実だからだ。


「それでも……もうこれ以上恨んでも、何を変わらない。あの時の俺たちは戻ってこない。もう、いい加減に疲れたんだ。だから……恨むのをやめにした。それで俺は富士見の前から姿を消す。これで、いい。これで俺も富士見も……別々の、互いに干渉しない人生を歩めるんだよ」


 私を恨んでいた男は変わった。これは全て本心だ。そう思えた。だからもう私に危害を加えることはないし、むしろ助けてもらって感謝するのがベストだろう。

 だけど。それでも私は……自分でもわかるぐらいに頭のネジが外れた人間だから。

 どう頑張っても、


「あなたが……助けてくれたことには素直に感謝する。だけど……それでも私は……あなたが嫌い。どんな理由を並べようとも、あの時の……保護施設での生活は私にとって地獄だった。2度と戻りたくないし、私が選択した行動全てにおいて後悔はしていない。あなたがこれから先どんな人生を歩もうが……微塵も興味がない。それでも……それでも……」


 言っている自分に嫌気がさすぐらいに最低なことを次から次へと口にする。それでも彼は黙って私の言葉に耳を傾けている。


「それでも……あなたは私を恨まないと言うの??」


 ただ一言。結局、私が言いたいことはそれだけだった。

 

 私は、物心ついた時にはすでにあの保護施設で暮らしていた。マユミや他の人に話を聞く限り、どうやら私は道端に捨てられていたらしい。ボロボロの汚れた汚い布に包まれて。それを保護施設の人間が保護した経緯のようだ。

 普通、感謝するのが当然だと思う。あのまま道端に放置されていたら間違いなく死んでいただろうし、命を救ってもらったのだから感謝するべきだと普通は思う。そう、普通は。

 だけど私はそんなこと微塵も思っていなかった。むしろ、なんて歪な場所なんだろう。ずっとそう思っていた。

 家族。私がその言葉を知ったのはいつ頃だったか。家族にも色々なパターンが存在するが、一般的には親……つまりは父親母親が存在し、それぞれ子供がいる。大体はそんなイメージが浮かぶだろう。

 私が持つイメージもそれだった。世間一般の家族。私はそこから外れた存在。だからこそ、この保護施設の人間が嫌いだった。何が家族だ。ここにいる人間は皆他人ではないか。ずっと……ずっとそう思っていた。

 早くこんな所から抜け出してやる。どんな手を使ってでも。だから早く引き取り人に選ばれる必要があった。けれどそこにも1つの問題があった。

 あの保護施設にやってくる引き取り人は大半がろくでもない人間たちだった。子供を犯罪の道具にしようとしていたり、奴隷として使おうとしていたり、あるいは性的虐待をするためだったり……皆腐った人間たちだった。

 諦めかけていた時、出会ったのが富士見夫妻だった。彼らは完全なシロ。いたって普通の家庭だったのだ。まあ、今思えば霊媒師や霊能力者という時点で普通ではないけど……

 私はなんとしても彼らに引き取られるべきだと考えた。だというのにあろうことか選ばれた人間は、よりにもよって私が1番嫌いな人間だった。

 彼が私に好意を抱いていることは知っていた。理解していた。だから、決めたんだ。

 

 私の思惑通り、保護施設は崩壊した。嫌いな場所がなくなり、そして富士見夫妻にも助けてもらえた。

 私はこの日、初めて彼に対して感謝した。私のことを好きになってくれてありがとう。そうでなければこの計画は実行出来なかったって。

 そう、私は人殺しなのだ。私自身のために多くの人間を見殺しにした。その報いをいつ受けてもおかしくないとずっと思っていた。

 だからなんだろう。彼が生きていたことを知り、私が自殺を命じられた時。あっさりと受け入れることが出来た。

 ああ――これはきっと。私に与えられた罰。私はこの世界で生きていてはいけない人間なんだって。


 そんな人間を、彼は恨まないというのだろうか?



 低くて暗い声。だけどそれでいて芯のこもった意思の強い声だった。


「あんな……あんなことをしたのに? 私のせいで保護施設の人間はほとんど死に、あなたの両親になるはずだった2人も奪ったこの私を……あなたは恨まないの!? どうして……どうして!?」


 思わず、叫んでしまった。感情が抑えられなかった。なんでだろう。私は彼のことは嫌いだ。どうでもいいし、関わりたくもない。一刻も早く忘れてしまいたいぐらいに。

 それなのに……この気持ちは、なに? 胸が締め付けられるような、ただただ苦しい気持ちが心臓を握りつぶしているようなこの感覚は……なに?


「さっきも言った。もうこれ以上恨んでも過去は変わらない。だから恨むのをやめにした、ってな」


 それが音夜の……きっと怨霊である彼女と導き出した結論。


「でも……そうだな。もしも、もしも富士見が――」


 もしかしたら、私が感じていたこの気持ち。うすうす理解していたのかもしれない。

 嫌いだった保護施設をめちゃくちゃにし、嫌いだった家族ともいえない人たちを見殺しにし、嫌いだった男の家族を奪ったことに対して――


「少しでも罪悪感を得てるなら……それだけでもう俺は十分だ」


 罪悪感。どれだけ嫌いでも、私自身が犯した罪に対する罪悪感だけが残り続けていたんだ。

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